歓迎会を終えた翌日の土曜日。


 朝を迎えた私はすっかり徹夜してしまっていた。本来ならばこれから朝食を摂りに行き自主学習に取り組むべきだったが、なんだかそんな気にすらなれなかった。

 徹夜したというのに眠気が強いわけでもなく、どこかフワフワとした感覚のままベッドの上でぼーっとしていると、出入口の扉がノックされるのに気付いた。


 その音にすぐに飛び起きて扉を開けると、そこにはペラさんの姿があり、朝だというのに素敵な笑顔で現れた。


「おはようカイア、昨日は楽しかったわね」


 朝から素敵な笑顔を見れた私は、思わず口角が上がった。こんな素敵な笑顔を自然とやってのけるペラさんは本当に良い人だ。


「はい、おはようございます」


「えぇ・・・・・・あら、目に少しクマが出来てるわね」


 ペラさんに顔を覗き込まれた。私はクマが恥ずかしくてすぐに顔を隠すと、彼女はそれでも覗き込もうとしてきた。


「実は昨日の夜から眠れなくて」


「まさか、昨日からずっと起きていたの?」


「えぇ、ですが徹夜は慣れているのでこれくらいは平気です、今日は休日ですから仮眠を挟みながらいつも通り過ごし、夜にちゃんと寝るようにすれば生活リズムは崩れないと思います」


 なんてことはない、本に夢中になって徹夜することは幾度かあるし、そうした際の過ごし方も心得ている。これくらいの事は私にとっては日常の一部だ。


「そう・・・・・・」


「はい、所でペラさん今日はどんな御用ですか?」


「えっ、あぁそうそう、朝食を一緒に食べない?」


 予想だにしない言葉に私は思考が停止した。それは徹夜明けのせいだといえばそうかもしれないが、それ以上こんなお誘いを受けたことのない私にとってこんなときどんな返事を返せばいいのかわからなかった。


「ねぇ、せめて返事くらいはして欲しいのだけれど?」


「いえ、はい、よろしくお願いします」


「ふふっ、何をうろたえているのよカイア、あなたがメイドをやっていたなんて嘘みたいね」


 思わず出た言葉にペラさんは笑いを交えて受け止めてくれた。


「すみません、メイドといっても出来損ないだったもので」


「そう、でも今はもうメイドじゃなくて私と同じ魔女見習いでしょ、楽に行きましょうよ」


「は、はい」


 こうして私はペラさんと朝食をともにとる事になった。食堂に着くと、すでに数人の人たちが食事をとっていた。

 そんな見慣れた景色を眺めながらバイキング形式で食事をプレートに乗せた後、空いている席に着いた。


 席につくと、隣に座るペラさんが話しかけてきた。


「ねぇカイア、せっかくこのベリル屋敷で一緒に過ごす仲間なのだからこれから仲良くしましょうね」


「えっと、私なんかと仲良くしてくださるんですか?」


「もちろんよ」


「しかし、ペラさんの様な方が私なんかと仲良くするのはいかがなものかと」


 私の言葉にペラさんは即座に首を傾げた。そして何か思いつめた様子を見せると私をじっと見つめてきた。


「うーん、カイアは随分とネガティブが染みついているようね。まぁ、無理にとは言わないけど私はあなたと仲良くしたい、そして私はあなたの反応を待っているだけ、返事をくれる?」


 単純明快な質問に、私はすぐさま「仲良くしたいです」と返答した。するとペラさんはニコニコと笑って手を差し伸べてきた。


「じゃあ握手」


「え、はい」


 差し伸べられた手に自らの手を恐るおそる近づけると、まるで餌を捕食するカエルの舌の様に、彼女の手が私の手を掴んだ。


「ふふふ」


 ペラさんは満足そうに私の手をしばらく握った後、手を放してくれた。そんな彼女の様子に、心の底からじわじわと何かがあふれてきたような気がした。その不思議なジワジワとしたモノは目元まで上がってきと思うと、突然目頭が熱くなってきた。

 すると、どういう訳かそのまま涙があふれてきた。どうやらジワジワの正体は涙であり、あまりにも突然の現象に戸惑っていると、私なんかよりもペラさんの方が驚いた様子を見せていた。


「ちょ、ちょっとどうしたのよカイア、お腹でも痛いの?」


 心配した様子で歩み寄るペラさんに、私はすかさず涙を拭いた。


「いえ、どうしてだかわかりませんが突然涙があふれてきて」


「えっと、私のせいだったり?」


「なんと言えばよいのでしょう、一つ言えるとしたらこの涙は決して悲しいものではないということです」


 物心ついた頃からたくさん涙を流してきた私にとって、これは今までに感じた悲しい涙ではなくその対極にある涙の様に思えた。

 おそらくこれが嬉し涙という奴なのかもしれない。そして、初めての感覚で満たされる体に嫌な感じは一切せず、流れ落ちる涙の数だけ私の体が浄化されていくような気がした。


「嬉し涙ということ?」


「そうかもしれません、あるいは徹夜したのでドライアイで涙が止まらないのかも?」


 何て冗談交じりの事を口にするとペラさんは笑い始めた。クスクスと笑う時までも上品な彼女はしばらくの間笑い続けた後、笑い疲れたように乱れた息を整えていた。

 その頃には私の涙も収まっており、入り乱れた感情が支配する騒がしい空間から落ち着いた静寂な空間へと戻った。


「はぁ、カイアったら本当におかしな人」


「あの、えっと」


「でも今のあなた、とっても自由だったわよ」


「自由?」


「えぇ、開放的で自分に正直なところがとても自由に見えた、それってとても素晴らしい事だと思うの」


「そ、そうでしょうか?」


「そうよ、人前で平然と涙を流せるなんてそう簡単にできる事じゃないわ、しかも握手しただけでよ、そんな人に私は今まで会ったことないわ」


 ペラさんの言葉に私は強く共感した。私もこれまでにペラさんの様な気さくな人に出会ったことがない。それ故の溢れ出す気持ちと涙だった。


「すみません、見苦しい所を見せてしまいました」


「いいのよ、それに私はあなたと同じ年で同じ屋根の下に住み、同じ釜の飯を食らう同胞よ。あなたの今の姿を見苦しいだなんて思わないわ」


 おおよそ同い年とは思えぬ言葉の数々に涙腺が緩みっぱなしな私とは裏腹に、ペラさんは素敵な笑顔を見せてくれていた。それはまるで、私が思い描く人間のあるべき姿を体現しているようであり、その姿に口元が少し緩んだ。


「さぁ、朝食を食べて立派な魔女になるために切磋琢磨しましょう、私たちはこの学校で一番未熟な魔女見習い、一日でも早く立派になりましょうね」


「は、はいっ」


 そうして私たちはようやく食事を摂り始めた。


 同じ年の人と朝食を共にするというのはあまり経験がない私にとって、こんな素敵な人との会食は一生の思い出になるほどの経験であり、一秒一秒を朝食と共にかみしめながら濃密な時間を過ごした。

 食事中のペラさんは静かに美しく食事しており、礼儀作法から何まで洗練されている様子は思わず見惚れてしまうほどに美しかった。

 しかし、そんなこともあって朝食の間はあまり会話もなくただただ食事をとった後、食堂を出る時にペラさんが突然何かを思い出したかのように声を上げた。


「あぁっ」


 突然の声に思わず腰が抜けそうになったが、何とか耐え忍んで叫ぶペラさんの方を見た。


「ど、どうかしましたか?」


「くぅーっ、しまったぁ」


 彼女はすごく悔しそうな声を上げ、しまったと言わんばかりに手で髪の毛をかきむしった。綺麗な銀髪がぼさぼさになるのを見て、私はすかさず胸ポケットにある櫛を取り出した。

 そうして、今まさに彼女の毛を整えなおそうかと思ったが、彼女のあまりに取り乱した姿を前に近づく勇気が出なかった。


「あのぉ、一体どうしたんですか?」


 そう尋ねると、彼女は苦笑いしながら私を見つめてきた。


「習慣っていうのは怖いわね、せっかくここに来たのだから自由気ままにあなたと朝食を摂ろうと思ったのだけれど、いつもみたいにつまらない食事をしてしまったわ」


「つまらない食事?」


 個人的にはとてもステキで優雅な時間を過ごせていただけに、彼女の言葉が私に対して向けられた皮肉のようなものなのではないかと不安になり始めた。


「黙々と音も立てずに食事するのってすごく気持ち悪いでしょ?」


 数秒前の私の不安は一気に消し去り、ペラさんという人の一部を垣間見ることができた私は彼女のギャップにますます惹かれた。


「そ、そうでしょうか?私が知る食事風景というのは皆さま静かに食事しておられましたが」


「そうかもしれないわ、でも私はそれが嫌でしかたないの。だから昨日の歓迎会はとても楽しかったわ。皆が自由に話し合いながら、楽しそうに好きなものをむさぼる。それはまるで楽器を演奏しているかのようにこぎみ良く音を立てながらの食事だったわ。私が求めていたのはあれだったの」


「そうだったんですね」


 思えば私も、昨日は不思議と気分が高揚するような気持ちを感じていた。これがペラさんの言っている事なのかもしれない。


「えぇ、それなのに私ときたらせっかくのあなたとの食事で何も喋ることなくつまらない朝食を摂ってしまった・・・・・・本当に最低よ私」


 落胆した様子のペラさんはどこか弱々しく、そして愛おしく見えた。


「そ、そんなことありません、私はペラさんと食事ができて楽しかったです」


「本当?」


 ペラさんは暗い顔をしながら私を見つめてきた。実際、誰かと食事をすることが好きな私はペラさんと共に朝食を摂れたことがとても嬉しかった。そこに会話が無くても誰かと共に食事をするのは楽しいものだと知ることができた。この経験はペラさんによってもたらされた貴重な体験であり私の大切な宝物だ。


「勿論です」


「でも私が納得できないわ」


「へ?」


「よしカイア、もう一度朝食を摂りなおしましょう、今度は楽しくお喋りしながらよ」


「え、えぇっ」


 ペラさんは拳を高々と突き上げて、天に誓いでも立てるかのようにそう言って見せた。

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