第14話 しののめ色の町

 まいごがその町に着いたとき、辺りはほとんど透けた、しののめ色に包まれていた。しののめとは夜明け前、あかね色に染まる空のこと。空気の澄んだ、風冷えのする晩秋だった。

 まったく、ひどい有りさまだ。まいごはぐるりと辺り見まわし、ひとりごちた。町筋には、老若男女がどこもかしこも横たわっている。寝ているのか、死んでいるのかもよくわからない。皆一様にやせ細り、小袖はだらしなく着くずれ、息づかいなんてものはすぐそばを歩いているのに、これっぽっちも聞こえてこない。

 町人たちの屍のような寝顔は、夜明けの薄明かりで黄赤色に照らされ、くぼんだ目やこけた頬には不気味な陰影が浮かんでいる。普通の町や村ではあちこちで湧き起こる朝の新しい会話なんてものは、ここにはどこにもありはしない。目抜き通りだと言うのに、乾いた枯れ葉がごみくずと一緒にそこらじゅうに散らばり、まいごが歩くたびにかさかさと音が鳴った。それはどこまでもこっけいで、得体の知れない光景だった。

 まいごは今、はっきりと北角のにおいを感じ取っていた。猫の嗅覚は人の数十倍、優れている。忘れもしない、おぞましく憎きあの男の放つにおいだ。

まいごは意識を鼻に集中させ、唇を引きあげながら、慎重に歩みを進めた。そして昔、自分が酒呑童子と化す前の若き修行僧であったころに天海和尚から聞かされた、あのときの話を思い出していた。

 思えばあれは、自分がひとりの人間として、天海と交わした最後の会話だった。そう、北角の策謀によって酒を鯨飲し、酔って村祭りの夜に暴れまわったあげく意識を失い、天海和尚に担がれて寺に帰ったあの屈辱の一夜の、明くる日の朝のことだ。

 北角との間に起こった一部始終を洗いざらい告白し終えた自分に向かって、それまでずっと黙って話を聞いていた天海が、突然こう切り出した。

 「北角はな、孤児だったのだ」と。

 まったくはじめて聞く話であったので、すかさずこう尋ねた。

 「わたしが以前聞いた話では、やつは、賭博にのめりこみ、借金をふくらませた父親が、口べらしのためにこの寺に送られてきた、と」

 天海和尚はきっぱりとした調子でうなずいた。

 「うむ。それは真の話だ。だが事はそう単純なものではない」

 天海和尚は夜の目も寝ずに、北角のことを調べあげていた。そして生い立ちや血族の続き合い、当時の暮らしぶりなどを洗ううちに、やつの心をゆがめてしまったのは、どうやら父親や兄弟との確執が原因であったことが次第に見えてきた、と話して聞かせた。

 北角は物ごころつく前に実の両親に捨てられた、みなしごだった。そののち、町一番の商家に丁稚として拾われ、他の小僧たちと一緒に使い走りや雑役をして口を糊していた。

 こじき同然の身のうえであったが北角だが、持って生まれた聡明さと、もの覚えのよさで、日を経ずして数ある丁稚のなかでも頭角を現しはじめた。やがて主人にも気に入られた北角は、十代半ばにして、店の差配(貸家の管理)や仕入方(商品や原料を買い入れること)、出納や帳簿の整理、同業者の寄り合いへの出席など、重要な業務を任されるまでになった。

 またひとたび店頭に立てば、その端正な顔と、生まれつき誰に習ったのでもないが、当意即妙な茶利(ちゃり / おどけた、こっけいな文句や動作、冗談)を披露して人気を博し、老若男女問わずたちまち店の前には人だかりができた。

 そのころの北角の人生は、順風満帆に見えた。だがそんな北角のことをかんばしくない目で見る輩がいた。それが北角と同い年の、店の主人のひとり息子だった。

 愚鈍であった実の息子は、実父が赤の他人である北角のことばかりをかわいがり、またまわりの者たちも後取りである自分を差し置いて、北角をえらくほめそやすので、日増しにいらだちをつのらせていた。

 そしてある日、息子の堪忍袋の緒が切れる出来事が起こった。父が北角を正式に養子にもらうと言い出したのだ。

 屈辱に震え、烈火のごとく怒り、口角泡を飛ばして猛反対する息子。だが父親の決心は揺るがなかった。それどころかでくの坊の愚息を嘆き、北角の爪のあかをせんじて飲ませる、などと言い放つ始末だった。

 果たして、すこぶる醜い復讐劇の幕が開けた。手はじめに息子は、父が大切にしていた骨董皿をこっそり割り、それを北角のしわざとまことしやかに吹いてまわった。父は当然、激昂したが、北角がすぐに腕のある焼つぎ師(陶器の割れた部分を白玉粉で焼きつぎする職人)のもとに駆けこみ、見事に直して見せたので、いくばくもなく怒りを解いた。

 次に息子が取った行動は、父の愛犬に手をかけることだった。けだもの屋と呼ばれる、当時、町で流行っていた様々な獣肉を鍋にして食べさせる小料理屋の板長を買収し、飼い犬を丸ごと鍋にして、父と北角に食わせようとした。そして鍋が空っぽになったそのときに、今食べたのは愛犬であったことを明かし、その一切合切の責任を北角に押しつけようと計った。

 幸いにも、心ある店の給仕の内通によって、その計画は未然に阻止されたが、どういうわけかその話は、父に誤ったかたちで伝わってしまい、北角はあらぬ疑いをかけられた。

 そこに追いうちをかけるように、次に息子の放った悪計は、まんまと功をそうした。息子はこの界隈で名の通ったいもり売りから、惚れ薬になると噂されるいもりの黒焼きを、大枚をはたいて購入した。そして父親が年甲斐もなく入れこんでいた遊郭のおいらんに喫させたのだ。

 効果はてきめんだった。適当な訳あいでその女のいる場所へ呼びつけられた北角に、遊女は激しく酔い狂った。落花流水のごとく、北角もあえなくその女に夢中になった。

 それを知った父親は北角に大激怒し、今すぐに親子の縁を切る、と叫んだ。北角を慕うまわりの丁稚たちの懸命な説得のおかげで、その場ではどうにかほこをおさめた父親だったが、その日を境に北角への風当たりは大層厳しいものになった。

 一切の禁足を命じられた北角は、想い人に会うこともできず、朝から晩まで父や息子から好きなだけののしられ、ただただ賎民のように働かさせるれるやるせない日々が続いた。

 その一方で父は、愛人を奪われた悲憤を、酒にぶつけた。朝っぱらから酩酊し、気分にまかせて使用人たちにあたり散らした。また夜な夜な賭場にも繰り出すようになり、丁半(さいころの出目の合計が偶数か、奇数かを予想する単純な賭博)や盤双六(すごろくの一種)に、際限なく金をつぎこんだ。若いころから仕事一筋であった父は、ばくちの遊び方も恐ろしさもろくに知らず、自分がまわりから鴨として見られていることにも、まるで気づいていなかった。

 やがて負けがこむようになると、父は高利貸しに駆けこんだ。店の番頭が、膨らみあがった借金のことを告げられたときには、あとの祭りであった。家はもはや商いどころではなくなっていた。

 ある日、北角はとうとう我慢ができなくなり、夜中にこっそり起き出すと、おいらんのいる遊女屋に走った。

 翌日の朝早く、おいらんの女は屍になって道端で見つかった。たまさかの逢瀬を楽しんだ帰路、夜道でひとりきりになったところを襲われた、ということだった。事件は、ならず者による行きずりの通り魔殺人、として片づけられたが、北角の目にはあの放蕩息子のしわざであることは、あえて言うまでもないことだった。

 血まみれで横たわる女の白い身体を、北角はやじ馬たちの目もはばからず抱き寄せ、むせび泣いた。何時間もそうしていた。

 そうした一連を経て、北角は悟った。この世は身分がすべてである、と。

 いくら頭脳に恵まれていようが、商才にたけていようが、生まれつきの身分が低ければ、なんの意味も有さない。反対に地位さえ高ければ、本人がとんちんかんであろうが、穀つぶしであろうが関係なく、すべてが自分の思いのままになる、と。

 程なくして北角が口べらしのために商家を追い出されることになったのは、本人としてはむしろ好都合であった。また送りこまれた先が、高尚な住職のいる山寺であったのもついていた。おかげで得難い法力や呪詛の類も、無銭で学ぶことができた。

 そこで体得した数々の能力は、自らの打ち立てた遠大な計画を進めるうえで、おおいに役に立った。

 北角の野望は、世の権力者たちを支配することであった。いずれは将軍をもを我が手中におさめようと企んだ。それがこの不平等な世界への復讐だった。そして生来の才知と、和尚から学んだ通力とをたくみに組み合わせ、次から次へと人を籠絡し、あるいは特殊な香煙を使って呪いをかけ生気を根こそぎ奪った。そうやって抜け殻のようになった者たちを自らの傀儡とし、牛耳をとっていった。

 北角は才や特別な能力のある人間をとりわけ標的に置いた。計画の進行をさまたげることになりそうな因子を、できるだけ排除しておくためだった。主に役人や職人、学者に教師、薬師や料理人などがその対象であった。

 北角が天海和尚のいる山寺を去ってからわずか数年の間に、覇権はひとつの藩を飲みこむ規模にまでに広がっていた。そのころになると平民の大半は北角に籠絡され、藩をしきる譜代藩主さえもが手玉だった。

 侵略はきわめて静かに、まるで痛みをあたえず身体中の血を吸いつくす蛭(ひる)のように進められた。そのため藩外にこのことが露呈するのにも、時間を要した。

 公儀への年貢の笑納や、参勤交代、天下普請(てんかぶしん / 江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事)といった義務も、これまで通りに果たされていたことも、事件の発覚を難しくさせていた。

 事態がそこまで深刻なものになっていようとは、今のまいごには知るよしもなかったが、北角がいまだ、げにも冷血きわまる悪行を行なっていることは、たどり着いたこの町の様子を目にすれば、明らかだった。

 北角、世に仇なす悪漢よ。今度こそきさまを成敗しよう。まいごは口にくわえた守り刀に誓い、辺りをおおう、心胆を寒からしめるこのにおいのもとを慎重にたどっていった。

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