573話 二度とあんなことしないデ



「ふんっ」



 ドサッ



 ついには気を失ってしまったらしいイシャス。

 それをシルフィ先輩は、床に投げ飛ばすように払った。


 というか、実際に投げ飛ばした。


「うわ、雑」


「こんなやつ、丁寧に扱ってやる価値もない」


 まあ、先輩的にはゴルさんを貶めたようなものだから、許せない相手なんだろう。

 いや、それだけではないような気がする。


 先輩があんなに怒ったのは……リーメイが殴られたのを、見てからのような気がする。

 女の子が傷つけられて怒ったのか、それとも……


 その先輩は、今はもう元の姿に戻っている。吸血鬼だったときの名残りは、どこにもない。

 強いて言うなら、腹に空いた穴……貫通したせいで服が破れ、その部分がそのままなことか。

 服は破れたままなのに、傷口は……塞がっている。


「もともと傷なんてなかったって言われたら、信じちゃいそう」


 それならそれで、腹部の部分だけ穴の開いている個性的なファッションの服だなと思うわけだけど。


「! リーメイ」


 さて、先輩になんと声をかけようか……その体すごいね、とでも言うべきか。

 そんな中で、私の横を通り過ぎてリーメイが歩いていく。


 向かう先は……先輩と倒れているイシャスのところ。

 もしかして、自分を殴り飛ばしたイシャスに仕返しでもするのだろうか。


 今イシャスは気を失っているとはいえ、あんな殴られたんだ。少しくらい仕返ししてもバチは当たらないだろう。

 リーメイが足を止める。そして、腕を振り上げて……その手を……



 パシンッ



 ……シルフィ先輩の頬へと、振り落とした。


「え……」


「……」


 私はもちろんだけど、先輩もまた呆気にとられた表情を浮かべている。

 まさか自分が叩かれると、思っていなかったのだろう。


 そう、リーメイはその右手で叩いたのだ。

 先輩の頬を。私にも音が聞こえるくらいに、強い力で。


「リー……」


「なんであんなことしたノ!」


 先輩がなにを言うより先に、リーメイが叫ぶ。

 私の位置からじゃ、先輩の顔を見ることは出来ない。でも、リーメイの声には、いつもの調子はなかった。


 悲痛な……怒りとは違う気もするけど、とにかく鋭い声だった。


「あんな……こと……」


「そウ! 自分の体を犠牲にして、相手を捕まえテ……あんな、死んじゃうみたいナ……!」


 怒っている……リーメイは、間違いなく怒っていた。

 それは、先輩の行為。先輩が、自分の体が傷つくのも構わずに、その身を盾にイシャスを捕まえたこと。


「俺の体は……特別だ。痛みには強い。それに、傷口も残ってはいない……吸血鬼ヴァンパイアは、不死の特性を……」


「そういう問題じゃなイ!」


 ……吸血鬼の特性。それは体が脆くなる代わりに痛みに強くなるものだと言っていた。だけどそれどころか、どうやら不死になるらしい。

 そんなとんでもない種族だなんて。死なない生き物が、いるなんて考えたことはなかった。


 エルフ族のような長寿の種族だって、長生きなだけで死なないわけじゃない。

 でも吸血鬼は、死なない……不死だ。


 ただ、それを聞いたリーメイは驚いた様子はない。ただ、怒っているように見える。


「痛みに強いとか不死とか、だからあんな風に体を大事にしないなんて、間違ってル!」


「そ、それは……いやでも、俺はなにも傷は残ってないし、敵も倒せた。良いこと尽くしで……」


「まだ言うなら、もう一回叩くヨ」


「……」


 普段私に対してネチネチ言ってくる先輩が、完全にリーメイの迫力に押されてしまっている。

 リーメイに対してなにも言えないのは、なにもリーメイの怒っている姿に驚いているから……だけではないのだろう。


 リーメイは、自分のことを心配してくれている。

 痛みに強い体だと知っても。不死だと聞かされても。そんなの関係ないと。

 自分の体を大事にしろと、先輩のために怒っているのだ。


「もうこんな危ないことしちゃダメ! わかっタ?」


「……」


「返事ハ?」


「! あ、あぁ」


「大きな声デ!」


「あ、あぁ……! ……もう、しない」


「……よシ!」


 リーメイは多分、満足そうに笑っている。

 リーメイは、すごいな……あんな風に、人の心配ができるなんて。


 私なんて、ただすごい種族だなくらいにしか思っていなかったのに。


「……こいつ、気を失ってるの?」


 二人の会話も一段落したところで、私は足を進めつつ床に倒れているイシャスを見る。

 パッと見た感じ、首筋には先輩に噛まれた痕がある。でも、外傷と呼べるものはそれだけだ。


 あんなに元気にピンピン動き回っていたイシャスが、一華噛みされただけで気を失ってしまうなんて。

 あの行為は、地味だけどとても恐ろしい力なのかもしれない。


「あぁ。本当なら殺してやりたいところだが、そうもいかない」


「わぉ、物騒」


「当たり前だ。この男はゴルドーラ様に迷惑をかけ……リーメイを、殴った。

 ……リーメイ、痛まないか?」


「ンー、このくらいへっちゃらだヨー」


 先輩の怒りの動力源はやっぱりゴルさんとリーメイか。

 そのせいで、イシャスはせっかく正体を現したのにあっさりやられてしまったわけだ。


 それにしても、こいつどうしようか。リーメイに触れてもらって、みんなの洗脳を解くか……いやそれはまだ早い。

 まずは、逃げられないようにガッチガチに拘束しておかないと。

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