しののめ金平糖
@tasuku-4
第1話 尻商人うにゃもん
その昔、旅日記うにゃもんという珍妙な名の男がいた。身の丈は六尺五寸(約197センチ)、腕や足の筋肉は山稜のように盛りあがり、岩のように角ばった肩の幅は、乳飲み子がまるまる三人、横ならびで寝そべってもすっぽりと収まるくらいであった。寝ぐせが雲丹のように飛び散った髪形に、南蛮人を想像させるうっそうとした口髭。ぎらぎらと光るつり目のうえには、大筆のような眉がどっかりとのっかっていた。
薄手の麻織の着物に、炙りすぎた五平餅のようなわらじを履いた装いは、春夏秋冬ひねもす変わらず、霜枯れの野にいても、その赤茶けた肌と苔がひっついたような胸毛は、いつでもむき出しだった。
この男、尻商人だった。尻、といっても本当に人や動物の尻を売り買いするのではなく、野獣や物の怪が巣食い、庶民が立ち入れないような野山深くで種々なる山の幸を採り集め、方々の町や村で露店売りする商のことをこの地方では尻と呼び、それを生業とする者を尻商人と呼んだ。名称の由来はさだかではないが、はじめてこの地で尻をはじめた男が売り歩いた品が、険難なことで知られる般妖が嶽(はんようがたけ)にしか生らないといわれる、それはそれは美しいお尻のような形の果実であったことからその名がついた、というのが巷でもっとも有名な話であった。
さて、秋も深まるこの日、うにゃもんは日が沈む前に山歩きを終えると、大振りな柳行李を肩にさげて山峡の村を訪れた。この季節にしてはわりあいに暖かい日ではあったが、夕暮れどきになるとうす寒い風が、村を囲む茶褐色の木立をざわざわと揺らしはじめた。
とろりと柔らかい夕日を背に、うにゃもんが村民に来訪を告げるため、でんでん太鼓を打ち鳴らして歩いていると、うにゃもんだ、尻商人のうにゃもんが来た、と村の広場には立ちどころに黒山の人だかりができあがった。
うにゃもんは広場までやって来ると、うえからにらみつけるようにして、人の輪のなかにずんずん歩み入った。そしてど真んなかにどっかりとあぐらをかき、もったいをつけながらおもむろに柳行李のふたを開けた。なかには溢れんばかりのいが栗がつまっていた。
うにゃもんは大きく息を吸い、どら声を張りあげる。
「見ろ。かの名山、飛露山のてっぺんで採れたばかりの栗じゃ。一玉十五文、さぁ、欲しいやつはわしの前に並ぶがいい」
栗はこの地方でも別段、珍しい食材ではなかった。だが、この年は近隣の山に住む紅天狗たちの気まぐれな乱獲により、出来のよい栗が手に入らなくなっていた。集まった村人は栗の山を、目を皿のようにしてのぞきこみ、口々に感想を漏らす。
「ほぉ、こりゃあなんとも大きい栗じゃ。こんなにでっかい栗は、ここんとこしばらくお目にかかったことがないぞ」
「あぁ、それに色もいい。さすがは飛露山の栗じゃ。さぞかし甘いんじゃろうなぁ」
「でもなぁ、一玉十五文ってのは、さすがにちと高くないか」
「そうじゃな。ほくほくの栗の味は恋しいが、わしゃあそんなには払えん」
「んだな。わしは買うてもせいぜいひとつか、二つくらいにしとこうかの」
うにゃもんは目をつむって、そんな村人たちの会話を黙って聞いていた。
うにゃもんは尻商人のなかでも、ひときわぬきん出た存在だった。それは下等な害獣や妖魔ならば一見でしっぽを巻くようなその風貌と、それに似つかわしい腕力と豪胆さで危険な山野へも臆することなく踏みこみ、希少で美味な食材を手に入れることができるという性来の能力に加え、もうひとつにこの男の商才があった。
ひとしきり続いた村人たちの声が止むと、うにゃもんはゆっくり目を開け、出しぬけに左の拳を天に向かって突きあげた。その手にはなにやら浅黄色の塊が握られていた。
「今日、栗を五つ買うたやつには特別に、駿州の国で獲れたこのでっかい干し貝柱をおまけするぞ。塩でゆでて、刻んで栗と一緒にもち米を炊けば、海と山の香りが口のなかにいっぺんに広がる絶品おこわのできあがりじゃ。ほれ、想像するだけでよだれが出てくるじゃろう。
なぁ、おぬしらどうせ、小うるさい役人どものせいで毎日、爪に火を灯すような生活を強いられとるんじゃ。年にいっぺんの刈り入れのときくらい、宵に浮かれてうまい飯を腹いっぱい食うても、ばちは当たらぬぞ」
途端に村人たちの表情が変わる。おぉ、という歓声が広場にどよめき渡る。
「うむ、そりゃあうにゃもん殿の言うとおりかもしれん」
「そんならおら、奮発して五つ買っちまおうかの」
「お、おらもだ。それでうんまいおまんま作って、おっ母を喜ばすべ」
「今晩は久しぶりのごちそうね」
「それに見ろ。あの貝柱もなかなかにでかいぞ。さぞかし滋味じゃろうなぁ」
「おこわなんてどれくらいぶりかの。思い浮かべるだけでよだれが出そうじゃ」
うにゃもんの目の前にはたちまち行列が出来あがり、柳行李はまたたく間に空っぽになった。皆、両腕に栗五つを抱え、一様に温顔で来た道を引き返していく。
うにゃもんは稼いだ金銭を腰にぶらさげた綿袋に乱雑に突っこむと、軽くなった柳行李を肩にかけ、どっこいしょ、と立ちあがった。このころになると天日はだいぶとかたむき、寂れた広場にひとつ、巨岩のような影法師が伸びた。
さて、腹が減った。いつもなら気まかせに山菜を採って、米と一緒に炊いて食すところだが、今は人里。せっかくまとまった金も手に入ったし、村の目ぬき通りにでも行って、適当な飯屋で喫することにした。
ひとしきり村のなかを歩いてみたが、この秋宵のなか暖簾を掲げている飯屋はたったの一軒、しかも見るからに流行っていなさそうな、古びたかやぶき屋根の店しか見つからなかった。
だがこの空きっ腹を抱えて今さら山に戻る気にもなれず、おまけに風も強くなってきた。このままだと、いくばくもなく夜嵐になるかもしれない。うにゃもんはしかたなく、そのくたびれた暖簾をくぐった。
板戸を開くと、さっそく給仕と思しき若い女と勘定場越しに目が合った。狭い店内に他の客の姿はない。
洗い柿のような色の女の着物は、古色を帯びてはいるが貧相な印象はなく、飾り気のない様子はむしろ潔く、利発そうな顔立ちを引き立たせている。痩身だが顔の血色はよい。とりたてて美人というわけではないが、十人並みの割にお体裁ばかりを飾り、中身がてんで薄っぺらいありがちな料亭の女給たちとは、どこか違う雰囲気があった。
女は最初、うにゃもんの外貌にいくらか驚いたようだった。初対面の人間は老若男女問わず、だいたい似たような反応を示す。だが女はすぐに表情をあらためると、弾んだ声で「いらっしゃいまし」と大男を招き入れた。
「娘。わしは今、たいそう腹が減っている。さっきから横っ腹が痛くてたまらん。今晩の献立はなんじゃ」
ぶっきらぼうな調子で奥の席にどっかり腰をおろしたうにゃもんは開口一番、割れ鐘のような声で尋ねた。
「へぇ。今宵は旬の山菜の炊きこみご飯に、豆腐とあかみず(山菜の一種)のおみおつけ、里芋とれんこんの煮物、なすの一本漬けと蕎麦粉でこしらえたお餅がございます」
女は歌う鳥のようによどみなく答えた。
「うむ、それすべてもらおう。どれも大盛りじゃ」
「かしこまりました。お客さん、晩酌はどうしましょう」
「酒は飲まん。水でいい」
「へぇ。少々お待ちくださいまし」
女はなめらかな卵のような顔一面に笑顔を浮かべ、しゃなりしゃなりと奥へ消えていった。
北向かいの少し湿っぽいにおいのする席から、うにゃもんはぐるりと店のなかを見まわした。宵の口、たゆたう行灯の明かりで浮かびあがる飯屋のなかは、見れば見るほどみすぼらしかった。この村自体はさして貧しいようではないのだが、どうしてこの店だけはこのような有りさまなのか。やはり飯の味が相当にお粗末で、実入りがよくないのではないか。早くもここを選んだことに後悔を覚えはじめていたが、その当て推量が誤りであったことは、時を置かずして明らかになった。
「粗餐ですが、どうぞ」
女が手際よく配膳した一汁三菜の味は、きわめて質素な見た目ではあるものの、味はどれも申しぶんなかった。うにゃもんはのっけから夢中になってほお張り、倍大の丼鉢で五杯目の山菜ご飯を残らずたいらげ、色のはげた塗り箸を盆に置いたときは、えも言われぬ幸福感で満たされていた。
水のおかわりを注ごうとする女給に向かって、うにゃもんは尋ねた。
「娘、この飯はおぬしが作ったのか」
女は卓上の器をまとめる手を休めずに答えた。
「あ、へぇ。ちょっと前まではおっ母と一緒にやっていたのですが、今はわたしひとりで」
「すべてひとりでか」
「へぇ、そうでございます。お口に合いませんでしたか」
女は手を止め、心配そうな顔つきでうにゃもんを見つめた。
「いや。うむ。最高じゃった」
うにゃもんは大杯の水をごぶごぶと飲むと、本心でそう口にした。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しい」
女がなでしこのように破顔すると、その頬にはつつましいえくぼが浮かんだ。そしてこう続けた。「お客さん、この村ははじめてですか。見たところお侍さんのようですが」
「いや、わしは尻じゃ。この界隈をなわばりにしとる。この村も幾度か訪れたことがある。今日も今しがた、そこの広場で商いをしてきたところじゃ。そこそこ顔は売れていると思っていたが、どうやらおぬしはわしを知らんようじゃな」
うにゃもんは卓のうえの爪楊枝に手を伸ばしながら尋ねた。
「すみません。ここで働いているとき以外は、たいがい家でおっ母の面倒を見てるもんで」女は決まりが悪そうな顔で、おっ母はちょいと厄介な病にふせてるんです、とつけ加えた。
「別にあやまることはない。わしなどしがない根無し草にすぎんからな。それはそうと、なにゆえこの店はこんなに閑散としておるのだ。こんなにうまい飯屋ならば、もっと客が寄せ来てもよいだろうに」
その途端、それまで晴朗としていた女の表情が曇る。
「お客さん、それは一文にもならない、あてこすりな質問でございますよ。わたしも板場のはしくれ。独力でかまどを起こした母より薫陶(くんとう / 教え導くこと)を受け、日々お客さんに喜んでもらう料理を献じようと汗水を流しております。それでもお客さんが寄りついてくださらないのは、きっとまだわたしの精進が足りぬからでしょう」
不快の念をあらわにそう答えたが、うにゃもんは得心がいかない。
「それは違うな。わしは小倅のころから尻を生業としてきたせいか、こう見えても味覚にはいくぶんか自信がある。おぬしの飯はどれも素朴だが、味は文句のつけようがない。客足が伸びぬのは、なにか他の理由があるのではないか」
女は頬を紅潮させ、整った眉根を寄せ、爪楊枝でしぃしぃ歯をこするうにゃもんを鋭くにらみつけた。
「人情の機微を解さない人はうとまれますよ、お尻さん。今、おあいそ持ってきます」
女は険のある顔つきで一方的に話を打ち切り、いかにも邪険に踵を返した。だが程なくして再びうにゃもんの前にやって来た女は、突としてこう切り出した。
「ねぇ、お尻さん。わたしからもひとつ、お尋ねしたいことがございます」
そしてうにゃもんの返事を待たず、言下にまったく予期せぬ発問を投じた。
「お客さんこそ、ただの尻じゃないのでしょう。ちょいと素性を聞かせちゃあくれませんか」
行灯の光が、薄暗い飯屋のなかで、女の頬骨の繊細な影を浮き彫りにする。うにゃもんは大きな目を真ん丸にし、先ほどまでとは別人のように薄笑う小女の顔をじっと見つめた。
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