エンジェル・ウイング —または正しい乙女の飛び方—

@ALGOL2009

第1話 プロローグ

 風の冷たさで目が覚めた。


 最初に見えたのは青空だ。少し灰色に寄った濃いブルーの空に細い雲が何本も走っている。


 彼女はそれを単純にきれいだと思ったが、なぜかその青空が足下に広がっているのが不思議だった。


 おまけに耳元で鳴っている風の音がすごい。びゅうびゅうでもごうごうでもなく、まるでテレビの空白のチャンネルで流れている砂嵐のノイズをフルボリュームで鳴らしているようだ。


 だがうるさいと感じたことで少しだけ意識がはっきりした。


 そこで周囲を見ようとするとどうしたわけか顔を動かすのがたいへんだった。思うように首が回らないのだ。


 変だなあと思いながらそれでも遠くの景色に目をやるとだいぶ先の方に山が見えた。


 見えたはいいが、そこでまた彼女はとまどった。遠くの山々が自分の頭の上の方から逆さまに生えているのだ。


「山が逆立ちしてる……?」


 つぶやいた自分の声は風の音にかき消されて聞こえなかったが、このひどく奇妙な光景から目が離せない。


「これって……」


 もう一度つぶやいた声はやはり聞こえなかったが、今度はその山々の麓に広がる森の緑や砂粒のように小さな家々が目に入った。そのまま視線を動かすとちょうど頭の上を見上げる格好になる。


「ああ、そっか、地面が上にあるんだ」


 妙に納得した気分で彼女はちょっと笑いたくなった。なあんだ、要するに自分が逆さまになってるだけじゃないか。それで足下に空が広がってるんだ。


 でもどうしてあたしが逆さまになってるんだろう?


 うーん、逆さま……逆さま……あれえ、逆さまってなんだっけ?


 そこまで考えた時、ぶるっと体が震えた。急に猛烈な寒さを感じたのだ。


 思わず両手を体に回して「寒い!」と口にした瞬間、唐突な理解がやってきて頭上の景色の意味がわかった。いや、わかったのではない、思い出したのだ。


「!」


その瞬間、一気に記憶が舞い戻ってきた。ぼんやりしていた頭が瞬時に覚醒し、自分の現在の状況が嫌でもわかってしまう。髪の毛がいっぺんに逆立ったはずだ——地上でなら。


 そう、ここは地上ではない。


 遠くに逆さまに見えている「富士山」は夢でも幻でもなかった。


 自分は今高度数千メートルの空の上から地上めがけて真っ逆さまに落下している最中なのだ!


 まん丸に見開かれた目で迫りくる地上の街並を見ながら彼女は絶叫した。信じがたい現実を懸命に否定しようとした。


誰にも聞こえない絶望的な悲鳴が空に吸い込まれていく。


 想像を絶する恐怖の中、彼女はこの数日来の奇妙な出来事の記憶が一斉に閃き過ぎていくのを感じていた。

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