ロイド

「ドタッ」

 転職を考えていた為であろうか、私はけつまづいて転んでしまった。

「イテテテテッ」

体を起こしながらふと斜め上空を見上げるとそこに何かが浮かんで見えた。

しかし、起き直ってそこを見上げるとそれは消えていた。

「気のせいだったかな?」

 念の為もう一度、その場所で先程同様に今度は立って振り向くとそれはそこに存在した。

丁度3階建てのビルぐらいの高さであろうか。

色こそ違うが、人気漫画の秘密道具の様な扉が、私の斜め後方上空ににポッカリと浮かんでいるのが見えた。

「なんだあれは?」

 私の様子に街行く人々は私と空を交互見ていたが、どうも扉は私にしか見えてないらしく、皆、怪訝な様子で私の前を通り過ぎて行った。

 分かった事は、どうも扉は私を中心に常に斜め後方に浮かんでいる様である。

つまり扉が私の衛星の様に、私の斜め後ろを付いてまわるのである。

その証拠に電車の中でも外を見ると、斜め上空後ろに扉が付いて来ていた。


 会社への道中も扉は常に後ろに付いて来ていて、私は自分の精神状態を疑った。

ただ救いだったのは建物の中に入ると扉は天井で視界を遮られ、その存在を意識する必要は無かった。

 仕事を終え外に出ると扉は消えていた。

やはり、精神的な物であったのであろう。

私はとりあえず安心した。


 しかし、それが間違いだった事に私は直ぐに気が付いた。

数日は何事も無く過ごしていたのだが、また扉が度々現われたのだ。

 どうも扉は何か大きな決定などを考えている時に現れる様である事が分かった。

食事など何を食べるかとかそんな時は現れないが、人生を左右する出来事に遭遇すると現れる様である。

 初めて扉の存在に気が付いた時も転職を考えていたし、父の病気の時にもそれは現れていた。

後悔ばかりと言う事でもないが、まるでその選択で良いのかと問われている様である。


 私は何度か扉に触れる事が出来ないか考えてみた。

マンションの非常階段を使って扉に近づく事が出来ないか試したのである。

 しかし、私が階段を上がればその分、扉も上昇しただけだった。

高枝バサミの様な物で試した事もあったが周りから奇異な目で見られるだけであった。

そして扉は今も現れている。


 私は海の見える公園のベンチに彼女を横に座っていた。

斜め後ろ上空には扉が浮かんでいる。

「何を見てるの?」

「いや前、テレビ心理テストで自分の人生を振り返る時、どちらを向くかで色々分かるらしいんだよ」

とっさに私はでまかせを言った。

扉が見えると言ったら神経を疑われるではないか。

「じゃあ、私はどう?」

彼女は無邪気に振り向いて見せた。

「君は僕と違って物事をポジティブに考えるタイプだね」

「あら、何か心配事でもあるの?」

「無いと言ったら嘘になるけどね」

私は彼女に指輪の入ったケースを差し出した。


「ただいま」

「パパお帰り、今日はドアを開けたら楽しかったよ」

「ママに、お外に連れて行ってもらったのかい?」

「違うよ、目の前にあるドアの事だよ。恐竜がいたり、お菓子の家があったりするんだ」

「今日はずっとその話をしてるのよ」

彼女が微笑みながら答えた。

 しかし、私は二人の微笑ましいやりとりとは裏腹にぎょっとしていた。

「夢でも見たのかしら?」

「夢じゃないもん。ちゃんとあるもん」

「でも、そこの人が『あまり長くいると神隠しに遭うからもうお帰り』と言ったから帰って来たんだ」

「あら、神隠しなんて言葉どこで覚えたのかしら?将来は小説家や漫画家とかにでもなるんじゃないかしら?」

彼女は相変わらず微笑んでいる。


 夢か、そうかもしれない。

子供の頃は色んな夢があって、あらゆる可能性があって世界は無限に広がっていた。

だんだん楽しい事が増えて来て扉が視界に入らなくなり、

夢中になれる事が出来ると、今度は扉の存在を忘れてしまったのかもしれない。

 大人になると挫折する事や現実が押し寄せて来て、扉は視界から消えてしまい後方へ。

そしていつしか手の届かない場所まで上って行ってしまったのかもしれないな。

何事か成し遂げている人は、もしかしてそんな扉の存在を忘れなかった人ではないだろうか?

私はそんな妄想を駆け巡らせていた。


 病院のベッド、妻が横で介護してくれている。

体調も思わしくないし、先週は縁のあった人々等が顔を出してくれた。

もう、長くないのだろう。

 今も扉は上空に浮かんでいるのだろうか?

天井に遮られその存在は確認する事は出来ない。

結局、私は何か成し遂げる事もなく、扉に触れる事も出来なかったな。


「父さん調子はどう?」


 息子が家族を連れて見舞いにに来てくれた。

後ろには先日生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた奥さんの姿が見えた。

息子には子供の頃見た扉が今も見えているのだろうか?そう思った時である


「だぁ~っ」


 ふいに、赤ちゃんが空中に手を伸ばし何かつかもうとするように見えた。

その時、突然私の目の前にあの扉が現われた。

なるほど、私は妙に納得した。そして今、間違いなく扉に触れる事が出来る。


「あなた~、あなた~」

「13時05分、ご臨終です」

泣き崩れる彼女をいたわる様に医者が続けた

「気休めかも知れませんが、この何か成し遂げた様な、穏やかな満ち足りた表情」

「皆さんに看取られご主人は幸せだったのではないでしょうか?」

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ロイド @takayo4

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