天上天下他我他尊

物部がたり

天上天下他我他尊

 ある偉人は『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せ』といった。だが、れいはその教えを曲解し、「自分を愛すように」ではなく自分よりも隣人を愛す自己犠牲主義者であった。

 幼少のころより母に読んでもらった、自己犠牲を賛美するオスカー・ワイルドの 『幸福な王子』や宮沢賢治の『よだかの星』『雨ニモマケズ』に深く感銘を受け、仏教の教えの『捨身飼虎しゃしんしこ』や、キリスト教の『一粒の麦』に涙した。

「人はこうあらねばならぬ」と思った。

 そのような自己犠牲賛美の物語が影響してか、「なべて人の世の人の尊さは、何ものにも換え難い我が身の犠牲に極まるものなのだ」という人格形成がなされ、れいは昔から我が身を犠牲にし、損ばかりしてきた。


 例えば、食事の際おかずの奪い合いから身を引き、クリスマスプレゼントをいらないといい、己が主義主張を控え、言い争いになる前に折れる。

 映画館や電車の指定席に他人が座っていても注意をせず、推されたら断れない。断定的な主義主張、強い言葉を控えるため、他者からはなめて見られた。

 お金に困っている人がいれば返って来ないとわかりながら、際限なく貸し与えるなどキリがない。 

 人が良いのか、ただ意気地がないだけなのかわからない人である。そして、極めつきは己が死んだ際、医療貢献のため我が身を献体として寄贈し、可能ならば臓器ドナーとして利用してくれるよう署名した。


 まだ、何十年も先の話だと思っていたが「いい人は早く死ぬ」もので、交通事故に遭いかけていた人の命を我が身を犠牲にして助けた。イヤホンを耳に付け大音量で音楽を聴いているため、向かってくる車のクラクションに気付いていなかった。 

 幼少のころより自己犠牲の英才教育を受けて来たれいは、考えるより先に体が動いていた。れいは轢かれる寸前の人を突き飛ばし、身代わりとなった。

 押された人は何が起こったのか理解すると、こんなことをいった。

「なに、死んでんだよ……。いい迷惑だ……」

 れいが人を庇って自己犠牲を遂げたことに、誰も驚きはしなかった。

「ああ、あの人なら、そうなると思った。本人も誰かのために死ねて幸せだったんじゃない」

 そんなものだった――。

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