妹に婚約者を取られたら見知らぬ公爵様に求婚されました／陽炎氷柱

序章 はじまりの夜③

　酔いが一気に醒（さ）めた。たっぷりその言葉の意味を吟（ぎん）味（み）して吟味してかみ砕（くだ）いて。結局、私の口から出たのは「はぁ」という極（きわ）めて簡単な言葉だった。

　いや、だって、意味が分からない。この男は、話には脈（みやく）絡（らく）が必要だということをご存じではないのだろうか。

「貴女はこのままだとその男と結（けつ）婚（こん）しなければならない。妹とも一つ屋根の下で暮らさなければならないし、社交界で陰（かげ）口（ぐち）を叩（たた）かれることになったら言い返せないでしょう」

「え、なぜ突然現実を突（つ）き付けるのです？　それも一つずつ丁（てい）寧（ねい）に。私に何か恨（うら）みでも？　それともモテないと言ったことを気にしているのですか？」

　呆（ぼう）然（ぜん）と固まる私をよそに、男は攻（こう）撃（げき）の手を緩（ゆる）めない。もうやめて、とっくに心はひん死よ。だけど、男は真剣な顔で続けた。

「貴女は一生屈（くつ）辱（じよく）に耐（た）えないといけないのに、妹君は頃合いを見て新しい相手を見つけるでしょう。素知らぬ顔で。もしかしたら、どこぞの名門貴族で第一夫人になるかもしれませんね」

「不（ふ）吉（きつ）なことを言わないでください！　本当にありえそうでたちが悪いです」

　私を気（き）遣（づか）うような使用人の目や妹の勝ち誇（ほこ）った顔、そして何事もなかったように過ごす婚約者の姿を想像して涙（なみだ）が出そうになった。あまりにも現実味がある妄（もう）想（そう）だ。

「だから私の存在が必要です」

「……話が見えないのですが」

『だから』の前後の文に脈絡がなさすぎる。今日初めて会った相手の行間を読むなんてできるわけがないのに、男の声はひどく愉（ゆ）快（かい）そうだった。

「ふふ、私にいい考えがあります。乗っていただけますね？」

　私の意思を問うているようで、答えを確信している顔。男の意のままに転がされているような気がして、思わずためらってしまいそうになる。

「私が信用ならないのでしたら断って頂いて結構ですよ。まあ、そうすると何の抵（てい）抗（こう）もできないまま不幸な未来へ一直線ですが。自ら茨（いばら）の道を選ぶとはいい根性ですね。尊敬します」

「いえ、ぜひとも貴方（あなた）様の素晴らしい考えをお聞かせください」

　一（いつ）瞬（しゆん）で態度を変えた私に、男は満足そうにうなずいた。

「なに、お互（たが）いに損はしませんよ」

　こうなればとことん利用してやると、私は新しく渡された果実水を一気に飲み干した。

　とはいえ、お互いの名前も知らないままじゃ話しにくいので、私たちは簡単に自己紹介をした。男にもの凄（すご）く変な顔をされたが。

　もしかして匿（とく）名（めい）の方が良かったのかと後（こう）悔（かい）しかけたが、男はすぐにイルヴィス・ランベルトと名乗ってくれた。爵（しやく）位（い）を名乗らなかったのは私がかしこまらないための気遣いだろう。私は相談する身の上だから、変に隠（かく）さずにアマリア・ローズベリーと名乗った。

「今日のこと、利用できると思うんです」

　さっきよりもやる気に満ち溢（あふ）れたイルヴィスが、指を一本立てて話し出した。

「まず、このまま私は酔った貴女（あなた）を伯爵家に送ります。するとご両親は、きっと貴女を心配して様子を見に来るでしょう」

「そうですね。まあどちらかというと、婚（こん）前（ぜん）の娘（むすめ）に間（ま）違（ちが）いが起きてないかに対してだと思いますが」

　この国では性別関係なく、家を継（つ）ぐのは長子が最優先される。だから両親は妹が何をしようが気にしないが、私の言動には神経質なまでに気を張っている。

　もし結婚間際の私が婚約者以外の男と帰ってきたら、間違いなく血（ち）眼（まなこ）になって関係を検（あらた）めるだろう。

「だからこそ、ですよ。ご両親に尋（たず）ねられた際、私は貴女に気があるように振（ふ）る舞（ま）います。もちろん明言はしませんよ。貴女には婚約者がいますので」

「は、はあ」

「そうすればご両親はきっと貴女に確（かく）認（にん）するでしょうから、あいまいに誤（ご）魔（ま）化（か）してください。そのうち向こうが焦（あせ）ってなりふり構わず動くはずですから、ご両親が浮（うわ）気（き）について口を滑（すべ）らせるように仕向けましょう。私、こう見えて口達者なんですよ」

　それはこの短い間でもよく存じ上げておりますとも。

「介（かい）入（にゆう）できる口実さえあればこちらのものです。あとはどうとでもできる」

　そう言って口角を上げて笑うイルヴィスの目は少しも笑っていなかった。他人（ひと）事（ごと）とはいえ、ずいぶんと物（ぶつ）騒（そう）なことを思いつくものだ。今さらながらとんでもない相手に相談してしまったのかもしれない。

「まだ結婚式まで余（よ）裕（ゆう）はありますよね？」

「はい。今回の騒（そう）動（どう）もありますので、露（ろ）呈（てい）しないように結婚式は少し時間を空けると思います」

「良かった。それなら私と過ごす時間もたくさん取れそうですね」

「えっ」

　手厚い補助に驚（おどろ）く私を気にも留めず、イルヴィスはにこにこと笑みを浮（う）かべている。まったく話の流れが掴（つか）めない。

「そうだ。この際、私と結婚すると言って、妹君と婚約者を結婚させてはいかがです？　貴族の結婚は契（けい）約（やく）。最終的に両家の婚（こん）姻（いん）さえ成立すれば問題はないでしょう？」

「いや問題しかないですよ」

「はて、何がいけないのでしょうか」

　イルヴィスの首をかしげる動作に合わせて、絹糸のような銀（ぎん）髪（ぱつ）がさらりと流れた。本当に疑問に思っているようだ。