第9話 貴族ごっこの日
「ただいまぁ。」
「あ、おかえりなさい。」
カフェでの女子会が終わり、夕飯の買い物をしてから17時過ぎに帰宅した。
基本的に人を呼ばないこの家では『おかえりなさい』だなんて聞いたことがない。
家に馴染まないその響きは空間のなかで少し浮いて、消えた。
リビングへ入るとまず、エプロンをつけてキッチンを忙しなく行き来する一瀬くんを見つけた。部屋には懐かしくて優しい香りが広がっている。香りが鼻腔を通り、記憶を刺激してくる。これは...
「オムライス、?」
「大正解。なんか今日は体調良いんだよね。材料もちょうど良かったしやってみた。」
お皿にケチャップライスを半球型に盛り付け、嬉しそうに(というより少しドヤりながら)その綺麗な半球を眺めながら言う。
「そっか、よかった。あ、横でサラダ作っていい?」
「ん。お願い。」
セミロングの髪を一つにまとめ、サニーレタスやトマト、キュウリを切っていく。
無心でひたすら切っていく。心の中のモヤッとした気持ちでさえ一刀両断にできるようで楽しい。
隣からはジュワッという音と共に甘い香りが立ち込めた。その優しい香りに思わずフライパンに目が釘付けになってしまう。
まだ熱が通っていない表面は黄金色に輝いており、キッチンの灯りを反射させる。
端の方は熱が通りふつふつと気泡が膨らんではしぼむ。また膨らんではしぼむ。
「ここからがポイント。」
菜箸を大きく広げ、卵の奥と手前をつまむようにして中央に引き寄せる。
そのままフライパンと菜箸をそれぞれ逆方向に同時回転させると、中央に美しいドレーブができる。その後少し焼いてからケチャップライスの上に滑るように落とすと、黄金に輝くドレスができた。
「うわぁ、すごい綺麗...!」
「そう?ならよかった。」
片眉を上げて満足そうにそう言うともう一つ作りにかかる。
片手で卵を割る仕草やシャッシャッと素早く混ぜる仕草、ドレスのヒダを作る仕草も何もかもがサマになっていた。流れるような作業はずっと見ていられそうだ。
もう一つ、ドレスが出来上がると周りにソースをたっぷりとかける。煮詰められたソースの赤色に黄金のドレスが映える。
「よし、完成!今回は大成功だな。」
「すごい!すごいよこれ!ドレスみたい...!」
「ではお嬢様、ディナーのお時間です。本日はドレスオムライスと季節のサラダでございます。オムライスにはお好みでバジルをかけてお召し上がりください。」
ボーイのような仕草でそう言うと、私の椅子を引いてくれる。
こちらも微笑みながら無言で頷いて座る。一瀬くんも向かいに座った。
自然な流れでグラスを手に取り、空中で少し掲げる。
口に広がる慣れ親しんだ麦茶の風味が”ごっこ遊び感”を助長させた。
結論から言うと、ドレスオムライスはとんでもなく美味しかった。
フワフワの甘い卵とコクの深いソースは互いの良さを高め合い、ケチャップライスも合わせれば慣れ親しんだ味の中に異国の情緒が感じられた。
───もちろん人参とグリンピースは入っていない。
「そうだ、ちょっと提案?なんだけどいいかな、」
今の和んだ雰囲気に流されてしまおうと思い口を開く。
オムライスを頬張りながら眉をクイッとあげて目があった。肯定として受け取る。
「落ち着いたら神戸行かない?」
「神戸?」
「そう。私の父親が神戸の大学病院で働いてるんだけどさ、そこの専門の先生に一回診てもらってもいいんじゃないかなって。紹介状も書いてもらえるからさ。
あ、別に全然全く強制じゃないから、」
彼の少し考えるような表情を見て、駄目っぽいな、と思った。
でも次に見るとなんだか嬉しそうな顔をして一人頷いている。
「うん。いいんじゃん。行こう。」
「え、いいの...!?」
「だって旅行ってことじゃん。俺めっちゃ楽しみ。」
正直、断るかと思っていた。特に過度な期待は寄せていなかったが、断られたらどうしよう、と思っていたのもまた事実。
「俺中華街で小籠包食べたいなぁ。確か動物園あったよな。美味しいパンも食べたいかも...。」
───観光は確定事項らしい。
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