夢の彼方

和希

第1話

 よく冷えた冬のある朝。にぎわう教室の窓際の席に私はぽつんとたたずみ、灰色の雲におおわれた寒々しい空をぼんやりと眺めていた。


「おはよう、紫乃しの

「おはようございます、瞳子とうこさん」


 登校するなり荷物を机に下ろしながら私に声をかけてくれたのは、早川瞳子さん。彼女は私の一番の親友で、私の秘密を知る唯一の人物でもある。


「今日めっちゃ寒いねー。ところで、なに一人でぼーっとしているの? なにか悩み事?」

「まあ、そんなところです。たいした悩みではないのですが」


 瞳子さんは教室に入っても赤いマフラーを外さず、凍える両手を温めようと息を吹きかけ、こすり合わせている。そういえば、今朝は今年一番の冷えこみだって天気予報でも言ってたっけ。


「ははあ、さては進路の悩みだな。……って、紫乃は文系以外ありえないか」

「そうですね。私は文系にしか行けないので」


 私は眉をハの字にして苦笑する。

 高校一年生の私たちには、今日にも進路希望調査を提出することが義務づけられていた。そのため、教室でも文系か理系かが大きな話題となっていた。


 もっとも、私は文系一択で迷いはない。なぜなら、数学ができないから。そして、私にはどうしても叶えたい夢があったから。

 けれども、その夢について思いを巡らせると、にわかに心にすきま風が吹きこむような、憂鬱な気持ちに沈んだりもするのだった。


「紫乃の夢は小説家だもんね。大学も文学部?」

「今のところ、そのつもりです。でも、ほんとうにそれでいいのかなって?」

「と言うと?」

「だって、ほら、皆さんよく言うじゃないですか。文学じゃ食べていけないぞーとか、理系のほうが資格がとれてお給料もいいぞーとか。瞳子さんはたしか理系でしたよね?」

「うん。将来、管理栄養士の資格でも取ろうかなって」

「そういうほうがよほど現実的ですよね。それに引き換え、私の夢なんて」


 呆れたように首を横にふる私。

 子供の頃に思い描いた『小説家になる』という大それた夢に縛られるあまり、かえって選択肢も未来の可能性も狭めている気がして、ほんとうにそれでいいのか、心はいまだに揺れている。


 世間知らずな昔だったら、夢は絶対に叶う! って無邪気に信じていられたかもしれない。けれども、私ももう高校生。夢見がちな少女のままではいられない。現実はそう甘くはないということも、この身をもって思い知った。


「私は好きだけどね、紫乃の小説。この前の『わんこ系彼氏』の話も面白かったし」

「ほんとうですか?」


 瞳子さんに褒められて、暗くふさぎがちだった私の胸に、ぽっと明るい花が咲く。すっかり闇落ちしてハイライトを失っていた私の瞳にも、希望の光が灯り出す。

 瞳子さんは笑いをかみ殺しながら、大きくうなずいた。


「うん。だって、飼っていた子犬が美少年に変身して、主人公に懐いてきて、やっと彼氏になったと思ったら、一緒にわんこ蕎麦を食べに行くんだもの。そっちの『わんこ』かいっ! て」


 ついにこらえきれなくなって、お腹を抱えて笑い出す瞳子さん。私はからかわれているのだと分かって赤面した。


「い、いいじゃないですかっ、わんこ蕎麦デート!」

「私はいいと思うけどさ。で、PV数は伸びてるわけ?」

「いえ、それがさっぱり」

「だろうね」

「瞳子さん、ひどい」


 私はすっかり不機嫌になって、赤らんだ頬をお餅みたいにぷくーっと膨らませた。

 実は、私は自分が書いた小説をひそかにWEBサイトに投稿していた。その秘密を知っているのは、今のところ瞳子さんだけだ。


 かつて、私は情熱を注いで書き上げた作品を投稿して得意気だった。こんなに面白い小説なんだもの、きっと誰かの目に留まり、すぐに話題になって、はては高校生で作家デビュー! なんて、そんなキラキラした夢物語に思いを馳せては、一人うっとりと目を細めてさえいた。


 けれども、そんな私の期待に反して現実はあまりに冷たくて。何人の人に読んでもらえたかを示すPV数はまるで増えず、私の自信作は他の作品にすっかり埋もれてしまい、ほとんど息をしていない。


 あんなに一生懸命書いたのに。膨大な時間をかけ、寝る間を惜しみ、学校の宿題を投げ出し、授業中につい居眠りをして先生に叱られてまで書き上げた作品だったのに……。努力は必ず報われるなんて、そんなの嘘だ。


 私は悩ましげに頬づえをつき、ため息をつく。


「私、舞い上がっていたんですよね。すごい小説が書けた! って。でも、それは単なる独りよがりな自己満足に過ぎなくて。世の中には、私より面白い小説を書ける人が五万といるんです。最近ではもう、星の数ほど作品がある中で、私が書くことにどれほどの意味があるんだろう? いっそ書くのをやめてしまえば楽になれるのになって、そんなことばかり考えています」

「なるほど、それが紫乃の悩みってわけね。でも、やめる気はないんでしょう?」

「それはまあ、そうですけど」

「じゃあ、続けるしかないね。頑張ってね、未来の恋愛小説家、シノ・パープル先生」

「ちょっ!? そのペンネームを教室で口にしないでくださいっ!」


 私は慌てて立ち上がり、焦ったように瞳子さんにつめ寄る。

 以前はあんなに気に入っていたペンネームも、今ではなんだか中二病感ただよう黒歴史にも感じられて、かえって恥ずかしい。


 ちょうどチャイムが鳴って担任の先生が来たのに合わせて、私はしぶしぶ席につく。

 そして、ふたたび灰色の空を見やり、胸の中で独り言ちた。



――こんな調子で、ほんとうに私の夢は叶うのかな?



 ……なんて、そんな浮かない気持ちを抱えたまま迎えた週末の昼下がり。

 私は街で不思議な女性と出会った。

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