つれづれエッセイ

紫陽_凛

魔女の家

酒と燃える泥

 本当は薬を飲んでいる身分で酒なんか飲んじゃあいけないのだが、時折バーに駆け込んで「ウィスキー、ロックで!」と叫びたい気持ちに駆られる。ふわっと酔いの中で黙って意味もなくノートを開き、ゴリゴリと単語を書き連ねている時間が一番有意義で楽しい気すらする。一杯600円くらいのそれらをちびりちびりと舐めながら、贅沢をしているという実感と共に行われる創作活動の、なんと甘美なことよ。

 





 私は年末年始を「魔女」の家で過ごした。魔女本人が聞いたら「わたしは魔女かw」と笑うか、「魔女とはなんだ魔女とは」と怒るかもしれないが、ともかくそこは私にとって魔女の家であった。

 草木が覆いしげり、柑橘の香りがそこここに充満し、朝ごはんには見たことないくらい分厚いベーコンが出てきた。

 無味無臭で柔軟剤のかおりしかしないわたしの家とは大違いで、情報量が多く、無駄なものが多く、それなのに居心地が良かった。わたしはここで生まれて育ったのではないかと思わせるほどに自然な場所だった。

 それはそうだ。魔女はわたしの母である。


 魔女の家の本棚は、わたしには到底理解できない難しい本ばかり並んでいたが、本棚とは別の一角に、わたしが贈った本が置いてあった。パウロ・コエーリョ「アルケミスト」……それが魔女の宝物の棚に置いてあることに、少しの羞恥を覚える。何も神棚に飾らなくとも。


 2022年の末はそうして始まった。

 魔女と忘年会を開いたあと酒場をはしごし、バーのカウンター席に腰掛けておのおの酒を頼んだ。わたしは「レゲエパンチ」が通じるのが嬉しくてレゲエパンチを頼み(レゲパンといえば全国的にはピーチウーロンのことである)魔女は度数の高い、くだものジュースのような酒を頼んだ。

 そこに梯子酒らしい、出来上がった男性が入ってきてタバコを吸いながら、度数の高い酒をぐびぐび飲み、魔女とわたしに話しかけてきた。

 なんでも、つまみのウィンナー盛り合わせが一人では食べきれないので、少しお裾分けするという。そこから、男性と魔女との、弾丸のような身の上話が始まった。


 最初男性は魔女とわたしを友人同士と勘違いしたらしいが、わたしが「魔女のとこに里帰りなんです」と言った瞬間全てを察したらしい。頭を抱えていた。魔女が若いからか、私が年齢以上に老けていたのかはわからないが、男性は両手をあわせて私たちにあやまった。それから男性は「お姉さん」「お嬢さん」と私たちを呼び分けるようになった。言い訳のように「仲がよさそうだったから」と言っていた。確かに私たちは、肩を寄せ合って映画の相談をしていたから、ちょっと歳の離れた姉妹か友人どうしに見えたかもしれない。


 わたしが「ジャックダニエル、ロックで」と頼むと、男性は「つよいねぇ」と言った。

「お姉さんたち、俺一杯奢るからなんか頼んでよ」と言うので、わたしは早速お言葉に甘える。「じゃあ、バカルディ、ロック」。

 バカルディはジャックダニエルに比べるとだいぶ甘くて飲みやすい。だがわたしは、ジャックダニエルの方が好きである。

 わたしのあまりの飲みっぷりに楽しくなってきたらしい男性は、「ボウモアはどう、ボウモア!スモーキーだよ!」と勧めてくる。わたしは勧められるがままに酒を飲んでいく。男性は「マスター、全部俺につけといて」と気前のいいことを言う。マジか。

 魔女はそこまで酒に強くないので、奢ってもらえるウィスキーを一口二口飲んでから全てわたしに寄越した。

 ボウモアのロックは煙の匂いがした。鼻から抜けていくのは酒気ばかりではないような。ぺろっとボウモアを飲んでしまったわたしをみて、何を考えたのかへべれけの男性はさらに棚を見て言い出す。

「マスター、“アードベッグ”ある?あれだけは俺も勘弁してほしいくらい!」

「ああ、臭いですねえ。薬臭い」とマスターまで口を挟む。そこまで言われると気になる、と言い出したのは魔女である。

「私、薬酒にハマってて。飲んでみたいです」

「なにで飲むの?水割り?」わたしが尋ねると、

「ロックに決まってるでしょ」

魔女、強気である。

「アードベッグのロック、俺につけといて」

 いまおもえば気前が良すぎる御仁である。酒で気がおおきくなっていたんだろうか。それともそうした性分なんだろうか。


 男性は名乗った。ここではSとしておこう。私と郷里が同じで、そこから意気投合が始まった。仕事の愚痴をこぼす彼に対して魔女が趣味を尋ねると、「趣味なんてないよ」と彼は言った。

「ゴルフの練習くらいかなぁ」

「でもそれは接待の練習なんでしょ」と魔女がいう。S氏は頷く。

「自分の時間はほとんどないね。色々走り回って、1週間くらい家を開けることもザラ。だから帰った時くらいチャンネルの権利は欲しいわけよ」

 ガハハ、と笑う。

 そんな時にアードベッグのロックが出された。魔女はそれを一口飲んで、「ああ、いける」と言い、S氏とマスターを困惑させた。

「マジで!?」

 でも魔女はそれ以上アードベッグを飲まずわたしの方へ寄せてきた。わたしもその薬臭いウィスキーをぐびぐび飲み、感想を漏らした。

「こういう味だと思えばなかなかいける」

「嘘だろお」

 男性はマスターにおねだりして一口分だけアードベッグをもらい、味見した。おえっと声が聞こえた。

「異常だよ、異常。マスター、なんでこんなにこれ薬くさいの」

 マスターは瓶を拭きながら、思い出すように口にした。

「スコットランドの……アイラ島というところで作られているんです、そこにしかない、……燃える泥で作るから、その匂いがお酒にもつくんですね」

「へぇー!」


 アイラ島の燃える泥。


 なかなか素敵な響きである。わたしはすぐさま手帳を取り出して、メモをとり始めた。わたし以外の3人は、興味津々にわたしをみた。

「小説を書いているんです」というと、マスターが「僕の友人で仙台短編文学賞を取った人がいるんですよ」と言った。わたしの先を行く人はどこにでもいるのだ。

「狙ってますか?」と聞かれてなんと答えたかは覚えていない。

「でもいいよねえ、そういうの」とS氏が言った。「そういうのはね、いいよ」


 わたしも頷いた。アードベッグのロックが頭の中で回っていた。


 3代続く酒豪の血でも、ウィスキーロック4連ちゃんには耐えられなかったようだ。記憶には残っていないが、その時のメモにはこうある。


「アードベッグのロック、にがい」


 S氏は最後に、「お嬢さん、今度は秋田で一緒に飲みましょう、ガハハ!」と言いながら去っていった。

 S氏に会うことがあれば、この世に数あるウィスキーのおすすめをまた聞いてみたい。

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