第2話 推しの頼みなら、お金を出してでも叶えるよね
「推しに会えたら、お金を出すのは当然だからさ」
「いやいやいや、ていうかこの状況でよく冷静ですね! 普通はもっと驚くと思うんですけど!」
確かに夜桜ミオさんの言う通りだけど、今はこの三次元で目の前にいることの感動の方が大きい。ディスプレイから出ていることなんて些細なことだ。
「目の前に夜桜ミオさんがいることの方が重要です。ずっと応援してきたんですから、不可解な現象で現れたからといって、驚きません。感動の方が上回ってます」
「そ、そうなのね……」
「とりあえずお茶でも飲みますか? もうすぐ幼馴染が来て晩御飯なんですけど、一緒に食べますか?」
「それはまた今度! 今は一緒に来て!」
一緒に来てとはどういうことだろう。
ディスプレイに入るのか、はたまたこのままどこかに移動をすることなのか分からない。ただ、夜桜ミオが現実の存在だったことだけは理解できる。ここは素直に従った方が心証はいいのかもしれない。
「分かりました。どこに行けばいいですか?」
「ありがとう! じゃ、失礼するわね」
そう言いながら手招きをされ、ディスプレイの前に移動をした出雲の頭部を両手で掴んでくる。
「あ、あの、これって……」
「今は私に身体を任せて」
まさか推しに触ってもらえて、身体を任せてなんて言ってもらえて最高過ぎる。もっと色々なところを触っていいんですよ。ほら、もっともっと。
出雲が邪なことを心の中で考えていると、夜桜ミオが「行くよ!」と眼前で声を上げた。初めて聞いた真剣な声色を聞き、心臓が高鳴る。
当然だろう。今まで画面越しに見ていた架空と思っていた存在が、現に目の前に現れているのだ。それだけで不可思議で不可解な現象が起こっていると理解できる。出雲が変な行動をしていたのは、不可思議で不可解な現象を受け止めるために行っていた行動だ。
「俺の全てを任せます!」
「そういうのいらないから! 行くわよ!」
頭を掴まれている手に力が入った気がする。
いや、かなり力が入っている。たまにミシミシと頭蓋骨が軋む音が脳内に響いているのが証拠だ。もう少し力を和らげてほしい反面、推しの手の感触を感じたいので強めてくれるとありがたい気持ちもある。
「分かりました! どこにでも行きます!」
「ありがとう。そう言ってくれるとありがたいけど、死なないでね」
ディスプレイに引き込まれながら”死なないで„と言われて悪寒を感じてしまった。
まさか死ぬ危機があるだなんて思うはずがない。推しの頼み事は断れないジレンマに挟まれながら、前後左右全てが暗い空間を頭を掴まれながら進んでいた。
「この暗い場所は何ですか?」
「気にしないでいいから」
途端に冷たい返答だ。
気にしなくてもと言われても、ディスプレイに入って暗い空間に出たら聞きたくもなる。だが、目の前にいるミオはどこか緊張しているようだ。なぜなら手から出た汗、いわゆる手汗が出雲の頬に流れているからだ。
何もない時ならご褒美だが、出雲以上に緊張をする理由とは何だろうか。聞いてみたいが、また塩対応されたら心が持たない。今は聞かないようにしよう。
「もう少しでここから出るけど、目の前に広がっている光景に驚かないでね」
「ミオさんに連れて行かれるところなんですから、何があっても驚きませんよ」
「そうだといいけど……」
どこか浮かない顔をしているミオだ。何か予想ができないモノでも見せられるのだろうか。例えそうだとしても、出雲はすぐに受け入れる覚悟をしていた。
今まで夢や想像の中で何度も夜桜ミオを救っている。怪獣やエイリアンから何度も救い、終末世界では出雲が大黒柱として共に生活までしていた。この多様な想像の中で経験してきたことをついに活かす時が来たのだ。
「ここから出る時に強い光が出るから、目を閉じてて」
「分かりました」
ここは素直に従うことにした。
「行くわよ!」
「はい!」
指示に素直に従いミオと共に暗い空間から出ると、何やら草花の爽やかな匂いを感じる。明らかに目を閉じていても草原と思わしき場所に立っていると推測できるが、なぜディスプレイに入って暗い空間を抜けると草原に出たのだろう。
「もう目を開けていいわよ」
ミオの指示に従い目を開けると、予想通り草原が広がっていた。
草花の良い匂いや、頬を撫でる風が気持ちいい。先が見えないほどの広大な草原を見続けていると、何やらおかしな点が見えてきた。
「あの……どうして月が二つあるんですか?」
「あぁ……ここは君のいた世界とは違うからね」
「あ、そうですか。別の世界ですか」
脳の処理が追い付かない。頭を掴まれて暗い空間を抜けたら、そこはもう別世界。
いわゆる異世界に来たということで間違いない。今まで様々な想像をして夜桜ミオを俺は救ってきたが、異世界を想像したことはない。現実をベースにしたモノばかりだ。もしかしたのこの世界には怪物や魔法など出てくるかもしれない。その際の対処法を考えなければ。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「心臓が痛いくらい高鳴ってます。あの、夜桜ミオさんってVTuberじゃありませんでした?」
「ふふ。VTuberならこうして目の前に現れるのかしら?」
「そうですよね。やっぱり現実ですよね……」
VTuberの概念が壊れていく音が聞こえる。
俺のいた世界があの暗い空間でこの異世界と繋がっているなんて、普通に暮らしていたら分かるはずがない。どうして夜桜ミオさんは俺を連れて来たんだろうか。今なら聞けるかもしれないな。
「どうして俺をこの世界に呼んだんですか?」
「それは、あなたが私を見えたからよ」
見えたからとは一体どういうい意味だ。
推しを見るのは当たり前だし、幻影であろうと出現させて話すのは当然だ。むしろ推しを現実世界で見れないやつがいるのだろうか。いや――いない。そんなやつがいるのなら、そいつは推しを推す資格がない。
「推しを現実世界で見るなんて当然じゃない?」
「いやいや、普通じゃないわ! 君はそんなことできるの!?」
ミオさんはどうして普通のことを言うのだろう。
推しを自身の隣に出現させなければ推すなんてことはできない。常に推しのことを考え、人生は推しと共に歩むのが普通だ。ミオさんはそのことを知らないのかもしれないから、教えてあげないと。
「推し画面の中だけなく、現実世界で見る力が無ければ推しを推す資格はないですよ。俺も昨日ミオさんを現実世界に出現させて、一緒に晩御飯を食べました」
「私と!? 夜は配信準備してたんだけど!? どうやって私と食べたの!?」
「ただ俺の部屋にミオさんを出現させただけです。現れろと念じれば目の前に推しが現れますよ。今念じたんで、そこの地面でミオさんヨガやってますよ」
出雲から見える地面でミオがヨガをして汗をかいている。
身体が柔らかく、開脚姿が美しい。だが、その姿を夜桜ミオ本人は見えない。いや、見ることができないと言った方が正しいだろう。
「私には見えないよ!? どういうことなの!?」
「ただ推しを出現させただけです。本人が本人を出現させるのは無理ですよ。できるのは推しがいる人だけだと思いますよ」
ミオさんが額に手を当てて悩んじゃったよ。
そこまで悩ますつもりはなかったんだけど、どういうことと聞かれたら教えるしかないしな。とりあえずこのままここにいても仕方ないから、話しを戻すか。
「ヨガをしているミオさんはもう消しました。話しをずらしてすみません」
「け、消したのならもういいわ。あまり私の前で出現させないで」
「分かりました。もうしません」
ミオさんがいなければいいんだな。
言質を得たから、自室で寝る時も出現させて一緒に寝よう。リアルなミオさんの匂いは暗い空間の時にたくさん嗅いだから、それも加えて寝るとするか。
出雲は本人に聞かれたら気持ち悪いことを考えつつ、真顔でミオを真っ直ぐ見つめている。
「さて、話しがかなりずれちゃったけど、ここがあなたのいる世界とは違うことは理解できたわよね?」
「それはできました」
「そして、あなたのいる世界と隣り合わせにあるのがこの世界よ。どちらかに異変があると片方に影響が出るし、片方の世界が滅びればもう片方も滅ぶわ。言っている意味が分かる?」
「分かりません!」
さっぱり分からない。隣り合わせにある世界なのは分かったけど、それ以外がさっぱりだ。腕を組んで唸っていると、ミオさんが「簡単に言うわ」と肩を落としながら呟いている。
「ここは私が生まれた世界で、この世界を救ってくれる人をあなたの世界で探していたの。私を見れる力が無ければこの世界に来られないし、見る力が無ければ戦う術も教えられないから」
「世界を救うんですか? 凄い平和そうに見えますけど」
「ここだけよ。他は侵略されているわ。だから――あなたに力を貸してほしいの。一緒に世界を救って」
ミオさんが涙を流している。
推しを泣かせるわけにはいかないし、世界を救うとなると危険が伴うはずだ。しかし、それ以上に推しに感謝され、推しと一緒にいる時間が増える。どちらを天秤にかけるかは百も承知だ。
出雲は財布を取り出し、そこから五万円を手に取る。そしてミオの前に立ち、お金を差し出した。
「世界を救うよ。だからこれ受け取って」
「救ってくれるのはいいけど、お金はいらないわ! 生活費にしなさい!」
怒られてしまい、締まらない決意表明となってしまった。
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