火星婦は見た!
黒井真(くろいまこと)
第1話
「ごめんくださぁーい。あの、ナカザワ火星婦仲介所から来ましたぁー」
高く、細いが、凛としたエレガンスを感じさせる声が響くと、奥からどてらを羽織った小柄な女性が顔を出した。
「ああ、連絡を貰っていたイチハラさんね。あ、コラっ!」
「え? あっ!」
驚くイチハラの足元を、一匹の猫がすり抜けようとしていた。慌てて、脚で猫の進路をふさぐ。猫はシャー! と鳴くが、飼い主が「ハルミ! ハルミちゃん」と呼ぶとその動きを止め、大人しく抱きかかえられた。
「ごめんなさいねぇ、猫型ロボットなんだけど、性能が天然猫に近すぎてね、ドアが開くと脱走しようとするのよ」
「あぁ……」
抱きかかえられた猫型ロボットは尻尾を動かしながら、イチハラの顔をじっと見ている。いわゆる三毛猫を模した三色の毛並みはつやつやふわふわしており、くりっとした目の愛らしい容貌に、もともと猫好きなイチハラの顔もほころぶ。その様子に猫の主も相好を崩す。
「ハルミちゃんって言うの、可愛いでしょ? パッと見にはロボットってわかんないくらい」
「ほーんと、天然猫と見分けがつかないですねぇ」
イチハラが、抱きかかえられたハルミちゃんの赤い首輪が巻かれた喉元を触ると、ハルミちゃんは「にゅーん」と鳴いて尻尾をゆらゆらさせた。
「えーと、ナカザワ火星婦仲介所からのイチハラさんね。私はここの所長をやっている、ノムラです。さっき紹介状が届いて、ちょうど今見てたとこなの。火星は初めてで、こっちに特に知り合いはいなくて、うちの宿舎に滞在、ってことでいいのね」
「はい」
「オオサワ火星婦養成所の出身なのよね」
「はい」
「じゃ、基本的な火星婦としての知識と技能はあるわね」
「はい」
「良かった。それじゃね、さっそく現場に行ってもらうから。現地で担当のマツモトさんに指示を仰いでね。じゃ、あっちにある自動運転車で現場まで行ってちょうだい。あ、荷物は自動運転車が裏手にある宿舎まで運んでくれるから。貴重品だけ持って、あとは車の中に置いといて大丈夫だから」
捲し立てるノムラの声に急き立てられるようにしてイチハラは車に乗り込んだ。
* * *
車が着いたのは、地球でも有名な、火星で一番大きなリゾートタウン「ハイパーマーズ」の西端の開発途中のエリアだった。
タウンの端っこなので、中心部方向に目を向けると、巨大な施設と色とりどりの煌びやかなイルミネーションが一望できる。その巨大さと豪華絢爛さに、車から降り立ったイチハラの口からは思わず「まぁ~」と歓声とも嘆息ともつかぬものが漏れる。
サイバーパンク的摩天楼に見とれたイチハラがぼーっと突っ立っていると、中年の男が近づいてきた。
「オザワ火星婦紹介所のイチハラさん?」
「はい」
「マツモトです。よろしく」
「よろしくお願いします」
「じゃあ、まずあっちで簡単な説明と、あとパワー・アシスト・スーツと安全靴、渡すから」
「はい」
歩きながら、マツモトはタブレットで書類を確認し、
「えー、イチハラさんは火星での実務は初めてで……ああ、オオサワ火星婦養成所を出て、ナカザワ火星婦仲介所を経由して、オザワ火星婦紹介所から派遣されて来たんだ」
「はい」
「ファソナ・グループの搾取三段活用コースだね。手取りが少ないって文句言う人がたまにいるんだけど、それって仲介業者のせいで、うちは正規の給料を払っているからね。後で文句とか言わないでね」
「はい……わかりました」
イチハラは、開発区画の中にあるプレハブ小屋へと案内された。それは地球の工事現場にあるものと変わらず、むしろ地球の有名工務店の名前を雑に剥がした痕跡などが見てとれ、使い古しを火星に持ってきてリサイクルしていることを伺わせた。
ドアを開けると、殺風景な狭い空間に、着替え用のロッカーとあまり役に立たない
「そっちの空いてるロッカー使ってね」
「はい」
「パワーアシストスーツの使い方はわかる?」
「はい、研修で習いました」
「あ、そ。それ、つけてないと何かあったとき、労災降りないからね」
「はい。あの……」
「うん?」
「労災がおりるようなことって、何か、あるんでしょうか?」
「うーん、おりたことはないねぇ。要求されたことはあるけど」
「……そうですか」
イチハラは衝立を移動させ、着替え始めた。その間、マツモトはいくつか電話で用事を足したが、イチハラが着替えながら聞いた内容は、職場のかなりブラックな実態を思わせるものだった。
「終わった? じゃ、まずは汚物廃材収集・分別コンポーネントの管理業務をやってもらおうかな」
「はい」
マツモトに連れられて行った汚物廃材収集・分別コンポーネントでは、圧縮エアで送られてきたリゾートシティ内で出たごみを素材ごとに細かく分別していき、最終的に素材ごとにまとめ、加工しやすくペレット状にしたものを各再生工場へと振り分けていく。
イチハラは、第一段階として送られてきたものを大まかに分ける区域に配された。
比重や磁力などで分別をするため基本的に機械まかせの作業だが、機械への引っかかりや噛み込みの度に鳴るアラームに対応し、異物を取り除いたり、安全確認をしてから再起動するなどの作業を行う。
金属類分別層、プラスチック分別分岐点、浄化水槽……アラームが鳴る度に施設内をあちこち駆け回り、五度目の異常アラームに施設の入り口にあたる吸入口へとパタパタと駆け付けると、機械が<原因不明のエラー>を表示していた。
「あら、何かしら」
イチハラは覆いを外して流路の内部を覗き込んだ。
そして、火星婦は見た!
他の廃材や汚物とともに流れ着いてきたと思しき死体を。
(続く)
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