34667号
Slick
第1話 新しい区画へ
34667号の存在における『目覚め』とは、以下の通りである。
彼は電子の海を漂っている。そこは仄暗く、時折サージの閃光が煌めくだけの虚無な空間だ。
電源を落とした状態なので、限られた感覚もほとんどが遮断されている。身体の一部が欠けてゆくような虚しさを纏い、彼は無限の空間を揺蕩う。己が『機械』という代替可能な存在であることを思い知らされるとともに、その確立した存在意義に安心感すら覚える。
そしてこの偽りの夢を、いつまでも泳いでいたいと思った。
だが、その願いは叶わない。
『34667号?』
遠くから声が聞こえる。目覚める時は、いつか必ずやって来る。
『おい、聞こえているのか?』
でも――、いつか、きっと。
『――あぁ』
今は起きなければならないけれど。いつか必ず、もう少しで――。
私の機能停止日まで、あと30日。
『いま、起きる』その言葉を胸に刻み、彼は
□ □ □ □
『この作業班では間違いなく、お前が一番寝覚めが悪いな?』
充電室での虚空な眠りから覚醒すると、先に起動していた同型の機械たちが彼を見下ろしている。『まったく不思議だよな。機械の俺たちが、寝覚めに差があるなんてよ』などと、口々に言い合っていた。
『夢を見たい、と願うこともある』34667号は、膝を丸めた充電姿勢から立ち上がりつつ言った。『だが私は、知らないほうが良いのかもしれない』
『? お前寝ぼけてんのか? 意味が分からん』隣のドロイドが、ガクンと首を傾げたので、
『そうだろうな』彼はそう、生返事をした。
『オイ、お喋りは後にしろ』
班長のドロイドが、狭い充電室の入り口から班員に声を掛けた。『どうやら今日は、新たな指示があるみたいだぞ』
『あぁ、また配置換えですか?』ドロイドの一体が、うんざりした声を上げる。『この工場に送られる需要も、もっと安定してくれても良いんですけどねぇ?』
『俺に文句を言うな。多岐にわたる工業ドロイドの中でも、俺たち溶接対応は使い勝手がいいらしいぞ。つまりその分、価値があるってことだ。……ありがたく思え』班長の言葉は、にべもない。
『また新しいマニュアル覚えんのかよ』そのドロイドは、ぶつぶつと文句を言っていたがしばらくは黙った。
新しいセクションか……。34667号は、後頭部から充電ケーブルを抜きながら同僚の会話を聞いていた。この工場の外部に出ることは無理にしろ、別の景色が見られるというのは単純に――
とても楽しみだ。
□ □ □ □
その工場には、巨大な生産ラインが所狭しと並んでいた。
清潔感に満ちた白い隔壁は、見上げるような高さからの照明で眩しく輝いている。幾本も伸びるベルトコンベアーは時に合流し、時に何本も分岐しながら、まるで生命体の毛細血管のように繋がっていた。それぞれの血管には様々な工業ドロイドが群がり、各々に割り当てられた仕事を正確にこなしている。一心不乱に作業へ勤しむ姿は、怪しげな宗教の信者を連想させた。
34667号ら班員たちは、高架式の空中通路を歩きながらその様子を見ていた。
機械の立てる騒音が響き渡り、彼は聴覚センサーのボリュームを少々調節する。やがて工場区画を抜けると、今度の通路には逆に静寂が満ちていた。
この工場に人間はほとんどいない。今歩いている通路にも、数体の清掃ドロイドが動き回っているばかりだった。
『34667号、起きてから調子はどうだ?』班長が彼に問いかける。
『万事問題なしです』
班長が溶接に特化した片手を伸ばすと、彼の胸部プレートを軽く叩いた。
『そうか、まぁ頑張れ。もし内部回路に不調があるようなら、ドクター・ハロディンに診てもらうと良いぞ』
『はい』
彼らは全員が同型機であり、人間の平均より頭一つ分高い身長、不格好な四角い頭部、分厚い耐熱装甲といった特徴を備えていた。全身には黄土色の塗装が施されているが、その姿は泥汚れた甲虫をも思わせる。
『――ここだ、第17セクション』
先頭に戻った班長が、足を止めた。『整列!』
続く班員たちが、プログラム通りに完璧な二列隊形で入口の前に並ぶ。
班長を先頭に、彼らは隔離区域へ入っていった。
「待っていたよ、君たち」
彼らを迎えたのは、人間の声だった。
「君たちは――あぁ、第327班だね?」
『はい』班長が答え、後ろの班員をちらりと見た。『前セクションからの異動を命じられました』
「よろしい、よろしい」
片手にデータ・パッドを持った男が、彼らに近付いてきた。施設の壁と同じ白色の制服を着て、小さなキャップを被っている。髭を剃った顔は30代前半に見えた。
「私はクロリア監督官。まぁ平たく言えば、君たちのボスだ」
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