19.深愛《しんあい》
病院の廊下は既に茜色の日に満たされ間も無く来る日暮の訪れを告げていた。一日で一番不安定で不穏な時間は陽と陰が交錯して魔が舞い降りる。
「先輩」
「どうした、凛」
「……あの」
病室と廊下を隔てる硝子は鉄壁の砦、触れ合う事を完璧に阻み二人を隔絶する。しかし、お互いを見つめ合うことが出来る事で心を交わすことが出来る。思いは宇宙の端から端までの距離が有ったとしても光の速度を超え『量子もつれ』現象と同様にそれは時間と空間の関係を歯牙にもかけないのかも知れない。
「どうした、今日はまた一段と歯切れが悪いな」
「そ、そんな事……は…」
「ほら、な」
「い、意地悪ですね、先輩」
「嫌いか?」
「……そう…でも」
額を硝子に押し当てて呟く様に答えた凛の眉間に出来た皺を見て傑は柔らかな笑顔を浮かべゆっくりと口を開く。
「悪かった凛、前言撤回、辛い思いをさせてるな。摩耶と何か話したのか?」
「え……は、い。摩耶さん、先輩に好きだって……告白したんですってね」
「ん、ああ。気持ちを汲んでやりたかったが、出来なかった、残念ながらね」
自分と同じ様に歯切れの悪くなった傑に向けて顔を上げた凜の目に入ったのは瞳の中に今にも決壊しそうな涙を湛えた傑の姿だった。
「人が出会う順番って、誰が決めてるんだろうな」
「……え?」
「もし、もしもだが、俺、凜と先に出会っていなければ摩耶の告白を受けていたかもしれない」
「でも、先輩って……」
「ああ、俺は女の子は愛せない、ただ、摩耶は少し違う様な気がしたんだ。控えめだけど快活で、ある意味男子みたいな性格をしていて、見た目は完全に女子だけど、内面で打ち解けられるんじゃないかって思ったんだ。でも……」
「でも?」
「俺の瞳の中には既に凜が居た……だから…頷いてやる事が出来なかった」
薄れて行く茜色に変わってゆっくりと闇の気配が周りを包む。暗さを検出したのか、時間が訪れたのかは分からないが廊下の蛍光灯が一斉に点灯して魔の刻は人間の技術で
「あの、先輩、時間みたい……だから」
「ああ、そうか」
窓際にパイプ椅子を置いて腰かけていた傑は立ち上がり、硝子窓にゆっくりと顔を近づける。それに合わせて凜も唇を差し出した。二回目のキス……硝子の冷たさが二人の温もりの交錯を阻む。しかし、二人の心は空間を通り越し、時間すら無視して触れ合。まるで、量子もつれの様に。
★★★
日は既に落ちて闇の包まれ透き通った夜空には無数の星達が煌めく。
星座は既に冬の輝きに変わりつつ有り、夏の眩しさはすっかりと影を落とし秋は順調に深まって透明な空気に包まれる。学校指定のショルダーバッグを
一旦立ち止まって見上げたその瞬間、一筋の流れ星が夜空を走る。父親に連れられて夜中に真っ暗な真夏の高原で見上げた夜空を横切った流れ星を見て以来、何年ぶりの光景だろう、不意を突かれたから祈る事も出来なかった……祈る事を整理する事も出来ないのが現実なのだが。
一瞬息を止め、胸に右手の拳を当ててみたが時は既に遅く、流れ星は夜空の彼方に消え去った。星にすら
「凛、ちゃん?」
背後から聞き覚えの有る声が聞こえてそちらの方向に体を向ける、そこに立っていたのは凜の茶道の師範、佐々木恵美子だった。
「まぁ、どうしたの凜ちゃん」
「……せ、先生」
肩を震わせて立ち尽くす凜の姿に
★★★
茶室で座布団の上に正座して恵美子が
「どう、落ち着きましたか?」
「……は、はい、すみませんでした、御心配おかけして」
「お母様に御連絡しましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です、一人で帰れます」
「そう、でも、大丈夫そうには見えないわね。どう、何が有ったのか、良かったら話してみない」
「それは……」
「溜め込んでも解決にはならないわ……といっても私に話しても若い人に何か気の利いた事を言えるかどうか分からないですけどね」
茶釜の湯が沸いたところを見計らって恵美子はお茶の準備を始める。その様子を凜は無言で見詰め続けた。
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