第8話 外の光景と失われた後継
「な、なんでこんなところに!」
うねうねと形を変える粘土状の魔物に、私は身構えます。実際には、威嚇して唸る犬のような態勢になっただけですが、とにかく身構えました。
「あー、これは大丈夫だ。試作型だよ、そんなに警戒しなくていい、嚙みつきはしないさ。だから――」
パチンと指を鳴らすセフィラ。
その瞬間、頬を一陣の風が薙ぎました。
「ほら、安全だろう」
錬金術師の声が響き、私の髪が鋭利な断面をみせて床に落ちました。
「ど、どこがですかッ! この魔物、完全に私を殺した奴じゃないですか! 噛みつかなくても、もうちょっと横なら首が落ちてましたよ」
魔物の一部が伸び、ものすごく鋭いナイフのようになっています。なによりも攻撃の瞬間どころか、引き戻したのも見えませんでした。
つまり、攻撃されたら、私が知覚する前にあの世行きになるということです。
「なんでこんな危ないのに警備させているんですか⁉」
「強くなくては工房の警備などできないだろう。これでも他の警備モンスターは君たち勇者に、八割がた殺されたんだからな」
そういってセフィラは、魔物の頭(?)をぺしぺし叩きます。なんのご褒美でしょうか。
「とはいえ、これが勇者とやらを撃退してからというものホントに静かで、ここ百年は研究に没頭できている。勇者死して、悪名を残すということかな」
「あの、私も殺されたんですけど」
「うん、ああ。そうだな、だから?」
その死者のなかに私もいるんですけど、セフィラは気にした様子がありません。ちょっとは殺された側のことも気にしてほしいです。
「そんなことはいいから、こちらに来たまえ。」
「全然。『そんなこと』じゃないんですけど……」
不満を感じていると、セフィラは部屋の奥にあった椅子に座ります。
金属製の壁であることを除けば、この部屋は書斎に近い作りをしています。机と椅子があり、本棚には無数の紙片や分厚いノートが並んでいます。どれも古びていて、かなり使い込まれています。
「ふむ。水がないな、おい、そこの。食べ物と一緒に水を運んでこい」
サイズが大きすぎる椅子に腰かけてベルを二度鳴らすセフィラ。大きな椅子に少女がこしかけ、生意気に食事を要求するという仕草が、ひどく新鮮で思わず見入ってしまいます。
やがてベルの音が届いたのか、石室で見た不格好な人形がちょこちょこと部屋へと入ってきました。
人型のなにかは、ちょこんと机に食べ物と水をおいて去っていきました。なんだか動きに愛嬌がありました。
「む、この水……また質が悪い。ここ数か月はフードの味も悪いし、地上はどうなっているんだ」
キューブ状の乾燥したパンのようなものを齧りながら、不満そうな顔をするセフィラ。パサパサとした固形物は、見た目以上に美味しくないようです。
「ここ二年くらいクオリティが下がり続けているな。地上は凶作なのか、それとも寒冷期でも来ているのか。しかし、温暖気候に変動させる装置など作るのも面倒だな」
ぶつぶつ言いながら固形食を齧る錬金術師を横目に、足に回復魔法を掛け続けます。休みなしで治療をしたおかげで、だいぶ回復してきたのがわかります。
いまなら立ち上がれるはずです。
「えいやっ」
気合を入れて地面を踏むと、なんと二本の足で立ち上がることができました。快挙です。
(じゃーん、アリスは二足歩行を手に入れた!)
心の中で喝采をあげてみます。
自慢したところで、セフィラの嫌味が飛んでくる予感がしたからです。
「ふーん」
予想通りの反応でした。つれない態度です。可愛いのだから、もっとつれるべきだと思ってほしいところです。
「反応うっすいですね」
「二足歩行できたからって、儂が大袈裟に喜ぶとでも思ったか? 感心させたかったらゼロ足歩行でも習得することだな」
「なんですかそれ、むしろ退化してません?」
錬金術師の言い草に呆れます。
しかしセフィラに怒ったりはしません。なにせ私はついに二足歩行を手に入れたのです。人類万歳。
(こうしてみると、ほんとにセフィラは小さいですね。ちゃんと毎日ご飯を食べているんでしょうか?)
二つの足で立つことができた私はセフィラに視線を送ります。
椅子でリラックスするセフィラを堂々と見下ろしながら、彼女のきわどい恰好を舐めまわすように眺めます。ええ、もちろん敵情視察。いやらしい思いなどありません。
椅子に座るセフィラは小柄で、きょろきょろと目玉を動かす危険な魔物がいなければ飛びつきたいくらい可憐です。おのれ魔物め、といったところでしょうか。
「なにか変な視線を感じるな。アリス、何か言いたいことがあるならハッキリと言えばいいだろう」
「魔物が邪魔なんですけど」
邪魔な魔物は主である錬金術師を守るように動きません。
「これは無害だといっただろう。まあ、儂に暴力で訴えればアリスの首が落ちるだろうけどな」
過剰なスキンシップは暴力に換算されるでしょうか。気になりますが、ちょっと試す気にはなりません。
「さて、腹も膨れたし外の様子でも見てみるか。どうせ人間の暮らしなど代わり映えしないだろうがな」
つまらなそうにいいながら、セフィラは何かを操作します。私に目配せをしましたが食事を提供してくれる気はないようです。
「ガジガジ」
「どこの大陸から……まて、なぜ儂の書類を咀嚼している。ヤギか君は?」
部屋まで案内しておいて堅パン一つくれない錬金術師。
彼女に抗議するように重要そうな書類を齧ると、『災厄』は迷惑そうな顔をしてくれました。口の中にインクの味がします。
「ガジ……お腹が空きました。食料を要求します」
「そんなの等価交換に決まって……ええい、わかった。分かったから研究成果を齧るのを止めろ」
彼女が机のベルを鳴らし、ほどなく美味しくなさそうなブロック状の塊が運ばれてきました。紙質作戦成功です。
「ありがとう。お水ももらいますね」
私はよちよちと歩く人型のなにかに礼を言って、お盆を受け取り――貪り食います。すごく空腹だったのです。
幸いにして、ここには私とセフィラしかいません。錬金術師は、礼儀作法を気にするような性格ではないので一気に胃に詰め込み、水で流し込みました。
「なんと品のない」
「セフィラに言われたくありませんよ」
椅子にダラッと座って食事をしていた彼女に言われたくありません。
「ご馳走様でした。おかげ様でおなかは膨れました」
「それはなにより」
食堂の娘からすれば許しがたい味でしたが、とにかく食べることができたのは僥倖でした。
相変わらずセフィラは手元でなにかを弄ってますが、それが何かわかりません。
「ああ、ようやく繋がったか。時間経過で『線』が弱くなるのは改善すべき点だな」
彼女がそういうと、なにかが地面からせりあがってきました。王都で見た『黒板』とかいう藍色の板に似ています。
「どれどれ、ノキア地方は――」
彼女が何かを操作すると、板に何かが映ります。
それは森でした。正確には森のような残骸でした。
板に映し出されたのは、黒く枯れ果てた森でした。生き物の気配はなく、以前勇者として踏破した死の森よりも荒涼としています。
「……ふむ。エミゾ地方は――」
黒板の景色が移り変わり、紫色に濁った湖が壁に広がります。湖に鎮座する青い城は、完膚なきまでに破壊され、その城郭も尖塔も砕けています。この城はもしや難攻不落といわれたエミゾ城ではないでしょうか。
「…………コーセイの湾岸部はどうなっている?」
町が映されます。ですが、すっかり廃墟になっていました。人の姿はおろか、鳥などの動物の姿すらありません。港には沈んだ船の残骸が無数に打ち寄せられ、大量の魚の死骸が浮いています。
セフィラは操作を続けます。
そのたびに荒廃した景色が目に飛び込んできます。
焼け焦げてしまった草原のなれ果て。無人の残骸となった王都。どこまでも広がる墓標。亡骸をさらし朽ちることもなく横たわる巨竜。魔王の兵たちの躯で埋め尽くされた荒野。
「うーん」
その一つ一つを眺め、セフィラは私の方へと首を傾げました。
そして――
「あー、アリス。どうやら世界は滅んだらしいぞ」
少しだけ困ったように呟いたのでした。
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