5
時刻は夜の十時を少し回った頃、駅前の店はまだ煌々と明かりを灯しており、夜の町は賑やかだ。
飲み会の帰り、はたまた二軒目に向かうサラリーマン達を横切り、槙は表通りから一本裏手に入ったところにある、小さな洋食店へと向かった。ここは、
「…遅かったか」
閉店は十時だが、店の片付けや明日の準備をしている為、いつもなら店の明かりはついていた。だが、極端に客が少ない日は閉店時間を早める時があり、もしかしたら、今日がそうだったのかもしれない。
槙は仕方ないと肩を落とし、自転車を押しながら表通りに戻った。
そういえばお腹空いたな、何か買って帰るかと、コンビニへ目を向けた所、聞き慣れた声が耳に届いた。
「行かねぇ、今日は気分じゃないから」
あ、と思って振り返る。スラリと背の高い男の背中に、一目で織人だと分かった。
「良いじゃん!お前いると女の子が喜ぶし!」
「面倒だからパス」
「えー、最近付き合い悪くない?さては彼女でも出来たか?」
「そうだよ」
その言葉に、思わず駆け寄った足を止めれば、人の気配に気づいたのか、タイミング良く織人が振り返った。
「え、」
そして、後ろに居た槙を目にすると、その綺麗な瞳を驚きに見開いた。その姿を槙は呆然と見つめていたが、すぐにはっとして、織人を囲んでる少年達に声を掛けた。彼らも槙の生徒だ。
「…コラ!未成年がこんな時間まで何やってんだ!」
「げ!槙ちゃん!」
固まる織人をよそに、織人に絡んでいた生徒達は、さっさと織人から手を放し、罰が悪そうな顔をする。見た目はチャラついていても、中身は普通の高校生だ。もしかしたら、槙への信頼が、彼らにそんな態度を取らせているのかもしれない。
「新学期始まったばっかで叱られたくないだろ?ほれ、今日のところは解散!」
「ちょ、急に先生面すんだもんなー」
「残念ながら、元から先生ですぅー」
「でも槙ちゃん、この前、学生に間違えられてたよな」
「あ、鈴木!お前そういう事言うなよ!傷つくだろ!」
「傷つくのかよ」
「当たり前だろ!プライドがズタズタよ」
「ははは!あったのかよ、プライド」
「お前ら失礼だな!ほら、もう良いから、帰れ帰れ」
「はーい」
「鈴木と福本は向こうだな、…
「うわ、織人、御愁傷様ー」
「またなー、織人、槙ちゃん」
手を振る二人にひらひらと手を振り返し、槙は、さて、と織人を見上げた。
「俺らも帰るぞ」
そう槙が歩き出そうとすると、織人は絵に描いたように焦りを見せ、槙の前に回り込んだ。
「い、今の嘘だから」
「ん?」
「あいつらと遊びに行くの怠くてついた、嘘だから」
視線を合わせ、織人が懸命な表情を浮かべて言う。織人が言いたいのは、彼女がいるという発言についてだろう。
そりゃ、彼女がいるのに、さすがにキスしないよな。と、どこかほっとしている自分に気づき、槙ははっとして首を振った。
いや、ほっとしてどうする。どの道、彼女が居ようがいまいが、あれは子犬にじゃれつかれただけだ。
そう自分に言い聞かせ、槙は織人の元へ歩み寄った。そう、あれはこいつの単なる気まぐれだ。好きだと言うのも、もはや本心かどうか分からない。
「…帰るぞ」
槙は織人に声を掛け歩き出した。何も言わなかったが、それでも大人しくついてくる織人にほっとする。
でも結局、何されても織人を突き放すどころか、放っておく事なんて出来ないのだと思う。教師と生徒以前に、織人は大事な弟のような存在で、この思いはきっと、この先も変わる事はないのだと。
槙は、そう強く自分に言い聞かせていた。
いつもより静かな織人を連れて歩いていると、コンビニの前で槙は足を止めた。夜ご飯を買おうとしていた事を思い出したからだ。
「あ、ちょっとコンビニ寄っていい?」
「何か買うの?」
「腹減ってさ、晩飯まだなんだよ」
「なら俺が作るよ」
「え?」
「あんたの家の冷蔵庫の中は把握してるから、材料はあると思う」
「え、いや、お前は家に帰るんだよ」
「どうせ家に帰っても誰もいないし」
「…いや、でもさ、」
「それに母さんも、あんたの家なら安心だって、いつも言ってるし」
「いや、そりゃ有難いんだけど…」
幼なじみで独身の教師の家だ、思春期の息子を預けても不安はないだろう。何より、昔から家族ぐるみの付き合いをしてきてるので、織人とは本当に身内のような関係だ。その為か、織人はよく槙の家を訪ねていた。
「…分かったよ」
「そんじゃ、早く帰ろ」
今度は意気揚々と先を行く織人に、槙は内心溜め息を吐いたが、それでもいつも通りの姿に安堵する。昼間のあれは、やはり事故だと思おうと、槙は後を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます