第166話 ルリーの過去⑬ 【絶望】



「お兄ちゃん、下ろして! 下ろしてぇ!!

 …………お願い、だから……」


「っ……」


 ……ルランは、振り返ることなく森の中を走っていた。

 濃密な魔力の気配を感じる。きっと、母の魔術だ……自分たちを逃がすために、奮闘しているのだ。


 大勢で逃げても、魔力を察知する魔獣にはすぐに見つかる。ならば、少人数だけ逃がして、あとは囮としてその場に残る。

 それは、合理的な方法と言えるだろう。


 ……ただ、それを納得できるはずもない。ルリーどころかルランさえも。


「ルラン、ルリー!」


「! リーサ!」


 自分たち以外の、ガサガサという音が聞こえてルランは警戒するが……聞きなれた声に、警戒を解く。

 姿を現したのは、リーサだ。


 彼女は、二人の姿を見て、安心したようだ。


「よかった、二人は無事だったのね」


「あぁ、母さんたちのおかげでな。そっちは……」


「同じよ」


「……そうか」


 短いそこ答えで、ルランは察した。リーサも、両親が命懸けで逃がしてくれたのだと。

 一瞬暗くなりかけた心を、しかしリーサは無理やり奮い立たせる。


「逃げられたの、まさか私たちだけなのかな」


「わからん……」


 もし、アード、ネル、マイソンも同じように逃げているのだとしたら……

 その希望を、捨ててはいけない。森は広い、別々の方向に逃げているかもしれない。


 だったら、三人の魔力を探るか。いや、まずは森を出るのが先か……


「マイソンは……」


「ん?」


 叫び疲れたのか、黙ってしまっていたルリー。しかし、ぽつりと言葉を漏らした。

 それを聞き逃さないよう……ルランは、耳を傾けた。


「マイソンは……死ん、じゃった……」


「……マイソンが、死んだ……!?」


「え!?」


 ルリーの言葉は、思いもよらぬものだった。

 質の悪い冗談だと、笑い飛ばしてしまいたい。だが、ルリーはそんな冗談なんて言わない、こんな状況下ではなおのこと。


 ……今朝も、一緒に居た。昨日だって、みんなで遊んで、バカやって、怒られて……なのに、死んだ?

 ルランの心に、ぽっかりと穴が開く。


「ルリー、なんで……」


「マイ、ソンは……ま、まじゅ……に……ひっく、ふみ、つぶ……」


「……悪い、もういい。思い出すな」


 いつルリーが、マイソンの最期を知ったのかはわからない。だが、それを知っているということは、彼の最期を見たということだ。現に、今話そうとした。

 だが、そんなむごい光景、思い出すことはない。友人の死など、今のルリーには耐えがたい。


 ……マイソンは、ルランにとって気の許せる男友達だった。同時に、彼が妹に想いを寄せているのにも気づいていた。

 ルリーがその想いに気付いていたかはともかくとしても、ルリーにとっても大切な友達だったのだ。


「……このまま、逃げ切れるのかしら」


 ぽつりと、リーサがつぶやく。それは、リーサらしくない弱い言葉だ。気持ちが折れそうだ。

 正直、ルランも心のどこかでそう思っている……いくら走っても、前に進んでいる気がしない。


 それは、気持ちの問題なのか。それとも……


「見ぃつけた」


「!」


 不安がる三人の前に、人影が現れる。それは、アードかネルか……少し、期待していた。

 しかし、そこにいたのは、今もっとも会いたくないうちの一人で……


 ……にやりと笑みを浮かべた、ジェラがそこに立っていた。


「な……んで」


「いやぁ、森の中は厄介だねぇ。探すのに手間取る……かと思ったけど。

 いきなり見つけちゃうなんて、ラッキー♪」


 その笑顔は、この場には不釣り合いなほどに輝いていた。

 もしも、その頬に血が付いていなければ、思わず見惚れてしまったことだろう。


 ともあれ、状況は最悪だ。さっきは、混戦の最中だから逃げることができた。

 だが今、ここにいるのは少数……ジェラ一人に対して、こちらはルラン、リーサ、ルリー……いや、担がれたままのルリーは憔悴しきっている。


 ルランとリーサの二人だけで、この場を切り抜けなければならない。


「そーんな殺気立たないの。私、荒事は嫌いなんだから」


「……どの口が」


 肩をすくめるジェラだが、少なくとも拳を血に染めた者の言い分とは思えない。

 ……相手は、こちらが子供だと思って油断している。その隙をついて、魔導を撃ち込めば。……ルランとリーサは、アイコンタクトで会話をする。


 まだ魔導に関しては、そこまで使いこなせるわけでもない。魔術に関して使ったことも。だが、このままここでなぶり殺しにされるくらいなら……

 可能性は低くても、やってやる……!


「まあ、歯向かってくるなら容赦はしないけどね。

 その場合、あんたたちもこいつみたいになるわけだけど」


 笑みを浮かべたままのジェラは、なにかを放り投げる。そういえば、先ほどからなにか持っていたのだ。暗くて、よく見えなかった。

 放られたそれは、片手で持つにはあまりに大きすぎるもので……ドン、と音を立てて、地面に落ちた。


 自然と、ルランとリーサの視線は、落ちたものへと移動して……


「……え?」


 ただ、茫然とした声が、どちらともなく漏れた。

 直後、込み上げてくるのは強烈な吐き気だ。とっさにリーサは、自分の口を手のひらで覆うが……耐え切れず、腹の中のものをぶちまけた。


 二人の様子が、おかしい……そう感じたルリーは、ゆっくりと首を動かして……


「ぅ……だ、めだルリー! お前は見るな!」


 ルランの制止も間に合わず、振り返り……落ちていたものを、見た。

 見て、しまった。


 それは、ドン、と音がしたからそれなりに重量感のあるものだろうと思っていた。そして、それはその重さを持つだけの大きさがあった。まるで、両手で持つくらい大きなボールだ。

 正確には、ボールのように丸いもの、だ。だってそれには、ボールにはないはずのものがあった。それは毛……だろうか。まるで生き物に生えているような、毛があった。


 それは、銀色をしていた。きれいな銀色だ。暗くても、よくわかるほど。

 それには、まるで顔のパーツのようなものがあった。口のようなものがあった。鼻のようなものがあった。目のようなものがあった。耳のようなものがあった。

 目のようなものは大きく開かれ、その中身はきれいな緑色をしていた。なんで、そこから水のようなものが流れているのだろう。


 その銀色も、緑色も、ルリーはよく知っていた。だって、いつも見ていたものだから。自分の顔にも、同じものがあるから。

 あたたかな目が好きだった。優しい声が好きだった。さらさらの髪が好きだった。その仕草が、ほんの些細な表情の変化が、困った顔が、怒った顔が、笑った顔が、好きだった。好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった好きだった…………




「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




 ルリーは、自分の目の先にあるものを……自分を見つめるものを、認識して。自分でも、わけがわからないくらい、叫んだ。

 認めたくないそんなはずがないあの人なはずがないだってだってだってだってだってだって…………!

 そう、思いたいのに。見間違えるはずも、なくて。


 …………ラティーアの首から上が、ただ無感情な瞳で、ルリーを見つめていた。

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