第2話
週末、私は駅前通りのカフェにいた。そこでソイラテを飲みながら丸い机にノートを広げ、新たな小説のアイデアに頭を悩ませていた。
普段は私のすることにあれこれ口を出してくる母も、なぜか街に出かけることに関しては何も言わなかった。年頃の娘が昼間から部屋にこもり、ベッドに寝転んで乙女ゲームに没頭するくらいなら、いっそ外に出てもらったほうが少しはマシだと考えたのかもしれない。
とにかく私はお小遣いに余裕がある時にカフェに足を運ぶのをひそかな楽しみにしていた。
すると、私のとなりの席に見知らぬ女性がやって来た。二十代後半くらいの、上品な雰囲気の綺麗なお姉さんだった。
「へえ、小説のネタ考えているんだ。偉いわねー」
ふいに、感心したような声が耳を突いた。
私ははじめ自分のことを言われているのだと気づかなかった。数秒後、ハッとして顔を上げると、見知らぬお姉さんがにこやかに私に微笑みかけていた。
私は緊張と困惑とがない交ぜになったこわばった小声を返す。
「わ、分かるんですか?」
「うふふ、分かるわよ。あなたのことなら、なんでもね」
親しげにウィンクまでしてくるお姉さん。いったい何者なんだろう? 気まぐれな風のように急に現れたお姉さんに、私はまったく心当たりがない。そんな初対面の人に、私のなにが分かるというのだろう?
「それが分かっちゃうのよね。たとえば、そのソイラテ。バストアップすると思って飲んでいるでしょう?」
「…………」
私の顔がみるみる赤く染まっていく。そういう秘密は、分かっていても口にしないでもらいたい。
「それに、進路のことで悩んでいる。小説家なんて非現実的な夢を追いかけずに、資格を取ったり、もっと地に足ついた仕事を考えたりしたほうがいいんじゃないかってね」
お姉さんは目を鋭く光らせ、確信めいた口調ではっきりと断言する。
私は自分の身の回りをきょろきょろと眺めてみた。私の個人情報、どこかに書いてあるのかな?
「ね、分かるって言ったでしょう」
お姉さんは勝ち誇ったように艶やかな唇をほころばせる。私はこのお姉さんの推察力を認めざるを得なかった。
「お見それしました。でも、どうして? もしかして、占い師の方とかですか?」
「そういうわけじゃないんだけどね。でも、分かるのよ。かつて私が全部経験したことだから」
お姉さんはそう言ってますます笑みを深める。
私はとまどうばかりだ。この人はいったいなにを言っているのだろう? 全部経験したことって?
お姉さんはコーヒーカップを口に運び、感慨深げに声をもらす。
「ああ、なにもかもが懐かしいわ。このお店にもよく来たっけ。お気に入りのトートバッグに夢とノートをつめこんでね」
「え? ここって、たしか先月オープンしたばかりだったような」
「あら、そうだったかしら? ああ、今はそれくらいの時点なのね」
お姉さんは首をかしげる私を置き去りにして一人合点し、しみじみと話を続ける。
「実はね。私、今日はある人にお礼を言いに来たの」
「お礼、ですか? いったいどなたに?」
「ふふ。私の大切な人よ」
お姉さんの意味深な発言に、さすがの私もピンときた。『大切な人』って、もしかして恋のお相手なのでは?
興味を引かれ、今度は私からたずねてみた。
「その方にはどのくらいお会いしていないんですか?」
「そうね、もう十年以上になるかしら」
「では、この街には久しぶりに? 今日はどちらからいらしたんです?」
「未来から――って言ったらどうする?」
お姉さんは悪戯っぽく問いかける。
私はニッと口角を上げた。
「そういう想像力って大事ですよね」
これでも私は小説家志望の端くれだも。お姉さんの面白い冗談にも乗ってみせるし、なんなら小説のネタにだってしてみせる。
お姉さんも嬉しそうにうなずき、共感を示してくれた。
「そうね、想像力って大事よね。想像力があれば未来にだって自由に羽ばたけるし、過去にだっていつでも戻れる。飼っていた子犬を美少年にもできれば、まだ経験したことのない恋に酔いしれることもできる」
クスクスとおかしそうに笑うお姉さんに、私は思わずたじろいだ。
なぜって? だって、私がひそかに投稿し、瞳子さんにからかわれた小説の内容を、すべて知っているかのような口ぶりだったから。
そして、私が恋愛小説を書いておきながら、実はまだ恋をしたことがないってことも、バレているような気がしたから。
気恥ずかしさに頬を赤らめる私に、お姉さんはさらに優しく誘いかける。
「紫乃ちゃん。よかったら、これから一緒に街を散策してみない? もしかしたら、小説のネタになりそうなものが転がっているかもしれないわよ」
「いいですけど……」
私は首肯しながら、持参したトートバッグやノートを改めて眺めまわした。私の名前、お姉さんに教えた覚えはないんだけど。いったいどこに書いてあるんだろう?
こうして、私は出会ったばかりの綺麗なお姉さんと共にカフェを後にし、繁華街を一緒に歩き出した。
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