シロの君
御崎わか
第1話
僕は自転車のハンドルをぎゅっと握り、全力で重いペダルをこいでいた。汗が
坂を上った先で自転車は徐々に速度を落とし、やがて止まった。道路を挟んだ反対側に、長く続く白いガードレールと、眼下に広がる街の風景があった。
僕は空を仰いだ。
僕はしばらく見惚れていたが、ふと我に返ってカバンからカメラを取り出してファインダーを覗き込んだ。ぼやけた淡い水色の光景が映る。フォーカスリングを回せば無限遠の
僕はふっと息を吐き、そこで初めて自分が長い間息を止めていたことに気付いた。周りから見れば変な奴に見えているんだろうな、と思って周りを見てみると、一人の少女が道路の反対側で立ち止まっている様子が目に入った。
少女は空を見上げていた。青い夏の空を。七月にしては色白い肌をしたその少女は自分と同じくらいの年齢で、学校の制服を身にまとっている。しかし、うちの学校のものではない。他校の生徒だとすると、どうしてこんなところにいるんだろう?
数秒か数十秒か経った時、彼女は視線を落としてこちら側を向いた。僕と彼女の視線が合おうとしたその瞬間、数台の車が目の前を横切った。僕は我に返って自転車をこぎ始めた。
(見てたのバレたかな……)
そんなことを思いながら学校へ向かう。頭の中にはまだ、少女と夏の空の情景が残っていた。
学校の校門を抜けて、下駄箱で靴を履き替えたタイミングで予鈴のチャイムが鳴る。僕は急いで階段を駆け上った。
「おはよー
教室に入ると聞き慣れた声が聞こえてくる。僕は窓際にある自分の席にカバンを置きながら答えた。
「おはよう。ちょっと寄り道してて」
「何?彼女でも出来たのか?」
日に焼けた短髪の男、
「ちげぇよ」
「だろうな。お前、カメラが彼女だもんな」
「お前だってギターが彼女だろ」
「恋人と言ってくれ」
翔太は手をヒラヒラさせながら言った。彼は僕の小学校からの友人だ。不思議なことに小学一年生から中学二年生に至るまでの八年間ずっと同じクラスである。だから、彼のこうしたちょっかいには慣れていた。
「それはそうと、あの話聞いたか?」
翔太は少し身を乗り出しながら言う。
「何?」
「今日から転校生が来るらしい。しかも女子」
翔太の最後の一言から彼の期待感がひしひしと伝わってきた。
「珍しいね。この時期から来るなんて」
「確かに夏休み直前だし、変なタイミングかもな。でも、楽しみだろ?」
少人数でクラスのメンバーが変わりにくい田舎の学校の学生にとって、転校生は新鮮さをもたらしてくれる存在と言える。かく言う僕も、期待感は高まっていた。
「それはまあ……転校生なんてかなり久しぶりだし」
そんな話の最中に始業のベルが鳴り響いた。それとほぼ同時に担任の先生が教室に入ってきた。会話をしていた生徒達が次々に席へと戻る。普段は先生の朝礼なんて話半分に聞いている生徒が多い中、今日ばかりは皆が先生に注目していた。教室全体が妙な緊張感に包まれている。
「今日からこのクラスに新しい生徒が加わります。じゃあ入ってきてください」
先生が教室の扉に視線を送ると、一人の少女がゆっくりと現れた。その少女は教壇の真ん中までやってくると、立ち止まってこちらに向き直った。
「初めまして、
彼女の透き通った声が響く。僕は彼女に見覚えがあった。他校の制服を纏った色白い肌の少女……今朝見かけたあの子だった。僕は驚いたと同時に、今朝の出来事に合点がいった。転校生は制服の調達が間に合わなかったから、前の学校の制服のままなのだろう。
先生は教室の一番後ろ、廊下側の席を指さして、転校生に席に着くように言った。その時、彼女が一瞬、僕の方を見たような気がした。
朝のホームルームが終わると、転校生の席の周りに人が集まった。転校生は質問攻めを受けているようだった。出身地は? 部活は何か入るの? なんて声が聞こえてくる。僕と翔太の二人はその様子を自分たちの席から見ていた。
「かなり、いや、めちゃくちゃかわいいな」
翔太は僕にだけ聞こえるよう言った。
「まあ、そうだな」
「おい、テンション低いな。もっと正直になれよ」
「お前は正直すぎんだよ。変なこと言って引かれるなよ」
僕達はくだらない会話をしながら、転校生に話しかける機会を待っていた。しかし、彼女の周りの人だかりは減ることなく、一限目の授業が始まった。そのまま二限、三限と時間は進んで行き、昼休みになってやっと少し会話することができた。彼女の机の周りに集まる人の間に、翔太は割って入った。
「俺、中野翔太っていいます。よろしく」
僕もそれに続いて声をかける。
「初めまして、
そう言うと、彼女は優しい笑みを浮かべながら答える。
「初めまして、翔太君、悠人君。これからよろしくね」
彼女は落ち着いた物腰で大人びた雰囲気を醸し出している。年に見合わぬその優雅な振る舞いに僕は驚いて、話題を振ろうと事前に用意していた質問文を咄嗟に思い出せなくなった。すると、別の人が横から割って入った。僕らの他にも彼女に挨拶しようと集まった人がまだ沢山いるようだ。中には別のクラスの人もいる。結局、その場は簡単な自己紹介を交わしたくらいで終わった。
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