思いあがるのは昔からよくあることだ。けれど、それもこの年にもなれば多少はその浮ついた心を自制できる。

 この高鳴る鼓動は、これから始まるかもしれない幸せの日々への期待と悲惨な日々への本能的な危機を察知しているという、相反する両者が存在しているのかもしれない。

 

 そして、後者の方が私の人生において多く経験したものであり、そんな状況に心の落ち着きを取り戻すためにベッドへ身を投げた。柔らかく包み込まれる体を少し縮め、小動物のように丸くなると、物思いにふけりやすくなる。

 これからの事、そしてこの独居屋敷にアルバ様が来られたこと。そうして物思いにふけった瞬間、私の心はどうして高鳴るのかという疑問の答えが出た。


 おそらくだが、アルバ様によるものだろう。


 そう、彼こそが私を最も高揚させる存在。彼無くして今の私は無い、彼に出会えたからこそ私はここに居るのだ。

 本当に多くの人に感謝しなければならない人生、このご恩を必ず返さなければならない、そうしないことには私は死んでも死にきれないだろう。


 しかし、アルバ様を思えば思うほど今すぐにでも挨拶をしに行くべきだろうという思いがあふれてきた。本来ならばここに入学したと同時に挨拶しに行くべきだったが、奥手な私はそんな事すらできずにいた。

 けれど今は違う、同じ屋敷に身を置き少し歩みを進めれば会いに行ける距離にいる。とても近くにいるのにとても遠い存在、そんな言葉が思い浮かぶような状況の中、ウズウズとする体と心はまるで彼のために存在しているかと思ってしまうほどだった。


 しかし、その思考に至った瞬間に自らの脳内で繰り広げられる自分勝手な妄想が客観的に気持ち悪い事を察し、途端に自己嫌悪に陥った。頭を抱え、足をバタバタと動かし自らの思考を散らすかのように悶えていると、徐々に心が落ち着いてきた。

 ポーっとする頭、どこか幸せのかけらを掴んだかのような、そんなフワフワとした気持ちで胸元のネックレスを握りしめた。


 そんな時、私は唐突にモモちゃんが先ほど言っていたことを思い出した。


「召喚魔法を見せてって言われても、私はただこのネックレスに祈っただけだからなぁ」


 思わずつぶやきながらネックレス胸元から取り出し、ぼんやりと見つめた。それはらせん状になった角がモチーフであろうネックレス。

 私が長らくお世話になった大角家の当主の大角雄才様からこれを頂いたときに「これはお前のものだ、大切にしなさい」と言われ、とても嬉しかったのを思い出した。


 思い出すと頬がゆるむ私は、試しにネックレスを握りしめて、入学式の日を重ね合わせるかのように願ってみた。


 例えそれが魔法界における禁忌だったとしても、才能すらない私にとって、これだけが魔法学校に残ることができた唯一の秘法だ。そう思うと私は願うというよりも感謝の言葉をつぶやいていた。



 すると、私の言葉に呼応するかのようにそれはかすかに光始めた。


 やがて私の視界を埋め尽くすほどのまばゆい光を発した。見覚えのある光景に、もしかするとまた入学式のように大きな一角獣が出てくるかもしれないと思った私は、自分で始めたにも関わらず、そのの光を抑え込もうと躍起になった。


 しかし、それが効果的なのかどうかすらわからず、ただただ慌てていると光が収まり始めた。徐々に戻る視界の中、私の目の前には不思議な光景が待っていた。

 それは手のひらにでものせられそうな小さな白馬、いや角の生えた一角獣がのんきにあくびをしながら座り込んでいたのだ。そして、一角獣は辺りをキョロキョロと見渡した後に私を見つけた。


「む、おぉっ、カイアではないか」


 一角獣は明確に人の言葉を喋って見せた。そして、まるで私を良く知っているかのような様子で歩み寄ってきた。


「あ、あのっ、えっ?」


「驚くこともないだろう」


 確かに、ここに来てすぐに喋るフクロウを目にしているから一角獣の言葉はその通りかもしれないが、それでもこの光景は誰が見ても驚きを隠す事はできないだろう。


「あの、あなたは?」


「あぁ、こうして互いに顔を合わせて話すのは初めてだったな」


「え、はい」


「私はかつて人間界とつながりを持った深遠に住む幻獣である」


「幻獣?」


「そうだ」


「その、もしかしてあなたが入学式の日に私を助けてくれた方ですか?」


「カイアの呼び声に応じたまでだ、もしも、あの時君が呼んでくれなかったとしても、あの状況なら無理やりにでも君を助けただろう」


「じゃあ、あなたが私を助けてくれたんですねっ」


 目の前の小さな一角獣、それはあの私を助けてくれた存在、その存在にどう感謝すればいいのかと考えていると、一角獣はトコトコと私に歩み寄ってきていた。そのあまりに可愛らしい様子に思わず一角獣に手を差し伸べると、何の躊躇もなく私の掌に乗ってきた。


「うわぁ」


「失礼するよカイア」


 一角獣は私の掌でくつろぎ始めた。その様子があまりも愛おしく思わず一角獣を撫でると、フワフワとした感触が指先に感じた。

 さわり心地が良く夢中で撫でていると一角獣は気持ちよさそうに私の指先に頬ずりしてきた。


「か、かわいい」


「ところでカイア、君はどうして私を呼んだんだい?」


「あ、いや特に意味はないのですが、すみません」


「そうか、気にすることはない、気軽に呼んでくれると私も嬉しいからな」


「本当ですか」


「もちろんだ、しかし人前では気を付けるべきだ、私は今の世界では歓迎されていない、もちろん私の事も誰かに話すべきではないだろうな」


「あ、はい」


「それに私に勘付く輩もいるだろうからね、なるべく最小限の存在で君の前に現れたつもりだが、敏感なものは気づくかもしれないな。

 まぁ、そんな素質を持ったものがここにいるかどうかは怪しいが、この場所でいないと断言するのは少し無理があるかもしれない」


 小難しい事を言っている気がしたが、とにかく一角獣を呼び出すときには注意が必要なようだ。


「あの、ところで、あなたはどうして私の事を知っているんですか?」


「その質問に対する答えはいたって簡単だ、それは君がとても美しい女性だからだ」


「え、えぇっ?」


 生まれてこの方そんなことを言われたことがない私にとって、その言葉はたとえ種族が違うであろう一角獣に言われたとしても、とても嬉しい様な気恥しいような言葉だった。


「驚くことはない君は美しい、私はそんなカイアに惹かれたのだ」


「しかし、私はあなたが思うような美しい人ではないです」


「いいや、私は美しいものには敏感でね、君が生まれたその瞬間に君の元へと舞い降りたといっても過言ではない」


「そんな、冗談ですよね」


「いいやカイア、君はもっと自分に自信を持つべきだ」


 優しい目でじっと見つめられながらそう言われると、私は思わずその言葉を信じたくなってしまった。しかし、どこか心の奥底でそんな浮かれた気分に離れない自分がいた。


「私なんか、それよりもあなたのお名前は何というんですか?」


「私に名前は無い、ただの幻獣それだけだ」


「そうなんですね・・・・・・」


 名前がない、どう呼んだらいいのかわからないのは悲しいものだと思っていると、まるで私の気持ちを察したかのように一角獣がすり寄ってきた。


「憐れむことはない、私の様な存在はもともと名を持たない、しかし時として名を与えられることはある、君の様な存在からね」


 一角獣は私の目をじっと見つめてきた、それはまるで何かを期待しているかのような様子であり、私は思わず息を飲んだ。


「えーっと・・・・・・」


「君になら、どう呼ばれてもかまわない」


「それはつまり、名前をつけてもいいという事ですか?」


「もちろんだ、深く考えなくてもいい、直感で構わない」


 私はその言葉にを鵜呑みにして、深く考えずにぼーっとリラックスした状態で一角獣の名前を決めることにした。

 本当にこんなことでいい名前が思い浮かぶだろうかと思いつつも、できる限り自然な状態で名前を考えた。


「・・・・・・スー」


 すると、突然私の口から音が漏れ出た。


 決して息を吐いたわけではない、けれど名前を考えている最中、まるで勝手に口から言葉が出てきた様な感覚に、一角獣は大きく深く頷いた様子を見せた。


「それでいい」


「え?」


「私の名前は今日からスーだ、いつでも呼んでくれカイア」


「え、はいっ、よろしくお願いします、スー」


 なんだか変な成り行きだが、個人的には悪くない名前だと思っていると、スーは突然何かを察したかのように私の掌で立ち上がった。そして、部屋の入り口方向へと視線を向けた。

 その様子はまるで見えない何か、幽霊でも見えているかのような不思議な状況だったが、スーは確実に何かを察しているかの様だった。


「まったく、せっかくの素晴らしい時間だというのに、もう戻らないといけないとは」


「え?」


「いつでも会える、気が向いたら私を呼んでくれカイア」


 すると、スーはまるでネックレスに吸い込まれるかのようにその姿を消していった。スーの様子に疑問を感じていると、突然大きな音が鳴り響いてきた。

 それは「ドンドンドン」とまるで何かを強くたたくような音であり、その音に交じって人の声の様なものも聞こえてきていた。それは間違いなく部屋の入口の方から聞こえており、恐怖すら感じるほどの音に私は思わず委縮した。


 一体何事だろう、そう思いながらいまだ鳴り続ける入り口の扉へと近づき扉を開けると、そこにはアルバ様が立っていた。


「・・・・・・え?」


 少し息を荒げながら私の前に立つアルバ様は、鬼気迫る表情をしており、なぜか後ろにはモモちゃんとペラさんもいた。モモちゃんはニヤニヤとした笑顔で私を見つめ、ペラさんは少し心配した様子で私とアルバ様を交互に見つめていた。


 これは一体何なんだろう?


 そう思い、とりあえず部屋を出て扉を占めると、それと同時にアルバ様が突然私に歩み寄ってきた。その様子に私は思わず後ずさると、しめた扉で背中と後頭部を軽くぶつけてしまった。しかし、そんなことはお構いなしにアルバ様は私との距離を詰めてきた。


「どういうつもりだ」


 それは、まるで何かに怒っているかのような凄みのある声色だった。


 その声に思わず心臓が縮み上がり、自らの失態を思い出そうとしたのだが、アルバ様に対する粗相を思い出せずにいると、彼はより一層私を睨みつけてきた。

 それは、私が知るかつてのアルバ様の様子とはかけ離れており、まるで私を親の仇か何かのように見ている様だった。


「あの、アルバ様、私にはこれがどういう事かわかりません」


「気安く俺の名を呼ぶなっ」


 アルバ様はものすごい剣幕でそう言うと、私の口をふさぐかのように手を突き出してきたかと思うと、背後にあるドアにその手を打ちつけた。


 『ドンッ』という音が左耳に響き、そして目の前には怒ったアルバ様の姿。


 いったい私は何をしてしまったのだろう?そんな事を思いながら、ただただ小声で謝罪の言葉を述べていると、ペラさんが間に割って入ってこようとしていた。

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