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まきは一人暮らしだが、織人おりとの家や槙の実家とも近い場所に住んでいた。織人がよく槙の家を訪れるのも、通いやすいから、という理由もあるのだろうか。

槙の暮らすアパートは、六畳二間とは別にキッチンスペースと居間、風呂とトイレがついている。最初はワンルームでも良いと思って探していたのだが、近くに空きがなく、この部屋に行き着いた。織人が泊まる事も多いので、結果的には、この部屋を選んで正解だったのかもしれない。

ただ、槙はすこぶる家事が苦手で、ちょっと気を抜くと、部屋はたちまち散らかり放題になったりする。この部屋がごみ屋敷にならないのは、今日のように、時折織人がやって来て、色々片付けてくれるお陰だろう。


槙は、自分でも自宅の冷蔵庫の中身を把握していなかったが、織人は自身でも言っていたように、本当に槙の家の冷蔵庫の中身を把握していた。

それは、食材を買って詰めたのが織人であり、槙は全くといって良いほど料理をしないからだ。槙が冷蔵庫を必要とするのは、飲み物を取り出す時くらいで、食事は外で済ませたり、コンビニやスーパーで弁当や惣菜、カップ麺を買ってくるので、冷蔵庫に物をしまう事もそんなに無かった。それを織人は信じられないという目で見ていたのを、槙は今でもはっきりと覚えている。



織人はキッチンに立つと、勝手知ったる我が家の如く、手間取る事なく動いてる。冷蔵庫から材料を取り出したり、鍋に火を掛けたり、今は槙が使った事もない包丁で白菜を切り始めている。

槙はその様子を当たり前のように眺め、冷蔵庫からビールを出そうと手を伸ばしたが、さすがにマズイと思い直し、目的をウーロン茶に変えた。


いくら家族のような付き合いだからといって、生徒である織人にご飯を作らせ、目の前でビールを飲もうなんて、さすがに良い光景とはいえない。


危ない危ないと、ウーロン茶をグラスに注いでいると、織人はそんな事も分かっていたかのように、ふ、と笑んだ。


「今更そんな事気にしなくても。こっちは、教師じゃない頃から、ずっとあんたを見てるんだから」

「うるせぇ、俺の問題なの」


おかしそうに笑われ、思わず顔が赤くなった。


「そう言うけどさ、俺だってお前の事、ガキんちょの頃から知ってるんだからなー。俺の後ついて回って可愛かったのが、今じゃ…」


言いかけて、その姿を見上げる。思わず言葉に詰まった槙に、織人は不思議そうに「何だよ」と言うので、槙は逃げるようにキッチンから離れた。


「ず、随分生意気になったなーって思っただけ!」


ローテーブルに二人分のグラスを置きながら、槙は吐きたい溜め息を飲み込んだ。何だか織人の顔が見れなかった。

いつの間にか大人になって、格好よくなって。そんな男にキスされた事を思い出し、なんでいちいち赤くならなきゃいけないんだ、初めてじゃあるまいしと、槙はウーロン茶を一気に飲み干した。


「…まぁ、いいけど」


そんな槙の気持ちには気づいていない様子で、織人は不服そうに唇を尖らせていた。





「うまい!」

「そらどうも」


織人の作るご飯は、いつも美味しい。織人が作ってくれたのは、野菜がたっぷり入った豆乳うどんだった。

ローテーブルを前に二人で座り、対面の織人は炭酸飲料を飲みながら、満足そうに槙の様子を見つめている。

槙は食べる事が好きなので、いつもかきこむように食べてしまう。そんな槙に織人は笑いながら、「もっと落ち着いて食えよ」と言うので、これではどっちが年上か分からなかった。


「織人は、料理の才能があるよな」

「才能って程じゃないよ。母さんが出来ないからやってただけだし」


小さな頃からシングルマザーの家庭で育った織人は、母の負担を少しでも減らそうと、幼い頃から率先して家事に取り組んでいた。それを知っている槙は、自分ではやりたくても出来ない事を懸命にこなす織人を、偉いなといつも感心していた。それに感化され、槙も手伝いを申し出たが、余計に部屋が散らかったので、それからは傍観を決め込んでいる。


「いやでも、本当に。あの店で働き始めてから、もっと上手くなった。プロみたい」

「プロの下でレシピ通りに作ってるからだろ」

「それでもさ!こりゃ、良いお嫁さんになれちゃうな」

「うわ、そういう事言うのかよ」

「はは、冗談冗談」

「ここに、婿として来るならいいけどね」

「は…」

「冗談じゃないけど、これは」


思わず固まる槙に、織人はしたり顔だ。槙はさすがに戸惑い、苦し紛れに苦々しく織人を見上げた。


「…どこでそういうの覚えてくんの」

「あんたの事が好きって言っただろ」


真っ直ぐな言葉に、槙は織人の顔なんて見ていられず、まだうどんの残る器に視線を落とした。


「…昔は、だろ」

「だったらキスなんかするかよ」


やっぱりそうなのかと、動揺からうどんを掴み損ね、槙はぐるぐると箸でうどんをかき混ぜた。

だが、織人は何故こうも、怯む事も恥ずかしがる事もなく、好きだと言えるのだろう。

槙がちら、と織人の様子を窺うように視線を上げれば、織人が柔らかに微笑むので、槙は再び俯いてうどんをかき混ぜる事となった。

まさか、人の反応を見て楽しんでるんじゃないだろうな、と勘繰りたくなったが、それすら問い詰める余裕もない。だって、織人のあんな顔、今まで見た事があっただろうか。


「…鬱陶しいって言ったじゃん」

「それはあんたにムカついてるから」

「何なんだよお前は!意味わかんねぇよ!」


戸惑いやら困惑やらで、頭は完全にキャパオーバーだ。槙がテーブルを叩きつける勢いで顔を上げれば、織人は怯みもせず、ただその顔に少しだけ寂しそうな影を作った。


「だろうね、風呂入ってくる」


その織人の表情の真意を読めずにいれば、織人はさっさとこの話を終わらせて立ち上がってしまった。


「…は?泊まんの?」

「帰るの面倒だし」

「ならお母さんに連絡して…あ、俺が連絡した方が良いかな」

「別に良いよ、わかってるだろうし」

「心配するだろ。織人ん家は仲良しなんだから」

「うっせ」


織人は少し顔を赤くして、隣の部屋から自分用の衣服を持ってくると、さっさと風呂場へ向かってしまった。しょっちゅう来てるので、織人の物が槙の家には大体揃っている。二部屋の内、一部屋は、最早織人の部屋となっていた。


「…あんな顔してたら、可愛いんだけどな」


織人が風呂に入ってしまうと、槙は肩を落とし、再びうどんと向き合った。優しい味わいは、ほっとする温度を持って、槙を体の中から満たしていく。


最後はいつもと変わらないやり取りになった事に安堵したが、織人はやはり本気なのだろうか。

だとしても、槙には織人の思いを受け入れてやる事なんて出来なかった。


性別や立場以前に、槙はもう、恋をしないと決めているからだ。




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