三
茶漬け屋、水茶屋、菓子屋、居酒屋、煮売り屋、高級料亭、
ここの飯屋も美味い所が多いが、目的地はここではない。何度か道を曲がり、浅い小川沿いに並ぶ家々の内、一つを丞幻は親指でぐいと指した。
「ほら。ここ、ここ」
民家にも見える古びた店構えに、戸口に紺色の
「「にぎりまる!!」」
暖簾に白抜きされた店名を見て、童二人が声を揃えて叫んだ。きゃあきゃあと歓声を上げ、我先にと店内に駆け込んで行く。
丞幻は振り返って、少し離れた所に仏頂面で突っ立っている矢凪を手招いた。
「……美味いのか、ここ」
「めっちゃオススメ。二日にいっぺんは来てるぞい、ワシ。穴場だから、あんまり人も来ないしねー。待たずに座れてすぐ食べれるし、さいっこう」
暖簾をくぐって中に入る。小上がりの座敷が四つほどあるだけの小さな店だ。丞幻達の他には客が一人、戸口側の座敷で黙々と朝餉をかっこんでいた。
奥の座敷を陣取ったアオとシロに手招きされて、そちらへ向かう。草履を脱いで上がり込み、少し待つと老店主が膳を運んで来た。
この店にお品書きは無い。出るものはいつも決まっていて、店に入るとすぐにそれが提供される。
「とんじうー! おにぎぃー!」
「こーら、はしゃぐと豚汁こぼしちゃうでしょー。はい、おてて合わせてー」
「いただきます!」
「いたーきましゅ!」
「ほら矢凪、お前も。ウチでご飯食べる時は『いただきます』と『ごちそうさま』は基本よー。これ守んない子はもれなくおかずを半分に減らされる罰を受けます。七日ほど」
「…………いただきます」
渋々、といった様子で手を合わせる矢凪。うむ、と丞幻は頷いた。素直で何より。
ここで提供される料理は、拳骨程の大きさに握られた味噌と醤油の焼きおにぎりと、大きめの木椀に盛られた豚汁。
なんとも簡素なものだが、これがまた美味いのである。
どれから食べようか少し迷って、醤油の焼きおにぎりを手に取った。大口を開けてかぶりつくと、焦げた醤油の旨味が口内に広がった。程よく焼けた表面が煎餅のようにかりっとしている。
このかりっと焼けた所が、丞幻は一等好きだ。
「ほんっと、この外はかりかり中はふっくらもっちりって、どうやってできんのかしらねー。他の店で食べてもなーんか違うんじゃよねえ。お、なになに今日の味噌は生姜味噌? あー、味噌おにぎりも美味しいわー」
「おいふぃぃ!」
「アオ、口の中におにぎり詰め込むな。ほっぺたぱんぱんだぞ。ちゃんとごっくんしろ」
「もむ!」
隣に座るシロが、手を伸ばして正面のアオの頬をつつく。頬をぷっくりと膨らませていたアオは、こくこく頷いて手の中のおにぎりにかぶりついた。頬が一回り大きくなる。
シロがむむっと眉を寄せた。
「おい、アオ。なんで今また食べた? おれはちゃんとごっくんしろって言ったぞ。お前、今、おれが言ったらうなずいたよな? なんでまた食べた?」
「むむむー」
「なんで今度は首ふるんだ。どういう意味だ、こら」
「あー……豚汁うまー……」
童達のわちゃわちゃを尻目に、豚汁を一口。具材は豚肉と、玉ねぎと、豆腐だけなのだが、そこがまたいい。
汁に溶けだした玉ねぎの甘味を味わいながら、ちらと正面の矢凪を見た。こいつと自分と、食の好みが合っていればいいのだが。好みが違えば今後、飯屋選びに苦労する事になるので、なるべく似たようなものが好きであってほしい。
「おい爺さん、おかわり」
矢凪は綺麗に食べきった椀を突き出して、老店主に声をかけていた。皿にも米粒一つ残っていない。表情は仏頂面のままだが、気に入ったようだ。
心のネタ帳に、にぎりまるは良し、と記入。
「そういえば、今日はおそねちゃんお休み? おそねちゃんの白和え食べたかったんだけどねえー」
「え、えぇ……」
お代わりを持って近づいてきた老店主に、丞幻は声をかけた。半年ほど前からここで働いているおそねが、今日は姿を見せない。
何の気なしの言葉だったのだが、老店主は目に見えて沈んだ表情を見せた。矢凪の膳におかわりの豚汁を置いてから、丞幻に向き直る。
「あの、先生」
「なによぅ、改まって」
店主の喉がこくりと動いた。しゃんと伸びている腰を曲げ、丞幻の顔を覗き込むようにして、おずおずと問いかけてくる。
「先生は確か、その……怪異を見聞きできる力をお持ちでございました、よね…?」
「ん、まーね。急にどしたのん? なんじゃい、おそねちゃんてば怪異と行き逢っちゃった感じ? そんで障りでも出て寝込んでる? それとも怪異に攫われちゃった? あるいは家族が怪異に逢っちゃった?」
「ええ、実はその、この簪が道端に落ちてたってんで、届けてくれたお人がいて……」
そう言って、店主が懐から懐紙に包まれたものを取り出した。掌の上で、懐紙が皺だらけの指でゆっくりと開かれる。丞幻は上から覗き込んだ。
それは恐らく、おそねの花簪であっただろうものだった。
先から飾りまで焦げ付いたように黒ずんでおり、ぼろぼろとあちこちが砕けている。それでも、おそねのものと分かったのは珊瑚色の花びらが
おそねの髪で咲き誇っているそれをよく見ていたので、覚えている。
我関せずとばかりにおにぎりと豚汁をもぐもぐしていたアオとシロが、それに視線を向けた。シロの愛らしい顔がくしゃりとしかめられた。
「それ、やな臭いだな。怪異の臭いだ」
「うー……そぇ、きらい! やーや、きらい! やーの、やー!!」
鼻に皺を寄せて唸るアオに手を伸ばして頭をぽんぽん叩いて宥め、丞幻は軽く目を細めた。崩れた簪に黒い霧のようなものが絡みついているのが視える。怪異の放つ独特の
蛇のように簪に絡まるそれを見れば、おそねが何らかの怪異に遭遇した事は明らかだった。そうでなければ、こうも強く瘴気が残るわけがない。
「先生……お願いいたします……どうか、どうかおそねを見つけてやってはくれませんか。助けてやってはくれませんか。どうか……この通りです、どうか……」
皺に埋もれた老店主の縋るような視線が、丞幻に突き刺さる。震える手を合わせて拝む彼を見やった丞幻は、豚汁をもう一口
〇 ● 〇
店主の頼みを快諾し、店を出て早々に矢凪が呆れの色を多分に含んだ声を上げた。
「お人好し」
「なーに、急になによー」
「黙って奉行所にでも任せときゃいいものを、わざわざ請け合う道理もねぇだろうに。それともその女、てめぇの
「あのねえお前、ちょっと誤解してるわよー。ワシ別に、誰彼構わず助けるお人好しじゃないからね?」
戸口の前で話していては邪魔になるので、矢凪を促してそこから離れた。
ちなみにシロとアオは店を出るが早いか、さっさと駆けて行ってしまった。二人の好きな手妻師が最近、ここから近い神社の辺りで芸をしているらしいので、多分そこだろう。
まあ見た目通りの幼い童ではないので、あまり心配はしてない丞幻である。
「おそねちゃんは別に、ワシの色でもなんでもないわよー」
くちくなった腹をさすり歩く。丞幻は鼻下の髭を撫でつけつつ、口を開いた。
おそねとは、店で会えば挨拶し、世間話の一つや二つする程度の仲で、言うなればただの顔見知りだ。そこまで親しいわけではない。
しかし全く知らない人ならともかく、知った顔が怪異に襲われたという話に黙っているのは寝覚めが悪い。とはいえ、素直にそう言うのは柄でもないし、いささか恥ずかしいので絶対口にしないが。それに、おそねを見つけたい理由は他にもある。
矢凪が半眼でじろりと視線を向けた。
「じゃあなんで引き受けたんだよ」
「そこはそれ、やむにやまれぬ事情があんのよ。まあ小説のネタになりそうってのが一つね。もう一つがー」
「一つが?」
丞幻は口元に手を当てて、ひそりと囁いた。
「おそねちゃんの作る白和え、絶品なのよ」
「……」
「いやもうホントね、美味しいのよあの子の作る白和え。ワシが今まで食べてきた白和えってなんだったの、おがくず!? ってくらい美味しいの。それを二度と食べれなくなるのって、流石に悲しいからねー」
それに、とおどけて続ける。
「これがまた酒に合うのよ。しゃもじに塗り付けて炙るとねえ、清酒にもどぶろくにも合って酒が進む進む。小鉢一つで一升はいけるわよ、ワシ」
「おい、その女なんとしてでも見つけるぞ。死んでりゃあの世から引きずり戻してやる」
みしりと音が鳴るほど丞幻の肩を握りしめて、矢凪は宣言した。金の瞳がやる気に満ちて、宝石のように光り輝いている。
「……お前、やっぱり阿呆じゃない?」
「なんか言ったか」
「何でもないわよー」
やる気になってくれたのは結構なのだが、食べ物に釣られる助手のちょろさ加減が少し心配になった丞幻であった。
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