ラブコメをもう一度(カクヨムweb小説短編賞2022参加作品)

霧野

第1話 キョドる虎枝


 あたしが茨本紀代桂いばらもと きよかに注目したのは、たしか12月の中頃だったと思う。期末考査が終わってすぐの頃だったから。

 彼女のおかげで、あたしは新たな一歩を踏み出せたんだ。



 ⚝ ⚝ ⚝



 冬休みも間近なある日。登校してきた彼女は、あたしの目の前でクラスメイトの男子の肩を叩き、驚いて振り返った彼にその両手を突きつけた。


「おはよう、虎枝いたどりくん。見て! 私の手相、珍しいんだって」


 いきなり肩パン喰らった虎枝いたどりくんは、目を白黒させてた。突然の一撃は、かなり痛かったと思う。

 だって彼女、歩く後ろ姿がなんだか楽しげで今にも踊り出しそうだった。元々ちょっぴり風変わりな子なんだけど、テンション上がるとパワーアップしちゃうんだよね。


「おぉ、茨本さん。おはよう…」

「昨日テレビで見たんだけどね、ほら、ここんとこ、頭脳線と生命線が離れてるでしょ?」


 茨本さんは校庭を通り過ぎていくたくさんの生徒たちに構わず、虎枝いたどりくんの隣にピッタリくっついて一緒に両手のひらを覗き込む。


「普通の人はこの始点がくっついてるの。なのに私のは離れてるんだよ。しかも、両手とも!」

「あ…うん、そうみたい、だね」


 一方的に近距離で話しかけられている虎枝いたどりくん、あからさまにキョドっている。無理もないと思う。だってこの二人、同じクラスだけど、喋るのって連絡事項くらいだもん。

 茨本さんってわりと目立つ方だし、虎枝くんは大人しめの真面目くん。可哀想なくらいビクビクしてるじゃん。


「さらに! これ。この、親指の第一関節のとこ見える? 皺が目みたいになってるでしょ。仏眼っていうの。これってかなりレアで、霊感とかあるんだって」


 うわー、突然の霊感アピール。そんな感じの子じゃなかったのに、どうしちゃったんだろ。あ、歩き出した。当然のように虎枝くんを引き連れて歩き出したよ。


「ジャーン! これも両手にあるんだよ。すごくない?! 私の手相、レア中のレアじゃない?!」


 それでやたらと機嫌がいいのか……でも、なんで……


「そうなんだ。すごいね、茨本さん。でもなんで、それを僕に?」

「ん? いや、最初に視界に入った知り合いがキミだったからさ。いくら私でも、面識のない人にいきなりこんな話しないよ」

「……ああ、なるほど」


 なるほど、じゃないよ虎枝くん。周りにめっちゃジロジロ見られてるよ。女子の集団にニヤニヤされてるよ。男子の何人かに睨まれてるよ。大丈夫?


「将来話題に困った時とかに、私のこと話していいよ。めっちゃレアな手相の子がいたんですよ〜って」

「いや、そんな機会はあまりないと思うけど…」

「あっ、遅れちゃうじゃん。早くいこ!」


 いや、引き留めてたのはあなたでしょうよ、茨本さん。ああ、虎枝くんドナドナ……




「……でもさぁ、自ら火に飛び込まれても、血抜きとか内臓処理とかしてから焼かないと臭くて食べられないじゃない? それって無駄死にもいいところじゃない?」


 結局二人は、I−Aの教室に着くまでずっと話していた。っていうか、今も茨本さんが虎枝くんの前の席を乗っ取って話し中。

 ちなみに彼女は今、「飢えた老人のために自ら犠牲となって食糧になったウサギ」の話をしている。猿や狐は食べ物を調達できたけど、何も持ってこられなかったウサギは自分の身体を捧げたんだって。なんか、仏教系のありがたい説法か何からしいんだけど、彼女は納得いかないみたい。

 で、ウサギなんて下処理をしなきゃ臭くてたべられない、かえって迷惑だ、と力説しているところ。


「だからさ、ウサギは自分で頸動脈をスパッとやって、その後の処理は老人自身にやらせれば美味しく食べられたと思うの」

「えっと…その話はあくまでも自己犠牲とかのたとえ話であって、実際に食べるかどうかは問題外なんじゃないかな」

「いや、虎枝。それは流石に私でもわかるよ。わかった上でのハナシじゃん……」


 校門から教室までの間に、「虎枝くん」から「虎枝」呼びになってる。さすが茨本さん。

 茨本さんは憐れむような目で、虎枝くんの肩をポンと叩いた。まるで「ドンマイ」って言ってるみたいに。哀れな虎枝くんは何故か「ごめん」と呟く。負けるな虎枝くん、君は悪くないぞ。あっ、先生来た。

 彼女は、そばでオロオロしていた男子生徒に平然と「こちら、温めておきました」と椅子をすすめ、自分の席に戻って行った。

 いや、あんたが勝手に椅子を占領してたんでしょ。なんて自由な人なんだ、茨本紀代桂………



「キヨカ〜、男子に絡んでんじゃないよ。困ってたじゃん」

「いや、結構話しやすかったよ。いい人っぽい。それより見てよ、私の手相って…」


「茨本、朝からうるさいぞ〜。はい、号令」


 後ろの方の席で友人たちと声を顰めながらキャッキャしている茨本さん、対して前の方の席で俯いて耳を真っ赤にしている虎枝くん。

 その数列向こうで、虎枝くんを苦々しげに睨みつけている加川くん(体育会系)。そしてその加川くんを切なげに見つめる稲生さん(英語が得意)。


 むむむ、クラスの中の矢印が込み入ってきたのは気のせい?


 これってもしや、ラブコメの始まりなのでは……!?



 ⚝ ⚝ ⚝



 当時のあたしは、心の中でこう呟いたものだ。


 ─── パパ、ママ。今年の冬は楽しくなりそうです。


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