7.素肌・二人だけの夜

「……凜君、寝ちゃった」

「紗久良……?」


凜はベッドの上でゆっくりと体を起こし、目を凝らして部屋の入口の方を見たがそこには暗闇が有るだけでその目には何も映らなかった。だが、紗久良がベッドに向かって近づいてくる気配は感じた。そしてもそもそと紗久良がベッドの中に潜り込んで来る。


「ど、どうしたの紗久良」

「え、うん、ちょっと……寂しいかな、なんて、ね」


そう言いながら体を寄せてくる紗久良に凜の手が触れる、同時に凜は激しく狼狽する。


「……さ、紗久良」


その手が感じたのは素肌の感触、紗久良はその感触の通り体に何も身に着けていなかった。生まれたままの姿で凜のベッドの中に潜り込んで来たのだ。


「恥、かかせないで」


その声は今にも泣き出しそうな位に頼り無く震え、いつものお姉さん気質は影を潜めて素のままの紗久良がそこにいる様に感じられた。


「お願い、今夜一晩だけで良いから、こうさせて」

「で、でも、紗久良、どうしちゃったの」

「……い、色々と」

「色々?」

「うん、なんだか色々と不安なの。だから、凜君、ね……」


凜の胸に顔を埋めた紗久良の髪の毛からは自分と同じシャンプーの香りがする。体からは同じく自分が使ったボディソープの香り、そして伝わってくる柔らかな体温。心臓の鼓動が早くなるのを感じているが、耳を胸に当てている様な格好だからおそらく紗久良も気が付いている筈だ。


「うふふ、凜君、鼓動が早くなってる」

「あ、当たり前だろ、紗久良が……」


そこまで言ったところで紗久良が少しきつめの口調で呟く。


「だから、恥かかせないでって言ってるでしょ」

「え、あ、う、うん……」

「朝までこうさせて。そうすればきっと不安は消えてなくなるから」

「どうしてそう思うの?」

「うん、凜君がここに居るのをちゃんと確かめられるから」

「……紗久良」


何が原因なのかは理解できなかったが、紗久良が何か悩んでいて自分に助けを求めている事だけは理解出来た。それが今の凜の限界でも有るのだが、彼女なりに精一杯考えを巡らせて、その答えを見つけ出そうとしたのだが、凜にはそれが分からない。


「ねぇ、紗久良、その不安って言うのは何なの」

「……うん、なんか、笑われちゃいそうだけど」

「紗久良の言う事を笑ったりしないよ」

「本当に?」

「うん、本当」


紗久良は暫くの間黙り込む。そして、一度凜の顔を見て、と言っても暗闇の中だからそれが見えた訳ではないのだが、小さな声でぼそぼそと話し出す。


「あのね、凜君、吹奏楽部の元部長さんに告白されたわよね。その、自分と付き合って欲しいって」

「……う、ん」


紗久良が小さく頷いたことを凜は感じた。


「それに、莉子からも告白されて、それって少なくとも凜君を思っている子が二人はいるって事よね」

「う、うん、まぁ、そう言う事になる……かな」

「あの、もしも、本当にもしもの話だけど、凜君がその思いに応えてどちらかを選んだ時、私の前からそのままいなくなっちゃうんじゃないかって思ったの」


今度は凜が黙り込む。自分が二人のうちのどちらかを選ぶ可能性は有り得るのだろうか。それは現状一番の悩みで考え出すと思考が暴走して収拾がつかなくなる。何回も体験した事で誰に相談すればいいのかも悩ましい問題だった。


「それで思ったの、その時は私、一人ぼっちになっちゃうんだなぁって。考えてみたら私には凜君意外、心が許せる友達っていないなぁって、一人ぼっちってどんなだろうって」


言葉が出ない凜はぎゅっと唇を噛み締める。紗久良の気持ちが心に突き刺さる。


「……凜君、私、気が付いたの、私ね、凜君の事が好きなんだって」

「紗久良……」

「おかしいよね、遅いだろって自分に何回も突っ込んだのよ。だって、この事は凜君が男の子の時代に言わなきゃならない事じゃない。なんで女の子になってから気が付いて、今更こんなこと言ってるんだって……迷惑だよね、うざったいよね、めんどくさい奴だよね、私って」


紗久良の体が震えだすのを凜は感じた。それに合わせて聞こえ始める嗚咽おえつは彼女の後悔の証なのかもしれない。


「ね、紗久良、ちょっとだけ、ちょっとだけ放してくれないかな」

「え?」

「うん、大丈夫、ホントにちょっとだけだから」


紗久良は凜の体から腕を離す。それと同時に凜はベッドの上に体を起こすと着ていたパジャマの上着のボタンを外し始め、上着とズボンを脱いでから下着も脱いで、紗久良と同じ様に裸になる。そして再びベッドに横たわると紗久良の体を両腕でしっかりと抱き締める。


「紗久良、あったかい」

「……凜君」

「大丈夫、僕は紗久良の前からいなくなったりしないから安心して。僕はいつでも紗久良の傍にいるから」


同じ香りを纏う二人の肌を通してお互いの体温が混ざり合い、紗久良の不安は緩やかに、グラスの中の氷の様に溶けて行く。嗚咽は水彩画の淡い色彩の中に溶け込む様に消え去って彼女の顔に笑顔が戻る。


「ねぇ凜君」

「ん?」

「人の体って、あったかいんだね」

「そうだね、僕も初めて分かったよ」

「ねぇ、凜君」

「なぁに……」

「私の事、好き?」

「うん、大好き」

「どういう意味で?」

「う、ん……ごめん、良く分からない」


凜の返事を聞いた紗久良は体を震わせながらくすくすと笑いだす。


「ふふ、らしい答え。多分そう言うと思った」

「……ご、ごめん」

「でも、良いわ。ね、朝までこうしていてくれるでしょ」

「うん、こうしてるのってなんか、気持ち良いね」

「そうね、あったかくて、安心出来るわね」


初めて肌を重ねた夜……


まだ幼い心だからそれ以上の行為に発展する事は無かったがこれは二人の初体験と言っても良い出来事だった。そして、この幸せで暖かな夜を忘れる事は一生無いと思った。

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