第5話

 ガルーダから必死に逃げて数十分。 しばらく続くと思われた雑木林は、いつしか木々や草が密集した森に変わっていた。 曲がりくねった道は土が露出し、森林公園の散策路のように跡がついている。 明らかに人が通っている道だと判断した二人は、誰かが通りかからないかと期待しつつ道の脇で休憩を取った。 正確な時間は分からないがまだ陽は昇ったばかり。 陽の光は生い茂る高い木に遮られ、森の中はひんやりとした空気に包まれていた。


「ハァ…… ハァ…… 」


 光は大きな木に寄りかかって座り込み、肩で息をしてグッタリしていた。 その側に翔子の姿はない。 光は顔を上げ、差し込む木漏れ日に目を向ける。


「まぁ、ひのきの棒でスライムと戦うよりはマシか…… 」


 ボソッと光は呟く。 翔子の前では平然を装っていた光だが、精神的疲労は半端ではなかった。 突然RPGのような右も左も分からない世界へ放り込まれ、体はおかしくなってコントロールできない。 何が起きるか分からない不安と、空腹と喉の渇きも相まって意識が朦朧としてきていた。


「光ちゃん、大丈夫? 」


 木陰から出てきた翔子が光の側に駆け寄ってきた。 その手には両手を広げたくらいの大きな葉に、一口くらいの水が汲まれている。


「え…… 水? 川があったのか? 」


「ううん、葉っぱに溜まってた朝露を集めたの。 あまり美味しくないけど、ちゃんと飲めるから 」


 翔子は心配そうに光の顔を覗き込んで光の目の前に大きな葉を差し出す。


「お前が先に飲みなよ。 オレは大丈夫だから 」


「大丈夫じゃない! そんな疲れきった顔して説得力全然ないよ! 」


 怒鳴りつける翔子に光はニッコリ笑ってみせる。


「そんな顔したってダメ。 ほら、口開けて。 私の分はまた集めてくればいいんだから 」


 翔子は光の口にそっと水を流し込む。 ゴクッと喉を鳴らして光は一口でその水を飲み込んだ。


「サンキュー。 元気出てきた 」


「ウソつき。 さっき私を抱えて走ったんだから疲れてるでしょ。 休んでなよ 」


 翔子はそう言うと、大きな葉を持って再び森に消えていった。 光はその姿を見届けてゆっくりと腰を上げる。 翔子に飲ませてもらった水のお陰で、朦朧としていた意識は大分ハッキリしていた。


「…… 登れば何か見えるかな…… 」


 光は正面にある背の高い木を見上げた。 足場になりそうな太い枝は3メートルほど上にある…… 光は力を加減しながらその枝に飛び付いた。


「よし! 」


 飛び乗った枝から更に上の枝に飛び移り、そこから幹をよじ登って木の上に出る。


「おぉ…… 」


 見渡す限り一面が森林地帯。 翔子はこの森を抜けた先に町があると言うが、町があるような拓けた所は見当たらなかった。 トゥーランまでの道程はまだまだ長いという現実を突きつけられる。


「…… RPGの主人公なら、回復薬で腹一杯になるんだろなぁ…… 」


 翔子には聞こえないこの場所で一つ愚痴を言って、光はスルスルと木を降りていった。




 二人は葉の上にかろうじて残っていた朝露を集めて喉を潤す。 全然足りない水分補給だが、それでも喉の奥がひっつくような思いをしていた二人にはありがたかった。 木の実や果物を探してもみたが見つけられず、腹を空かせたまま二人は再びひんやりとした森を歩き出す。


「そういえば、主人公と俺達ってスタート地点は一緒なのか? 」


 無言で歩く翔子に光は後ろから問いかける。 気分が下を向かないよう光なりの配慮だった。


「違うよ、ミナミはあの草原から見えていたユシリーン湖のほとりに転移したの。 それを見ていた貴族のアベルコに拾われて、その屋敷のメイドとして働くのよ 」


「そっか、こんな風に冒険はしなかったんだな 」


「そうでもないのよ? そこで働いていたイズルナってメイドに恨みを買って殺されそうになるの。 ミナミはそこで初めてタイムストップの力を使って逃げ出して、あちこちを転々と旅を…… あっ! 」


 翔子は突然光に振り返った。


「光ちゃん! この道って、そのアベルコっていう貴族とケンカしてるアルベルトが作った道だよ! 」


「…… うん、それで? 」


「この木に穴を開けて! 白樺とか楓とかみたいに樹液が飲める! 」


「マジか! 」


 光は昨日作った石のナイフをポケットから出して、翔子が指した木の幹を削り始めた。 光の力でコルクのように掘れた白い幹は、すぐに湿り気を帯びて水滴を作る。


「良かったぁ…… 」


 翔子は涙ぐみながらその樹液を手頃な葉に溜める。 時間はかかったが、溢れるほどに溜めた樹液を光に差し出した。


「はい、光ちゃん 」


 涙目で微笑む翔子に、光は樹液を受け取らず頭を撫でる。


「飲みなよ。 さっきは俺が先に飲ませてもらったんだし 」


「でも光ちゃんが木を…… 」


「お前が教えてくれたんだろ? お前が樹液の事を思い出さなきゃ手に入らなかったんだから 」


「…… うん 」


 翔子は頷いて葉に口をつけ、体に染み渡らせるようにゆっくりと樹液を飲み干した。 次に光が一口。


「ホント水みたいな樹液だな。 ちょっと甘さもある 」


「メープルシロップの原液みたいだよね。 美味しい 」


 翔子と光は交互に樹液を溜めて飲み続ける。 ある程度樹液が出た場所は次第に止まってしまうが、また別の場所を傷つけるとそこからまた水のような樹液が滲み出してきた。


「でもなんでこの木の樹液が飲めるって気付いたんだ? 」


「トゥーランの町に住むアルベルトという貴族が、この森で採れる樹液をファーランド国王に納めてるのよ。 アベルコとアルベルトはこの樹液を巡って対立してて、この森を占有しようと争いを起こしたのを思い出したの 」


「なるほど。 木にくさび状の傷があったのは、この樹液の採取痕だったんだな 」


 満足するまで樹液を飲んだ二人は、今度は食糧になりそうな物を考える。 この世界に転移して約1日、昨日の昼食から何も食べていない二人の限界も近い。 


「あ…… ヤバ…… 」


「どうした? 」


 翔子は頭を振ったり目を擦ったりしていた。 昨日ほとんど眠れなかったのと、一時的に樹液で満腹になったことで眠気が襲ってきたのだ。


「少し寝たらいいじゃん。 疲れてるだろ? 」


「ダメ、確かここは野犬が多い筈。 樹液の採取に来たアルベルトの従者が帰ってこなかったこともあるの。 じっとしてるのは危険かも 」


 翔子は首を横に振って立ちあがり、パンパンと頬を叩く。 見据える一本の道は真っ直ぐに作られていて、ここよりは拓けているように見えた。


「そっか、じゃあ頑張るか! 休めるところも探さないとな 」


 翔子は頷くと大きく伸びをして体をほぐし、気合いを入れ直して踏み出したのだった。


 

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