14.同級生
凜と母は真知子に病室まで案内された。しかし、急性リンパ性白血病は合併症による病状の悪化が怖い病気だからある程度症状が改善されるまでは滅菌された部屋の中で過ごす必要が有って、その中には親兄弟でも入ることは出来ない。だから面会は部屋の窓の硝子越しと言う事になる。
会話は備え付けのインターホンから出来るらしいから
フロアーを区切られたドアの向こうがクリーンルームの有る病室でそこを
「……佐藤、先輩」
その声に合わせたかの様に傑が窓の方に顔を向けると、凜の存在に気が付いた様で、彼はゆっくりとベッドから足を下ろし、少しふらつきながら立ち上がると窓に向かって歩き始めた。
「あ、あの、そのままで……」
その頼りなさに凜は思わず叫びそうになるがそれを必死で押し殺す。インターホンのスピーカーはスイッチが入りっぱなしで廊下での話声がある程度病室に聞こえるらしい、だから凜が彼の名を呼んだ事に気が付いたのだ。
ふらふらっと窓に近づき張り付き病室の中に目をやる凜、その様子がおおかしかったのか傑は弱々しいが笑顔を浮かべる。そして、窓の下に立てかけてでもあったのだろうパイプ椅子を広げるとそれにゆっくりと座った。
「来てくれるとは思わなかったよ」
「え、いえ、そんな……」
「どうだ、皆、元気か」
「え、ええ……まぁ…」
歯切れの悪い凜の答えに傑は眉間に皺を寄せ少し怪訝な表情を作る。
「なんだよ、奥歯に何か詰まってるのか?」
「いえ、そんな事は……はい、みんな元気です」
「そうか、それは良かった」
彼に安どの表情が戻る。しかし、凜には聞かなければならない事が有る。今野がやろうとしていたことの片棒を担ぐ意味も有るのだが個人的な意思でもある。
「あの、先輩の方はどうなんですか」
「うん、ま、どうと言われても……一言でいえば、見ての通りだ」
薄い笑顔を浮かべ傑は両手を上に向けて肩を
「あ、あの、病気の……方は…」
その言葉に傑は眉を
「少なくとも来年の高校受験はパーだな」
「そう、ですか」
「医者の話によると退院してちゃんと動ける様になるまでには最低限十か月は必要なんだそうだ」
「十か月、ですか」
「最低な」
「……は、い」
深い溜息の後、傑は更に話を続ける。
「そこから寛解、つまり完全に治ったと宣言出来るのは五年後だそうだ、それでも定期的に検査は必要で油断は出来ないらしい」
「時間、かかりますね」
「そうだな……」
重い沈黙が空気を冷やす。凍えてしまうのは心だろうかそれとも体だろうか、あるいは全てが包まれて、そのまま闇の中に塗り込められてしまうのか。空間の密度だけが煮詰まっていくその感覚に凜の口の中に潤いは消えた。しかし、その重い空気を動かしたのは傑だった。
「でもな、これも考え方だろうな」
「……え?」
「受験を一年待てばひょっとしたら凜と同級生になれるかも知れないな」
「あ……」
「なぁ、凜は何処の高校を受けるつもりだ、決まったら教えてくれよ。俺もそこ受けるからさ」
そう言って微笑む傑は、今言った言葉にが決して冗談でない事が見て取れた。もしかしたら生きる希望をそこに見出しているとしたら凜にそれを拒む権利は無い。
「ぼ、僕はあんまり頭良くないから先輩が狙ってるような高校には……」
「ん、入院してから色々と考えたり親父とも話したんだ。学校の入学年や卒業年、通った学校なんてのは生きて行くのにあんまり大きな意味は無いんだってな」
「え、どうしてですか」
「親父にな、大学卒業した年を訪ねたら正確に言えなかったんだよ。つまり、少なくとも年代に意味は無いって言う事だな」
傑は再び肩を竦め、お
「今のモチベーションは凜と同級生になる事……だな」
「……そ、それは」
「両親にも兄弟にも強がっては見せたが、そうでも思わないとやっていけないよ」
ふと真剣な目に戻る傑、そして絞り出す様に一言呟く。
「……怖くてな」
それは傑の心の底に奥深くしまい込んだ本心だった。急性リンパ性白血病の長期生存率は80%と言われている。その中に含まれなかった者達は再発に関係するものが殆どなのだそうだ。彼はこの病気を一生背負う事になる。その心の依り代を凜に求めているのだがそれに対する答えを彼女は持ってはいない、いや、見出せそうにはないのだ。
空調の音が少し強くなった様に感じられたのは二人の会話が途切れてしまったからだった。たがいに視線を逸らし俯くしかない二人の思いは今のところ交わる様子は見られなかった。
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