5.男の友情……と、言われても

吹奏楽部の練習はいまだ正式に解禁される事は無く、有志が三々五々集まって何となく音を出している、そんな雰囲気の日々が続いている。ひょっとしたらこのまま冬休みに突入してしまうのではないかと言う憶測も流れる中、凜は放課後いつも通り部室に顔を出していた。


「こんにち……は…」


部室のドアを開けてひょこっと顔を覗かせ何の意味も無くピースサインなど出すおちゃめな姿を見せる凜の仕草はボーイッシュな女の子的な魅力にここ最近磨きがかかっている様に感じられた。その視線に入って来たのは部室の隅で箱椅子に出れんとだらしなく座りながらアルトサクソフォーンを抱きしめている今野の姿だった。


「……ど、どうした?」


心ここに無し状態だったのだろう、かなり控えめに声を掛けたつもりの凜だったが今野はその言葉に楽器を投げ出しそうになるくらい派手な驚きを見せる。


「うわぁっ!!」

「んぎゃ!!」


その驚きに凜も驚き大声を上げながら思わず入り口に向かって飛び退いた。


「び、びっくりさせるなよ凛」

「お、お前こそ」

「声を掛けるなら一度声を掛けてからだな」

「訳分かんねぇよ!!」


どうも、幼い頃からの親友と話すと凜は中学二年の男の子に戻ってしまうらしい。これはある意味友情の証しなのかも知れない。そして二人は何故か暫くの間時っと見つめ合うそれから今野が先に視線を逸らし再びサクソフォーンを抱きしめて背中を丸め、若者らしからぬじじむさい雰囲気を発散しながら箱椅子にだらりと座り込む。


その様子が妙にらしくなくて、凜の心の中に本気で心配と言う暗雲が垂れ込める。少なくとも部長に選任されるくらいの度量を持つ筈であるから多少のピンチはチャンスに変える位の技は見せる。現に凜の力を借りたとは言え、吹奏楽部の少し混乱した状態をちゃんと通常営業に戻して見せたのだから。


「なぁ今野……どうしたんだホントに…」


凜も箱椅子を部室の隅から引っ張り出して彼の横に置くとそこにちょこんと座ってその顔を覗き込む。だが、今野は横目でちらっと視線を送っただけで再び黙り込んでしまった。そして大きなため息を一つ。


「……お、おいおい」


心配が頂点に達して苦笑いを浮かべながら思わずつぶやくその言葉はなんだか微妙にオヤジくさかった。しかし、その様子に少し心が溶け始めたのか今野はよっこらしょっと背筋を伸ばすと肩をこきこきと上下に動かし凝りを解してから徐に凜に視線を向ける。が、その視線には何時もの力強さは全く無い、そして爆弾発言を一発。


「いいよな、お前は……」


つまり凜は勝者、自分は敗者と言いたいのだろうか。


「な、何がだよ」

「ん、女子にちやほやされてるし、全然違和感なく溶け込めてるし」

「……だから意味分かんねぇって」


意味不明の言葉を発し続ける今野に対して今度は心配転じて怒りが湧き出しそうになる。良く有るではないか、心配してあげているのに逆に自分の殻に閉じこもっていじけて居る様にしか見えずにじれったさだけが募る時が。しかしそれは独りよがりの空回りでしかないのだ。


「……はぁ」


今野は再び気の抜けた溜息を一つ。そしてサクソフォーンに抱き着いて再び背中を丸めるとぼそぼそと喋り始める。


「なぁ凜、お前さぁ、一人でした事あるか」


彼のその言葉の意味が分からなくて凜の頭上には無数のはてなマークが点灯する。


「なんだよ、何をするんだよ一人で?」


もそっと顔を横にして今野は凜の顔を見ながら右手を軽く握り真ん中に空洞を作り、それを徐に上下させて見せる。その意味を理解した凜は一瞬で全身を真っ赤にさせると大声で叫ぶ。


「バ、バカかお前は、人前で何口走ってんだよ!!」


中学二年くらいの年頃になると男子は自慰行為を覚え始めたりして初めての射精を経験したりするお年頃、このあたりから思春期が始まって性に対する興味深々が始まるのだ。


「ちらっと聞いた事有るんだけど、女の子の快感って男より凄いんだって?」

「知らねぇよそんな事!!」


そう、凜は知らないのだ。凜は男の子時代にそれをした経験は無い。その手の行為を始めてしたのは今のところ女の子になって、傑への思いに翻弄された時の一度だけだったから、比較することなど出来なかった。


「大体そう言う手の話は女の子の前で話す事じゃ無いだろうが」

「……凜、おまえ、ホントに女の子になっちゃったか」

「ああ、そうだよ文句あるか」


凜はセーラー服の襟をばさばさ振って、女子の制服をアピールする。


「男の友情は何処に行った……」

「え、いや、それは……うん、勿論変わらないさ」

「そうか、じゃぁ、乗ってくれるよな……相談…」


その相談と言う言葉を聞いて凜は少し体を引いて少し困り顔を見せる。その様子を見た今野は凜から視線を外すとサクソフォーンに愛おしそうに頬擦りしながら再び背中を丸め込む姿を見せる。凜は彼の姿を見詰めながら額に右の掌を当て、困り顔を呆れ顔に変えるとぶん投げるように言葉を返す。


「ああ、はいはい分かりました、内容にもよるけど話してみろよ」


今野の表情がきらりと黒く輝いた様に見えた時、凜は彼の術中にはまったことに気が付いて、心が底からガラガラと音を立てて崩れて行くのを感じると同時に、こう言う妙な策士を吹奏楽部の部長にしておいてよいのかと言う疑問がふつふつと浮かぶ。だが、時すでに遅し、凜は彼の話を聞くしかない状況に追い詰められてしまったのだ。

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