14.リップくりぃむ・ショック

目の前に座る化粧品売り場の女性店員が放った『恋人』と言う言葉が凜の心に突き刺さる。


そう、凜は自分にとって一番大切な人が誰なのか、気付く事が出来ていたがそれを口にする事が出来なかった。それは、思いを言葉にするだけの語彙力ごいりょくがまだ備わっていないからかも知れなかったが、心の中でぴたりと府に落とす事が出来なかったからだ。そして、今、女性店員が言った恋人と言う言葉で紗久良の心の居場所がするりと決まった様な気がして凜は目頭が熱くなって来るのを感じた。そしてぷるぷると体に震えが走る。


「ど、どうしたの凜君、気分悪いの?」


後頭部をぺしっとはたいたのが思いのほかなダメージになってしまったのかと勘違いした紗久良は大焦り、思わず凜の両肩に手を掛けてわさわさと激しくする。


「うわ、ちょっ、さ、紗久良、何!!」


突然焦り出した凜の様子に自分の勘違を察してそっと後ろに一歩下がってばつの悪そうな表情を浮かべながら今の行動を誤魔化そうとする。その仕草が可愛く映ったのか、真正面で見ていた店員が口元に手を当てくすくすと笑いながら話し出す。


「ご、ごめんなさいね。失礼しちゃいましたね。えっと、唇の荒れが気になるんですね、なら良い物が有りますよ」


そう言って店員はショーケースの中からリップクリームを一本取り出した。


「あの、失礼ですが、中学生……ですか?」


店員の問いに凜はちょこんと頷いて見せる。


「でしたら、カラーリップだと校則違反を取られる事が有るかも知れないので、無色の物が良いですね。それに変な成分が入ってない天然由来の物が良いですね、これなんかリーズナブルだし結構売れてますよ」


BURT‘S BEESと言うメーカーの物だそうで店員の説明によると然由来成100%で保湿に優れミツロウ独特の香りを新鮮なペパーミントオイルでカバーしているのだそうだ。お値段も千円で少しおつりがくる程度だから中学生のお小遣いからは少し高価だが手を出すことは出来る。


「ふ~~~ん……」


凜はそれを手に取ってまじまじと眺めているが今一つの表情だった。


「それ、お試しいただいてもかまいませんよ」

「……え、良いの?」

「ええどうぞ、こう言う物は使ってみないと分かりませんものね」

「は、はぁ……」


店員に促されて凜はリップクリームのスティック先端の蓋を外して下の螺子をまわし、5mm程クリームの部分を出してからクンクンとにおいを嗅いでみると爽やかなミントの香りを感じて表情を緩ませる。そしてそれを唇に塗ってみる。元が男の子だから化粧品の類にはあまり触れる事が無かったから塗るのに少しぎこちなさが感じられる。その姿が新鮮で、紗久良は何故か目を輝かせる。


「いかがですか?」

「はい、ちょっとす~~~っとしますね」

「ええ、ミント以外の添加物とか着色料は使われてませんから敏感な唇にも安心ですわ」

「ふ~~~ん」


凜はリップクリームを暫く見詰めてからゆっくりと振り返り、後ろに立つ紗久良と視線を合わせる。


「どうかなぁ?」

「うん、そぉねぇ……」


その視線と目が合った瞬間、凜の艶々に輝く唇が目に飛び込んで来て紗久良の心臓はドキリと大きく脈打った。そして瞬時に頬が真っ赤に染まり、その異変に気が付いた凜が不思議そうに彼女に尋ねた。


「……ど、どうしたの、顔真っ赤だよ」

「え、う、ううん、何でもない」


ぱっと視線を右斜め横に逸らして誤魔化し笑顔を浮かべながらそれでも横目で凜の顔をちらちらと眺めてみる。


「う、うん、良いんじゃないかな。派手じゃ無いし、か、可愛いかな……」


その紗久良の可愛と言う発言に今度は凜が頬を染める。


「な、なんだよ可愛いって……」

「い、いいじゃない、女の子なんでしょ」


喧嘩ともじゃれ合いとも付かない、それこそ可愛らしい言葉のやり取りとその仕草がおかしくて、女性店員は再びくすくすと笑い始めると凜と紗久良は二人同時に視線を向けて、恥ずかしさで更に顔を赤らめる。


★★★


買い物を終えて千円台でピザ食べ放題のお店でお昼をする紗久良と凜だったが、化粧品売り場での気まずさをまだ引き摺っていて会話があまり弾まなかった。テーブルを挟んで向かい合わせに座って入るのだが、視線すら交じり合う事がなく、周りに漂う空気が少し冷たいのは空調の性だけでは無い様だった。しかし、その冷たい雰囲気を最初に破ったのは凜だった。


「ね、ねぇ、紗久良はお化粧溶かしたりすること有るの?」


テーブルに頬杖をついて窓の外に焦点の合わない視線を送りながらコーラのカップに刺さったストローを銜えていた紗久良は視線だけを彼女に向ける。


「う、ん……まぁ、しない訳じゃないけど、本格的なメイク道具は持ってないし。今のところ若さでフォロー出来てるし」

「そ、そうなの……」

「でもさ、中学高校時代は校則でお化粧はダメとか言われるけど、大学生になって就職活動が始まる頃にはお化粧もマナーだって言われるのって、なんだか変な話だと思わない?」

「そ、そうなの?」

「うん、親戚のお姉さんがぼやいてたわ。今更そんなこと言われて持って」

「ふ~~~ん」


紗久良はコーラをずるずるっと啜ってから溜息と共に言葉を吐き出す。


「女の子ってなんか色々面倒な場面が多いんじゃないかってつくづく思うわ。男の子の方が自由に生きられるような気がするんだけどそんな事無い?」

「え、どうして」

「だって、月に一度来るものが有るし、子供産むのは女だし、育てる中心も比較的女の方に重心が有ると思わない?それを外から眺めてるのが男でしょ」

「……う、んまぁ。でも…」

「うん、でも最近はかなり雰囲気変わってて外から眺めてるだけの男って減りつつあることはあるけれど、撲滅はされてないでしょう」


紗久良の手厳しい言葉に会話が一瞬止まる。不自然な沈黙は元男の子としての罪悪感、いや、それを罪に思う必要も無いし、紗久良も凜を責めている訳では無くて一般論と今まで生きてきた中で見聞きした感想を述べているに過ぎないし悪気も無い。だが、るんの心は少し沈んだりする。


少し俯きながら上目使いに眺める紗久良は窓の外に視線をやりながらピザを一口頬張った。その姿を見ながら凜は有る事を尋ねてみようと、勇気を奮わせた。

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