第7話

 風を切る音が耳に響く。 光ちゃんの走るスピードは、私が乗馬クラブで乗っていた馬の全力疾走より速いかもしれない。



  ガルル…… ワン! ワン! 



 後ろから吠えながら迫ってくるのは筋肉質のドーベルマンのような犬の群れ。 よだれを垂らし、決して可愛いとかカッコいいとかいうような顔つきではない犬が私達を追いかけてきていた。


「ったく! まだ追ってくんのかよ! 」


 私を背負って走る光ちゃんは後ろを振り返る余裕がない。 土の道はデコボコで、切り株が所々に残っていて集中していないと足を取られてしまうのだ。


「あと6匹! 大丈夫、距離は離れていってる! 」


 私は後ろを振り返って状況を光ちゃんに伝える。 野犬も疲れてきたのか徐々に距離は離れ、初めは10匹くらいだったのが次第に数を減らしていった。


 「オレも、ハァハァ…… ヤバい…… ハァハァ! 」


 光ちゃんもずっと全力で走って、もう限界に近いらしい。 私がお荷物になってる…… こんな時に何も力がない自分が悔しい。 いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない! この状況で何か私に出来る事ないだろうか。


「光ちゃん! あそこ! 」


 私は左前に見える一本の大きな木を指差した。


「木の上なら犬は上ってこれないんじゃない? 一時的にだけどとりあえず逃げれる! 」


「了解! 」


 光ちゃんは道を外れて茂みの中に突っ込んだ。 立ち並ぶ木々をジグザグに避けて、二人がかりでも囲めなさそうな太い幹の木の根本に辿り着く。


「ハァ…… ハァ…… 」


 光ちゃんはその木を見上げ、呼吸を整えて深く沈み込んだ。 後ろを振り返ると、2匹の野犬が牙を剥き出して突進してきている。


「来た! 」



  ガアァ!



 私の背中に飛びかかってきた一匹の野犬に思わず目を瞑る。 その瞬間、 逆バンジージャンプのような重力が私の全身にかかった。 振り落とされないように必死に光ちゃんにしがみつき、目を開けた時には私達は5メートルくらいの高さの太い枝の上に降り立っていた。


「ハァハァ…… 」


 大粒の汗を顔中から噴き出し、光ちゃんは幹に両手をついてうなだれている。 もう動けないといった様子…… 下を見ると上を見上げて吠えている野犬の群れ。 予想通り、木には登ってこれないようだ。


「やったよ光ちゃん! 助かったよ! 」


「ぐ、ぐるじい…… 翔子…… 」


 思わず首に思いっきり抱きついてしまった。


「ご、ゴメン。 降りるね 」


 降りるねと言ったはいいけど、足元は30センチくらいの枝。 この高さから落ちれば怪我どころか死ぬかもしれないし、野犬の餌食になってしまう。 それでも肩で息をしている光ちゃんにいつまでもおぶさっているわけにもいかない。 震える足で恐る恐る足を出すと、光ちゃんに太ももを抱えられてしまった。


「ちょっと待ってろよ翔子。 もっと太い枝に飛び移るから 」


「え? 」


 呼吸を整えて光ちゃんは木を登り始めた。 幹にしっかり腕を回し、足場を確かめて私を背負ったままゆっくりと登る。 時には枝から枝へジャンプして、枝が密集した場所までたどり着いた。 下を見ると野犬の群れは米粒ほどの大きさ…… 向こうからはきっと葉の影になって私達は見えないだろう。


「ふぅ…… 」


 私を降ろした光ちゃんは太い枝を抱くようにうつ伏せになる。


「大丈夫? 疲れたよね…… ごめんね 」


 いくら怪力を手に入れたからって無茶し過ぎだよ…… 


「無事逃げれたんだからいいんだよ。 お前こそ怪我してないか? 」


 体のあちこちを見回す。 セーラー服の袖が少し引き裂かれたように破れていたが、切り傷や擦り傷はない。


「大丈夫。 光ちゃんが守ってくれたから 」

 

 『そっか』と光ちゃんは優しい笑顔を私に向けてくれるが、それに比べて私は何も出来ないのがツラい。


(本当に私には何の特殊能力もないんだろうか…… )


「なんで私には力がないの? って顔してるな 」


「…… なんでわかるのよ 」


 図星なのがまた悔しい。


「目を細めて眉間にシワを寄せてボーッとする…… 悔しい時にお前がする癖だよ 」


 そうだった。 この癖のせいで友達やクラスの子によく虐められた事を思い出す。 



  なんだよその目! 生意気だな!


  なによその態度。 全然反省してないじゃん!


  睨まないでよ! アンタが悪いんじゃないの!?



 周りには私が睨んでいるように見えたのだろう。 決してそんなことはなく、自分が情けなくて悔しいだけ。 でも言いたいこともなかなか口に出来ずに黙りこんでしまうこの性格が、いつしかこんな表情を作るようになってしまっていた。


「…… ゴメン…… 」


 両膝を抱えて俯く。 光ちゃんにまで誤解されたくないけど、それ以上言葉が出てこない。


「オレは分かってるから謝んなくていいんだよ。 もしかして昨日の罰当番ってのもそれが原因なのか? 」


「…… うん。 クラスの演目決める時にやっちゃったみたい 」





 一ヶ月後に控えた学校祭。


 クラスの皆に押しつけられるように代表委員に選ばれて、ホームルームにクラスの演目を決めることになった。 皆もあまり乗り気ではなく、口ベタな私がそれを取りまとめる事が出来る筈もなく、終業のチャイムがなって延長戦に突入する。 いつまでも決まらない演目にクラスはざわつき、どうしていいかわからずに困っていた時だった。


  なんだよその目! お前がまとめられないのが悪いんじゃねぇの?


  アンタが長引かせたんだからね。 責任取ってよ


 そんな事を言われてクラス全員が帰ってしまい、私は一人教室の掃除を始めたのだ。



「この癖、直さなきゃダメだよね。 わかってるんだけど…… 」


「まぁ焦ることはないんじゃないか? んで、お前の力のことなんだけどさ 」


「…… 私には何もないよ 」


「そもそも力があるのが、この世界では普通なのか? 」


 そんなこと考えたことがなかった。 イシュタルは空に浮かぶ大陸で、ファーランド城が湖の上空に浮かぶ浮遊城という以外は、特に目立った特殊能力の記述がない。 ミナミはタイムストップを持っていたが、それ自体が稀なんだろうか。


「じゃあ光ちゃんは選ばれた人? 」


「そうとも限らないだろ? 実はこの世界の男はこの力が普通とか 」


「そんなこと小説には書いてなかった。 そんな設定ならミナミはビックリしてるでしょ? 」


 『そうだな』と光ちゃんは笑って身を起こす。


「まぁオレらは異世界転移者なんだ。 その小説の通りの世界なら、お前もミナミのように何か力を持ってるよ 」


 慰めの言葉だとは分かってるけど、未だ自覚のない力に期待してしまう。 光ちゃんの言うように、私達はまだこの世界の人間に会っていない。 トゥーランの町へ行き、他の人に会えば何かが分かるだろうか……

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