終末キャッチボール
閂 向谷
本編
「国際結婚ならぬ
野球における基礎的な投法。相手の正面に対し、自身は装着しているグローブ側の半身を向けて立つ。準備が整ったら、グローブ側の足を持ち上げることで体重をもう片方の足に乗せる。一連の投球動作の中で、最も負荷のかかるこちら側の足を”
移動した負荷は、球を遠くへ、そして、速く投げるためのエネルギーとなる――原理としては、半分まで水が満たされたペットボトルのイメージが近しいだろう。手首の回転のみでもっとも強いエネルギーを生むには、手首を捻って片方へ水を集め、それを一気に翻して反対へ打ち出せばよい。落下する水がペットボトルの容器に衝突したその瞬間が、最もエネルギーの発生するタイミングである――。
「要するに惑星間のハーフってことだ」
続いて、目標の位置へ正確に投げ込むために、持ち上げた足先を相手へ向かって踏み込む。自分の軸足から90°開脚する形が理想となる。高いレベルの投手曰く、この時点でコントロールの80%が決まると語る。
この時、一度軸足へ預けた負荷は太ももと腹部の間に位置する鼠径部に残しておく事が重要となる。緩やかなV字に折れ曲がった関節部分の結合部に負荷が偏り、半身の人体構造的、そして力学的な安定につながる。
メジャーリーガーのようなレーザービームも、160キロの直球も、この負荷から発生する。安定と力みの調和。これこそが、野球界における”割れ”と呼ばれる概念の正体である。
あとは上半身の連動でこの負荷を開放することでエネルギーへと変換し、ボールに伝えることで投球は完成する。
投球とは、大地を支えに片側へ預けた体重を、エネルギーに変換して、ボールに伝える行為なのである。
「母親譲りの遺伝子のおかげで、ほかの子よりも指の本数が多かった。親指と人差し指の間に一本、小指の外側に一本が位置していたから、それぞれに”間男指”と”隠し子指”と名づけた」
ここまで能書きを垂れておきながら、理屈と現実は合致しないものだ。
いや、合致はしているのかもしれないが、私自身にその説得力を持たせるだけの
私はミルを挽けばいくらでも出てくるような一般中年男性に過ぎず、力いっぱい投げたところで30メートルが限界だろう。
キャッチボールをしていたのは息子が中学生の時までだった。卒業後は親元を離れて寮のある高校へ進学してしまったがために、唯一の相手を失ってしまってからは、ずいぶんとご無沙汰であった。
私の投げたボールは力のない放物線を描いて、ヨレヨレの旅人のように宙を渡っていく。その球筋は”届いた”というよりかは”辿りついた”と形容してもいいだろう。
私と彼女を結ぶ距離はおおよそ10メートル。塁間の半分くらい。
幸いにも落下地点は彼女の胸元で、理想的な場所だった。
「昼ドラみたいな右手だね」
私の放った、球の種類という意味でも勢いという意味でもの”軟球”を、彼女は両手で捕球する。少年野球で教えられる基本的な型だ。「ドロドロしてそう」
そうして年季の入ったグローブから球を持ち替えて、彼女はワインドアップモーションに入る。
服装はピッチャーマウンドを立体的に拡張したような白いワンピースで、運動に適してはいなかった。しかし、袖を通しているその脳と肉体には、野球の動作に対する造詣の深さが宿されていた。力みなく足を上げると、猫のあくびのような、三角の頂点を水平移動させるような体重移動を見せた後で、回転のかかった球が私を目がけて向かってくる。
風を切る音も間もなく、強い衝撃がグローブ越しに走った。雨の降らない6月の乾いた空に、合皮を叩いた音が響き渡る。
ナイスボール。
それは意識して発した言葉ではなく、もはや口癖であった。水槽をたたかれるとびっくりして逃げ出す熱帯魚さながらの条件反射だ。
一瞬だけ、彼女の影と息子が重なった。
「そして息子はプロ野球選手を志した。ドロドロの変化球を操ってね。当時の野球界では話題になったものだよ」
身体的なハンディキャップを背負った人たちが専用にルールを調整した野球、またはその代替えとなる競技に挑む姿は今では一般的な話だが、息子の場合は逆だった。
息子から見たら、健常な野球選手達がハンディキャップを背負っていることになるのだ。
指が増えただけでは力学的に新しい方向の回転をボールに加えることは叶わなかった。完全に真新しい軌道の変化球を覚えた訳ではない――野球界の変化球に関する研究が発達していたという意味でもあるが――。
それでも、異次元とも呼べる回転を誇るカーブや完全無回転のナックルボールはCGみたいな曲がり方をしており、軟投派投手として、地元では敵なしと多くの打者を手玉に取ってきた。
地元紙や野球雑誌の切り抜きを集めたスクラップブックは2冊目に届こうとしている。
「で、ここからは君の知る通りだ」
私も負けじと先ほどよりも高く足を上げ、体重の偏りをより極端なものに試みる。ぐら、と視界が揺れ、軸足が早くも悲鳴をあげそうになっている。
現実はいつだって非情だった。その年、息子だけではなく新世児の第一世代と呼べる少年少女の多くが、文字通り人間離れした能力を持って各種競技界に参入した。
4本腕の柔道部、翼をもつ種族の高跳び選手、3人分の脳を持つ棋士、蜘蛛男と呼ばれる帰宅部……枚挙にいとまがない。
予見されていた筈の新時代への対応に遅れをとった既存の各業界は自分たちの怠慢を認めず、「団体ごとで上手に折り合いをつけるだろうと期待していた」、と釈明。
というのも、星際結婚が認められる以前から地球外生命体の移住は始まっており、全く違う文化圏で生活をしてきた彼らが人類のスポーツ業界に及ぼす影響はこれまで登場しなかった。生まれた境遇も文化圏も環境も種族も、何もかもが違うがために、それぞれが似たスポーツが文化として根付いたとしてもそれを口外することもなく、お互いに尊重した距離感を保っていたのだ。
これまで人類以外の生物が公的にアスリートとして参入したことはなかった。これからも変わらないだろう、と彼らは高を括っていたのだ。
しかし、彼らの目論見は外れ、この状況をフェアじゃないとして異を唱える組織が登場する。それが他ならぬ人類だった。各種競技会の会長が結託し新世児のアスリート参加に反対した。
彼らの主張の表向きは人類から活躍の場を奪う事で人類が衰退を始めてしまう事への危惧であったが、実際に問題視していたのは、その先に待つ自分たちの権力の失墜なのだろう。能力ではどうあがいても届かないことを暗に認めてしまっているという証左でもあった。
「あ、すまない」
バランスを崩したフォームから正しい投球は行われず、意図していない明後日の方向へとボールは飛んでいく。彼女の背を大きく跨ぎ、その後方へと落下する。
ジャンプしたところで届かないことを早々に判断した彼女は踵を返し、ボールの軌道を線でなぞるように後を追った。
転々と転がるボールが乗り捨てられていた戦車の残骸にあたり、彼女の方向へ引き返した。それを予見して追いかけるスピードを落とした彼女は勢いが死ぬ前のボールを捕球する。
空では戦闘ヘリコプターが編隊を組んで飛んでいく。さらにその遠くではスペースシャトルが火山の噴火を逆さにしたような、炎のおたけびをあげて宙へ旅立っていく。あのシャトル一隻につき一個中隊分のドローン兵が搭載されている。
6月の日本であるのに真夏のように気候がカラカラとしているのは、別惑星で稼働しているという天候操作機とやらの影響らしい。
今は戦時下である。このあたりも数ヵ月前まで激しい戦闘が起こっていた。
構図としては人類vs地球圏外生命体といったところだろうか。新世児達の扱いの是非から始まった人権問題の種火は深い対立を生みだし、陰謀は渦巻き、国家は踊った。そして、地球に移住してきた地球圏外生命体のなかでもとりわけ攻撃的な種族が他の種族を率い、「最終的に人類は地球から唾棄されるべき」と宣戦布告が叩きつけられた。
日々ジャーナリストや軍事評論家、ステルス能力を持つ種族によるSNSへのタレコミなどで新たな情報が判明した中で、ひとつの真実が明るみとなる。
もとより人類が地球外生命体を受け入れた理由は、最終的に人類が地球の外へと進出し生息域を広げるためであったのだ。
人類の新たな可能性に期待して始まった地球外への進出計画。それは平たく言えば、環境汚染などの理由で残された時間が少ないことを悟った人類が生き残る術として「他の惑星を支配する」ための生存戦略だった。
別の惑星の生物同士が分かち合うことなど最初から不可能だったのだ。そこに存在するのは生物学と文化の壁だけではなく、人類にとって一生理解たりえない、人類が地球にとどまる理由のようなものが、そこに大きく立ちはだかった。
乗り気であった、といえば言葉が悪いが、もとより武力に押し切られる程度では人類の存続は不可能であると理解していた権力者達の意向もあり地球連合は応戦を表明。持ちうる限りのすべての技術、兵力、資源を、地上と宇宙上の戦前へと送り込み始める。
当然、星際結婚で結ばれた夫婦は互いの母星に帰る事となり、多くの人たちが悲しみに暮れ、自決する者達さえ出る始末だった。
そのさなかで取り残された問題があった。新世児達の扱いだ。
人質という意味では地球に置いておくことを望んでいた国際連合であったが、そもそもの火種は彼らであったこと、人間と地球外生命体の子供である時点で完全に地球人ではなく、またどの星の子であるかも定義されないとして協議され、「一次的な選択権を本人にあたえ、決められない場合のみ親の間で取り決める」と決定される。人類の都合によって引き裂かれた家族たちは、その親権をどちらに譲るかという選択を求められたのだ。
「私はあなたの息子と同い年です」
遠い距離からの彼女の返球。羽根つきの一打目のような軽いフォームから、土煙を巻き上げかねないほどの速球が返ってくる。
ナイスボール。
「じゃあ、君も……」
質問と球を投げる。今度は慎重に。
「ええ、新世児です。私の親権も地球圏外側へ渡りましたが、今は”使者”を務めさせていただいてます」
答えとボールが返ってくる。今度は高い軌道からブーメランが旋回するようなカーブボールだ。
息子とのキャッチボールがフラッシュバックする。私は取り逃さない。その軌道はよく覚えている。
「使者、ねぇ。それは君の特殊な能力を買われてなのかい?」
彼女は答えた。
「私の父は不定形と呼べる存在で、”何者かになりすます”ことで他者に寄生する生き方をしていました。この星ではドッペルゲンガーや怪奇として括られていますが、父の惑星では主要な生態のひとつでした。その能力と人間の母の間に産まれた私は、任意の生物へ成りすます事ができます」
そして当の私達家族はというと、息子は妻の星へ引き渡した。本人の希望を尊重するよう決められているが、私は断固として地球に残ることを反対した。
さもありなん、ほぼ全ての新世児たちは地球を離れていった。その理由は明白で、そもそも彼らを排他することから始まった戦争だ。権利的に認められていたとしても、居心地が良いわけがない。
「ただし父の影響は半分なので、その生物へと完全になりきることはできません」
「それは、どの程度なんだ」
「せいぜい背丈や声や、動きの再現くらいまで」
次に私から帰ったボールを握りかえると、彼女は視線を落としてボールの縫い目にじっと視線を遣った。
この距離からでもわかる。ナックルボールの握りをはじめている。わしづかみのように指をかぎ爪がたに変形させている。指が多く見えるのはこの距離だから正確な情報がつかめないせいだろう。
「……悪用のしようがいくらでもある能力なので、許可のない使用は一切禁じられてましたけどね。今は特別です。戦時下ですから」
息子を地球外へ移住させた理由。それは、私は地球が戦争に負けると思っていたからだった。
――いや、高を括っていた。実際問題としてアスリート単位で見ても人類は劣っているのだ。きっと戦争の力でも叶う筈がない。そう信じて疑わなかった。
それなのに、なぜか、地球ないし国際連合は善戦を繰り広げている。移住してきた星の住民から秘密裏にデータを集め、自身が有利になるように戦いを進めているらしい。
まったくもって私の目論見は外れた。願わくば息子は人類の愚かなところは引き継がないでいただきたい。
球が放たれる。「落ちる球」として知られるフォークボールがなぜ落下するのか。それはストレートとは真逆の理屈で回転数を落とすことによって空気抵抗をうけ、重力にひかれていくためだ。
そのため、フォークボールとしての質を求めていくと、行き着く先は、無回転となる。
日本プロ野球ではじめてフォークボールを実戦に取り入れた杉下茂選手(1925~)も、フォークボールと呼ばれるが実際に放っていたのはナックルボールとなっていた、と知られている。
息子のこのボールは捕球できた試しがない。
左右に揺れながら、私を避けるのではなく私から逃げていくようにボールは向かってくる。私の手前30センチで地面に着地するとわかり逆シングルでの捕球を試みるが、砲撃や銃弾の雨でえぐれたアスファルトは不規則なバウントを生み出し、球を後逸してしまう。
「戦場に没された方をコピーして、親権を放棄された側の親元へ訪れ、その報告と断片的な”思い出の再現”を供与することを使命としています」
後ろを振り向く。今度は転がる線上にボールを跳ね返す障害物は何もなく、遠くまでころがっていってしまった。
「ああ、それで。君の投げる球は息子にそっくりだ」踵を返しながら私は言った。心の動揺を悟られないように、なんとか喉奥から絞り出した声だった。
「ご子息さんは、投擲兵としてご立派に戦われました。地球軍としてもまさか手榴弾が七色に変化するだなんて思いにもよらなかったでしょう」
よく似ている。フォームも、球筋も、回転も、フォロースルーも、仕草も。
彼女に泣き顔を見させないために、ここで取れない球を放るような行動原理も。そんな優しいところも。
終末キャッチボール 閂 向谷 @nukekannnuki
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