1章 主人公になりきれない少女、異世界に立つ
第1話
イシュタルの空
私がいつも鞄の中に入れているファンタジー小説のタイトルだ。 主人公の女子高生が突然異世界に飛ばされ、行く先々で困難を乗り越えながら、元の現実世界へと帰っていくというストーリー。 主人公はお約束のように最強系の強さを持ち、その力を存分に発揮して突き進んでいく。 その爽快感と、まるで実際に見てきたかのようなリアルな情景に、私は何回も読み返すほどドップリとハマっていた。
「イシュタル…… だよね 」
雲海に囲まれた浮遊する大陸。 その中央に鎮座する岩肌むき出しの高い山。 その麓に広がる森林と、鏡のように空を映す湖。 そしてその湖の上空に、地面から掬われたように浮遊する大きな王城。 全ての風景が、私の想像する『イシュタルの空』そのままだった。
「幻…… じゃないよね 」
遠くに見える、その浮遊する『ファーランド城』を眺めながらゆっくりと前に進む。
「あ…… 」
続いていると思われた草原はそこで終わっていて、ここは崖の上の草原なんだと気付く。 ちょっと身を乗り出して崖の下を覗くと、白い雲の隙間から海らしき青色が遥か遠くに見えた。
「…… ホントに浮いてるんだ 」
イシュタルは大地から切り離された浮遊大陸だという小説の一端
- 異世界転移 -
ありえないけど、小説の内容に感化されてるのかそんな言葉が頭をよぎった。 だけど小説に綴られていた風景と、目の前にある風景がここまで一致していると、ここがイシュタルの世界だと思わざるを得ない。
(まさかイシュタルに来られるなんて…… )
現実世界に嫌気がさしていた私は、夢にまで見たイシュタルの世界に心が踊る。
もう学校でいじめられることもない。
親の顔色を窺いながら優等生のフリをする必要もない。
ずっと憧れていたこの世界で冒険ができる。
私は持っていたほうきとちり取りを思いっきり空へ放り投げた。
イシュタルはこの浮遊大陸の名称で、ファーランドという国がこのイシュタルを統治している。 大陸自体が独立しているので近隣の国というのが存在せず、領土争い等の戦争はないらしい。 統治しているファーランド王家は国民からの信頼が厚く、多少荒々しい政治だけど200年統治を続けていると小説には書かれていた。 ついでにこの大陸には四季というものがなく、一年を通して――
「いてっ! 」
不意に後ろの茂みから声が聞こえた。 びっくりして振り返ると、茂みからムクッと起き上がった白いワイシャツの背中。 頭を撫でながら私が放り投げたほうきを手にしていた。
「え――
私の声に振り向いたのは、保育園の頃からの幼馴染の
「…… どこだ? ここ 」
光ちゃんは周りを見回して、寝ぼけたような目をパチパチさせている。
(私の側にいて一緒に転移してしまったのかな…… )
ボケッとした顔をみると、気絶してたのかもしれない。
「あれ? オレら確か教室の掃除…… 」
「うん、なんでかここに飛ばされちゃったみたい 」
「ふーん…… 」
『そっか』と頭をポリポリと掻いて、この非常識な現実を素直に受け入れている。
(度胸がいいというか能天気というか…… )
昔からあまり慌てた様子を見せない光ちゃんは、子供の頃から私をずっと見守ってくれる存在だ。 恋心はないけど、側にいてくれるとやっぱり安心していられる。
「光ちゃんはびっくりしてないの? ここ多分イシュタルだよ? 」
「イシュタルって、お前がいつも読んでる小説? 」
「うん。 あそこに浮かんでるファーランドのお城とか、この浮遊大陸とか景色とか、小説の世界そっくりだもん 」
『おおっ! 』と物珍しそうに光ちゃんがファーランド城に食いついた。
「良かったな! ずっと見てみたいって言ってたとこだろ? 」
光ちゃんは自分のことのように喜んでくれる。
(こういうところも昔からだよね…… 自分の夢は諦めちゃったのに )
「不安じゃないの? 私達がいた世界じゃないんだよ? 日本じゃないんだよ? 何が起こるかわかんないんだよ? 」
怖がらせたい訳じゃないけど、あっけらかんとし過ぎててこっちが不安になってくる。
「だってお前が知り尽くしてる世界だろ? 別に不安になんか思ってねーよ 」
確かに何回も読み返して世界観はわかってるけど、それは本当にここがイシュタルならの話だ。
(私が知ってるなら心配ない…… か )
全面的に信用してくれるのは嬉しいけど、その能天気さにはちょっと呆れてしまう。
「…… もう。 相変わらずなんだから 」
それでも光ちゃんがそばにいてくれるのはとても心強かった。 いくら知り尽くしている小説の中の世界とはいえ、私の旅が主人公のようにうまく事が進むとは限らない。 この国は日本とは違って治安は良くはなく、貴族が腰に剣を携えてうろついてるような世界だ。
「とりあえず立って。 いつまでもここにいても仕方ないし 」
私は光ちゃんを引き起こそうと手を取って引っ張った。
「痛っ! 」
「うわっ!? 」
私の悲鳴にびっくりして、光ちゃんは慌てて手を離してしりもちをついた。
「何するのよ! 痛いじゃないの! 」
握り返してきた光ちゃんはとんでもない握力で、手の骨が折れるかと思った。
「え…… あ? うん、ごめん…… 」
光ちゃんはきょとんとして、私の顔と自分の手を見比べている。
(引き起こしてあげようと思っただけなのに! )
ジンジンと痛む右手を手を擦りながら光ちゃんを睨み付けてやった。
「いや…… マジごめん。 あれぇ? 」
手をニギニギしながら光ちゃんは首をかしげる。 なんだか様子がおかしい…… うん、光ちゃんはこんな意地悪はしない人だ。
「どうしたの? 体の調子悪い? 」
「いや、調子はすこぶるいいんだけど…… 」
光ちゃんはおもむろに立ち上がって自分の身体中を見回していた。 なんだか凄く戸惑っている。
「翔子、もう一回手を貸して 」
「うん? 」
そう言われて差し出した左手を、光ちゃんは恐る恐る握り返す。 徐々に握る力を強くしてくる左手に、私の左手はすぐに悲鳴を上げた。
「痛いってば! 」
「ごめん 」
すぐにパッと手を離し、やはり手をニギニギとしている。
「光ちゃん? 」
「翔子…… オレ、力の加減出来なくなっちゃったみたい 」
これが、このイシュタルの世界におけるスキルだと納得するのには時間は掛からなかった。
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