自室を飛び出して向かったのは授業が行われる教室の前だ。


 扉を隔てても騒がしい喧騒が聞こえてくる教室を前にして、一息ついた。女性の甲高い声が良く響き渡っている教室前ではどこか緊張する。

 人によっては心地の良いものに聞こえるのかもしれないだろう。しかし私にとっては今すぐにでも耳をふさぎたくなるほどの気持ちの悪い音だった。


 意を決して教室の扉を開けた。視線はできる限り下へ、誰にも挨拶することなく席に座ることを第一目標とする。

 そうして速足で歩いていると、それを遮るかのように私のうつむきがちな視界に黒のミニスカートからのびた白い足が現れた。

 肩幅ほどに開かれたその足の開き具合は、その人自身の性格を表しているようでありそして幾度となく見てきた光景に間違いなかった。


「ちょっとちょっと、何してるのかしらぁ?」


 心に突き刺さるような鋭い声、その声に私はドキリとした。


 もうここに来てから何度も聞いているのが、いつまでたっても慣れない声。それどころか日を増すごとにその声の切れ味は増しているような気がする。

 視線を上げたくない、しかし私の顔はまるで無理やり持ち上げられるかのように自らの意志に反して持ち上げられた。


「うぅっ」


 首にかかる負担にたまらず声を上げると、キャッキャッという子どものような笑い声が聞こえてきた。目の前には杖を片手に不敵に笑う女の姿があった。


「ねぇ、朝のご挨拶はぁ?」


 癖の強い赤毛をゆらゆらと揺らし、人を小ばかにしたような笑顔で私を見つめるその人は、私が返事しないことにいら立ちでも感じたのか杖を一振りした。

 すると私の体に異変が起きた。それは、徐々に私の体に重しをつけられていくような感覚、もちろん私の体にそんな重しがつけられているわけでもない。

 それなのに足がガクガクと震え始めて、謎の重量感に私はなすすべなく地面に這いつくばった。

 体が痛い、まるで上から誰かにのしかかられているかの様に体が身動きができない。


「う、うぐぐ」


「うふふふふ、床に這いつくばるあなたの姿、とってもお似合いよぉ」


 苦しくて息がしづらい、床に押し付けられるってのはこんなにも苦しいものだなんてここにいる人達は知らないだろう。そして、こんな光景が繰り広げられているというのに誰も私を助けてはくれない。

 おそらく周りにいる人間はこの光景を見て、自分がいかに幸せな立場にいるのかを再確認している事だろう。

 中には、私のために同情し感情移入でもして怒ったり涙を流してくれる人もいるかもしれない。


 しかし、それらは先にも言ったような自らの立場を測り、守りたい欲求によって遮られ誰も助けようとはしてくれない。あんな風にはならないようにと、まさに他人事のように傍観している事だろう。

 今更期待しない、私を助けてくれる人などこの学校にはいないの分かっている。いや、明確には『私が悪い』のだろうから『助ける』なんて表現は間違っているのだろう。


「ねぇ、どうしてあなたが私たちと同じように授業を受けようとしたの、ねぇねぇどうしてぇ?」


 何度も言う必要があったのだろうか、そう思えるほどいやらしい言葉をぶつけてくる彼女はケタケタと笑っていた。恐ろしい笑顔だ。

 しかし、魔女を目指す者としてはこれほどふさわしい笑顔はないと言ってもいいだろう。そして、その笑みは少なからず私を恐怖のどん底に突き落とそうとしてきた。


 今まさに恐怖のどん底へとつながる穴の淵、崖にでもぶら下がっているような状態だ。手を離してしまえば自らを恐怖の感情で塗りつぶせる、恐怖を怯えた自分を演じられる。

 そうすれば目の前にいる赤毛の彼女は、恐怖に打ち震える惨めな私の様子に満足して、この苦しみを少しでも早く終わらせてくれるかもしれない。

 しかし、私という奴はその手を離すことができずにいた。むしろ、こんないけ好かない女を満足させてやるものかとさえ思っていた。


「ねぇ、答えなさいよぉ」


 この問いにもはや応える必要もない、何故なら答えようが応えまいが私に訪れるのは同じ運命。結局彼女は私の体をいたぶるだけだからだ。


「答えろよっ」


 突如として口調が荒ぶる。こうなってしまえば淵につかまっているのも大変だ。

 彼女は恐怖というものを自在に操ることができるのだろう。違った形の恐怖で私をいたぶり楽しもうとしているらしい。はたまた純粋なる嫌悪感からかもしれない。

 

「何でお前みたいな奴が私たちと一緒にいるんだよっ、とっとと消えろよ汚らわしいっ」


 罵声を浴びせられた後、わずかな沈黙が教室を包み込むと、そのすぐ後に『ゴーンゴーン』という音が鳴り響いた。それと同時に私にかかっていた苦しい重量感は取り払われた。


 あぁ、私を救ってくれるのはいつもこの鐘の音だ、人じゃない鐘なんだ。授業開始を告げる大きな鐘の音、私はさながら格闘技のリングに無理やりあげられる素人だ。

 勝ち負けなんかじゃなく一秒でも早く鐘の音が鳴り響いてほしい、この場から解放されたい、そんな気分だ。そうすれば私はこの痛みから解放される。


 他人から見れば私を痛みと屈辱にまみれていると思うだろう。だが、私を苛むのは痛みのみで、この貧弱な体が悲鳴を上げるだけだ。

 屈辱なんていう人間味のある感情など、とうの昔に忘れてしまっている。いや、それを決定的にさせたのはこの学校に入学したその瞬間かもしれない。


 忘れもしない、この短き人生で最大の出来事だ・・・・・・

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