2.冬の大三角-プロキシオンの涙-

この瞬間が莉子にとって一番緊張する瞬間だった。与えられたフリースロー、決めても一点にしかならないがそれが試合を決着させたりする。一円を笑う物は一円に泣く、そんな心境でのシュートは緊張感の中にも痺れる様なスリルが有る。


だからバスケが止められない。仲間との連帯感も素敵だし、何と言ってもコートの中を縦横無尽じゅうおうむじんに走り回る爽快感はほかのスポーツでは味わえない楽しさが有る。交互にしかもスピーディーに訪れる緊張感と開放感は恋愛感情に似ている様にも感じられる。


狙いは定まった、心も決まった……


ボールを構え小柄な体の発条ばねを利用してをいっぱいに伸ばしボールを投げるとそれは綺麗な放物線を描いてゴールに向かって飛んで行く。しかし、ボールはリングの奥の部分に当たって大きく跳ね上がり直接ゴールリングには収まらなかった。その瞬間、莉子の心臓は外から見ても分かるのではないかと思うくらい大きく一度脈打った。


だが、大きくはねたボールは真っ直ぐに上に飛び、そのままストレートに落ちて行き、ゴールリングを通って床に当たって大きく跳ねる。そのボールを仲間の選手がキープすると同時にレフェリーのホイッスルが鳴ってゴールが認められると莉子の額にどっと汗が湧く、そして笑顔。集まってくる仲間達に肩や背中を叩かれながら祝福の嵐の中に身を置きながら莉子は充実感に浸るりながら皆に笑顔を向けその祝福に応える。


至福の時間は夢の様に過ぎて行く。そしてその夢が覚め現実に引き戻された刹那せつな、心を締め付ける甘酸っぱくて切ない感覚。それは不安を煽ったりもこそばゆかったりもする感情。


不意に浮かぶ凜の笑顔は彼女を恋と言う沼の中に引きずり込む。


思春期一歩手前独特の不安定さによる作用なのかもしれない、ただの疑似恋愛なのかもしれない。そう思うだけで思考は千々に乱れて制御不能に陥って行く。ベッドに寝転び天井を見詰めながら溢れる涙はまるで宝石の様。きらきらと輝きながら枕を濡らす。


莉子は改めて自分に問いかける。これは恋なのか、それともただの思い込みなのか。思いは堂々巡りを繰り返す、結論には辿り着くことは無い……それが恋なのかも知れないと莉子は思った。


★★★


「おはよう凜君」

「あ、おはよう莉子さん、紗久良」


三人での登校は既に日常と化していて、信じられないくらいの遠回りを強いられいるにも拘らず、莉子は紗久良を伴い毎朝凜の家を訪れる。ある意味それが彼女の恋の証でもあるかのかも知れない。


「……莉子、さん…目、赤っぽいけど、なんか有ったの?」

「え、あ、あははは、大丈夫よ、何でもない」


凜を思って昨夜結局一睡も出来ず、泣きはらしてしまった莉子の瞼は腫れぼったくて瞳が赤い。自分はそんなキャラではない、いつでも明るくて何が有っても微笑む事が身上の筈。だから凜の前では絶対に涙を見せない……筈だったのだが、彼女の気遣いが何故か心に染みてほろりと涙が零れそうになる。


「莉子、なんか今日、ちょっと変よ、ホントに何か有ったの?」


莉子の様子が何時もと少し違う事は紗久良も今朝初めて会った時に感じていた。彼女特有のきらきらがなくて少し淀んだ水溜まりの様な雰囲気は紗久良に大きな違和感を与えていた。


「……ほ、ホントに大丈夫だから」


しかし莉子は視線を落とし突然立ち止まる。彼女の瞳から溢れる落ちる真珠の涙はアスファルトに黒い染みを作る。莉子はふらふらと凜の前に移動するとその顔を彼女の胸に埋め肩を震わせる。


「……ご、ごめんね、凜君。少しだけ、こうしてていい?」

「え、う、うん……」

「あのね、凜君」

「……う、ん」

「昨日一晩考えたの、そしたらね、結論が出ちゃったの」

「結論?」

「そう、結論」


少しの沈黙の後、莉子が小さな声で呟く。


「私ね、本気になっちゃった……私、凜君が…好き、この好きは本物」

「り、莉子、さん……」


二つ目の告白が凜の心を貫く。一つ目の告白すら持て余しているのに二つ目の告白は凜にとってあまりにも重い。男の子からと女の子からの二つの告白。そして紗久良の心にもそれはまるでいかづちの如くに突き刺さる。いや、貫かれ焦がされたと言う方が正しい表現なのだろうか。三人の時間は凍り付いた様に止まり、朝の陽の光は氷の矢に変貌する。


★★★


莉子はその日、体調不良を理由に早退して午後の授業はすべて欠席した。凜も流石に動揺が隠せず、その日一日上の空で授業中の受け答えも頓珍漢とんちんかんな物に終始して周りからの失笑に耐え続ける事となった。部活に出る気力も失せてしまったから莉子同様体調不良を理由に欠席して早々に帰宅して、自室に閉じこもる。


「凛、晩御飯よ、いらっしゃい」


ドアの外から呼びかける母の声すら鬱陶うっとうしく感じられ無視してしまいたくなったが、小さく溜息をついてから椅子から立ち上がりゆっくりとドアに向かうと外の様子を伺いながらそれを開ける。母は正面に立っていた。顔を上げると何時もの優しい母の笑顔。その笑顔は凜の全てを見抜いている様だった。そして、心のつかえがすっと抜けて軽くなるのを感じると、いつもの表情を取り戻す。


母は凜の一番の理解者であり今のところ一番の心の支えで最後の最後に頼るべき人物だと改めて実感する事が出来た。そして思う、今朝の出来事も母に相談してみようと。それで明確な答えを導き出す事が出来ないのかも知れないが、少なくとも間違いを犯す事は無いだろう感じた。

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