駄犬クロニクル
QB マダオ
第1話 出会い
1
平成が始まった頃の話。
俺は小さな田舎町に住んでいた。去年、都会から引っ越してきた。
実家に近いが、初めて住んだこの町との繋がりは特になかった。働き口が少ないなか、何とか地元の工場に就職した。
工場の毎日は単調だった。
5月頃のある日、工場が何かの記念日で早く仕事が終わった。
帰宅後、暇つぶしに町の商店街にでかけた。商店街と言っても県道沿いに薬局や酒屋など、5,6件の店がならんでいるだけだ。
何か買おうとかと思い、小学校の前にある食料品店に行った。食料品店は駄菓子屋も兼ねていた。おやつやつまみの類を買って店の外に出た。
校門の前で5,6人の子供たちが輪になっている。小学4,5年だろうか。何を囲んでいるのか、のぞいてみた。
輪の中心に一匹の犬が座っていた。薄汚れてやせこけている。野良犬か。今時珍しい。
片方の目の上にいたずらで眉を書かれていた。間抜けな顔だ。ハアハアと息をしながら舌を出している。
子供達に構われて嬉しいのか、少し笑っているような顔をしていた。犬はガリガリに瘦せていてあばら骨が浮いていた。
手に持っていたポテトチップスの袋を開けて2,3枚放り投げた。たちまちパクパクと食べた。つまみとして買ったチーズかまぼこを1本投げた。すぐ食べた。もう1本投げた。また食べた。腹が減っているようだ。
一緒に犬を見ていると一人の子がこう言った。
「おじさん、この犬、名前がついているんだよ。」
「へえ、何?」
「あじ。給食の時間にいたから理科の先生が名前を付けたんだ。」
「分かった。アジフライが好きだったんでしょう。」
「ううん、アジシオの様に白いからだって。短くしてアジ。」
「?」
アジシオというのは味の素と食塩を混ぜた調味料だ。以前はよく使われたが、最近では使う人は少ない。それに目の前の犬は白、というよりも薄茶色をしていた。
だいたい、「アジ」なんて変な名前だ。洋風?和風?理科の教師の意味不明なセンスに呆れた。
小学生達が帰り始めたので帰る事にした。「じゃあ、とりあえず、アジ頑張れよ。」最後に声をかけた。
自宅は自転車で5分位だった。家まで10メートル位の所に来て、何気なく後ろを振り返った。アジが居た。
「あれ、付いて来たんか。」
家には連れていけない。「アジ、ちょっと待ってろ。」
自宅を知られるとまずいので自転車をその場に置き、家から魚肉ソーセージだの、魚缶だの、およそ犬が食いそうな物をかき集めて自転車に放り込んだ。
「アジ、おいで」ソーセージを見せながら走り出した。家からなるべく遠いところがいい。
数分走って充分離れた、と思える場所に来た。田んぼのあぜ道に持って来た食べ物を積み上げた。
「アジ悪いな。お前の世話は出来ないんだよ。」
アジがガツガツ食べ始めたのを見て急いで自転車に乗り、全速力で走った。
犬は嫌いでは無いが飼うつもりはなかった。俺は一軒家での一人暮らし。今のところ家族はいない。昼間、仕事でいないので日中、世話ができない。生き物がいると何かとしばられる、近所に犬がいて迷惑をかけるかも知れない。いろいろ飼えない理由はあった。
夕方で薄暗くなってくる中、野良犬生活で大変だろうけど、幸せになれよ、と願いながら逃げ帰った。
2
翌朝、起きて居間のガラス戸を開けた。コンクリートの土間のところに、追い払ったはずの、アジがのんきに寝ている。予想外の事で頭が痛くなった。
夜中に向かいの家の飼犬のランちゃんが激しく吠えていたが、こいつが原因か。
アジは落ち着いて動く気配は無い。こちらの顔を見てしっぽを振っている。
「まいったな。」
出勤前なので追い出す時間も無い。このままここにいて周辺をウロウロされるのも近所迷惑だ。取りあえず紐で繋いでおく事にした。
紐と言っても何も無い。新聞を縛るビニールひもしか無かった。ビニールひもで首輪とリードを作りベランダの柱から結んだ。ビニールひもは頼りなくて力を入れればすぐ切れてしまうが、無いよりはまし、と思った。
紐を切ってどこかへ行ってしまえばそれまで。帰って来て居たら、その時考えよう。アジを繋ぎ、とりあえず餌と水を用意し出勤した。
仕事帰り、念のため首輪と鎖を買った。
帰宅すると予想通り、アジは居た。ビニールひもは切れていなかった。こちらの顔を見てまた、しっぽを振っている。仕方ない。首輪をつけてやるか。
新品の首輪を取り付けている間、アジは嫌がらず、じっとしていた。買ってきた鎖は意外に短かったので、登山に使っていた細引きロープを繋いだ。
アジは当たり前にずっと、ここに居たような顔をしていた。アジ、お前に付き合う気持ちも余裕もないんだが。
どうしよう。どうしよう。
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