第271話 真っ白な獣



「ぇ……」


「ヒーダァ!!」


 なにが起こったのか、一瞬わからなかった。ただ、目の前で起こった出来事に無意識に声が漏れて、それから切羽詰まった別の声が響いた。

 視線を動かせば、ヒーダさんの背後から角のようなものが伸びて、背中を突き刺し……さらには腹まで貫通して、腹から角の先が突き出ている。


 その角は白く……けれど、ヒーダさんの血で、赤く染まっていく。


「この……!」


「!」


 その光景に体が固まってしまっていたが、すぐに動いたのはガルデさんにケルさん。二人は、腰に差していた剣を抜き、角へと振り下ろす。

 剣が打ち付けられ、ガキンッ、と音が響いた。


「っ、かた……!」


 思わぬ衝撃に跳ね返され、二人の表情が歪む。

 二人の斬撃でも断ち切れない……傷一つつかないなんて、どんな材質だ!?


 なんて、ただ見ているわけにもいかない!


「二人とも離れて!」


 二人の動きを見たおかげで、ようやく私の体も動くようになった。いくらびっくりしたとはいえ、情けない!

 魔法を撃ち込む……それはダメだ、ヒーダさんに当たる可能性がある。狙いをミスするようなヘマはしないとはいえ……


 ここは、確実に斬り落とす!


「せやぁ!」


 魔力を杖に込め、魔力強化。魔導の杖を剣のように硬くして、角へと振り下ろす。

 剣と違うのは、魔力を込めれば込めただけ強度が増す点。それに、杖であることに変わりはないから、片手で振り回せる点だ。


 それを、さっきガルデさんが剣を打ち込んだのと同じ場所に、打ち込む。

 ギィンッ……という音が響くけど、前もって二人が弾かれたのを見ていたおかげで、弾かれないために力を込め続ける。


「ぐっ、くぅ……!」


 でも、力を込め続けているのに、杖は先へは進まない。硬い角を斬ることはできず、火花を散らしてそこで止まってしまっている。

 これ、ホントどんな材質で……いや、考えるのは後だ。早くしないとヒーダさんが……!


 もっと、もっと魔力を込める。そのためには……!


「ぬぬぬ……」


 指にハメた魔導具"賢者の石"。それに、ありったけの力を込める……いや、念じる。魔力を、もっと高めてくれと。これは、自前の魔力を増大させてくれる魔導具なのだから。

 その気持ちが通じたのかはわからないけど、魔力は爆発的に増大し、杖に込めた魔力は凄まじいものになる。


 歯を食いしばり、腕にも身体強化の魔力を流す。自分でも、今までに出したことのないくらいの力を出して……



 ボギッ……



 ついに、角が折れた。


「おぉ!」


「やったぞ!」


 角が折れたことで、ヒーダさんの体はよろめき……倒れる寸前で、ガルデさんが支えた。よかった、あのまま前か後ろに倒れたら、刺さったままの角が深く突き刺さるところだった。

 私は、ヒーダさんの容態をチラッと確認。息はある、大丈夫だ死んではいない。


 でも安心はできない。まだヒーダさんの体に角は刺さっているし、折った先に角を刺した本体がいる。

 素早く、角の本体がいる方向へ、杖を向ける。


「! なに、こいつ……」


「シャァアアア……!」


 その先にいたのは、四足歩行……いや、八足歩行の白い獣。足が八本あり、首が二つ……そして、顔も二つある。全身が白い獣だ。

 その両方の額から、とても長い角が伸びている。片方はヒーダさんを刺したもので、私が折ったため途中で砕けている。


 なんだこの生き物……こんなの、見たことがない。大きさは、さっきの魔物と変わらないのに……この圧迫感は、なんだろう。


「な、なんだこいつは……!」


「ケル、落ち着け!」


 おびえたように、ケルさんは剣を向けている……冒険者でも、見たことがないってことか。

 モンスターじゃ、ないよな確実に。魔力を感じるから、魔物か、それとも……


「ぅ……げほ!」


「! ヒーダ!」


 まずい……早く、ヒーダさんに回復魔術をかけたいのに。この獣から、目を離せない。

 精霊さんにお願いすれば、たとえ私が近くに居なくても、魔術をかけてもらうことは可能だ。だけど……この獣の存在を認識してから、精霊さんがざわついている。


 こんなこと、今まで一度もなかった。魔獣を、前にした時だって……



『精霊の力が弱まる場所では、魔力を借りられない場合もある』



 ふと、師匠の言葉を思い出した。精霊さんには、精霊さんの力が弱まる場所があるという話だ。そしてそれは、場所だけ……というわけではない。

 信じられないことだけど、この獣は、精霊さんの動きを抑制するような力を持っている。そうとしか考えられない。


 精霊さんは基本的に、誰にでも近づいてくれる平等な存在だ。だけど、ダークエルフには近づかない。精霊さんにも、近づきたくない存在というのがいる。

 こいつがそれか……


「ガルデさん、ケルさん。私がなんとか隙を作るんで、その間にヒーダさん連れてなんとか逃げて」


「! な、なにを言っている! エランちゃん一人にそんなこと……」


「時間がないの」


 ここで、獣と睨み合う状態になるのは悪手だ。少なくとも、三人ここに留まるはめになるのは。

 なら、私が囮になって、その隙に逃げてもらう。それが、一番いい方法のはずだ。


 ヒーダさんは、角に貫かれて深手を負った……ただ、今は角が刺さったままだから出血もそれほどじゃない。

 それも、危なくないとはいえない。あんな深手を負ったんだ、体は弱っている。早く、治療しないと。


「なら、俺たちが! ケルをこんな目に遭わせたんだ、ただじゃおかない……」


「二人の攻撃で、あの獣に傷はつけられないよ」


「っ……」


 少し生意気な言い方だけど、二人を納得させるために仕方ない。現に、二人の剣は獣の角に傷一つつけられなかった。

 もちろん、角と体の硬さが同じだとは思わないけど……


「早く! ヒーダさんが死んじゃう!」


「くっ……すまん!」


「エランちゃん、すぐに戻るから!」


 背後で、二人が苦渋の様子で走り去っていく音が聞こえる。よかった、これでなんとかなるはず。

 その間、獣は動かない。唸り声が聞こえなければ、死んでるんじゃないかと思うくらいだ。


 やっぱり、こっちから仕掛けるか……魔術が使えなくても、"賢者の石"さえあれば……


「……ぇ……」


 私は、獣から一瞬たりとも意識を外していなかった。そのはずなのに……獣の姿が、消えた。

 どこに……と、考えるまでもない。背後から、獣の声が聞こえた。今の一瞬で、私の背後まで移動したのだ。足音も、気配も、一切を感じさせず。


 反射的に、背後に振り返る私の目に……獣の姿が、映った。グルルルと唸り、私を見て……お互いの、目があった。白色の体、しかし瞳だけは唯一赤色で……

 その口に、なにかを咥えていた……それは、細長いもので、肌色で、手があって、指先には杖が握られていて……


 ……私の右腕が、咥えられていた。

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