本編

 アウァリティア旧市街が晴れることは滅多にない。絶えず空を覆う鈍色の分厚い雲は目に入れるだけで気持ちを沈ませてくる。


 地面には高層ビル群の灰色の瓦礫が散乱しているし、アスファルトは漏れなくひび割れて砕けているから歩きづらい。

 数百年前までの人類の首都は『天敵』との絶え間ない戦闘の結果、完全に放棄されて荒廃してしていた。

 この瓦解した幽霊都市を歩く人類はもはやアウァリティア巡回部隊の僕達の他にいない。




「ちょっと、静かにしなさいよ!バカレイン!」

 とカシスが僕を睨みつけた。

 ホームセンターの廃墟の中、彼女は膝を抱えてた手で僕の頭を叩いてくる。支給されたロングコートの制服は返り血によって汚れていた。

「あいつらに見つかったらどうすんのよ!」

「その声がうるさいよ、大体カシスが一人で飛び出してったのが悪いんだろ」


 レジカウンターの裏は二人で並んで座るには狭すぎる。僕がみじろぎする度に些細な物音が鳴ってカシスはそれに怒っているらしい。けど、こんな事になったのは全部カシスのせいだ。

 カシスが勝手に『天敵』を刺激したせいでこんな面倒な事態になっている。『天敵』を倒すには先手必殺がセオリーだ。でなきゃ奴等の使う能力は強力すぎる。

 今だってそうだ、ヤツの創り出したゾンビはあまりに数が多過ぎた。一匹ずつ殺してったら百人斬りどころじゃ済まない数が徘徊していて、仮にこれが時代劇としたらあまりに助長すぎる殺陣に観客からのブーイングを呼び込むだろう。明確な作戦が必要だ。


「応援を呼ぼう、二人だけじゃ手に負えないから」

「何言ってんのよ!ゾンビなんて無視して本体を殺せばいいだけの話でしょ、そうすれば二人で対処できるわ」

 カシスは体育座りのまま声を荒げる。密着してるせいで左耳が五月蝿い。

「そうやって評定にこだわってるから今、こんな事になってるんだろ。僕はカシスの我儘に付き合うつもりはない」

「あんたはいっつもそうやって私の邪魔をする!」

「それは僕のセリフだよ!カシスのせいで何回死にかけたと思ってるんだ」

「救った事だって何回もあるわ!不幸ばっかり数えて、そんなだからオカマレインなのよ!」

「それもやめろって言ったろ!僕より評定低いくせに!」

「っ──!殺すッ!!」

 カシスが獰猛な猫みたいに攻撃的な表情で顔に向けて手を伸ばしてくる。

 パンチか目潰しかどっちかだ。


 いつものように伸びてくる手を受け止めると、体育座りで社交ダンスをしてるみたいな間抜けな姿勢で膠着した。子供の喧嘩とかでよく見るポーズだ。つまり、魔法少女に変身してない僕らなんてのはそこら辺の中学生と変わらない。

「こんな事してる場合じゃないだろ……?!」

「知ってるわよ!さっさと天敵を倒す、あんたが協力すんの!」

「だから応援を──」

「うっさい!被害を最小限に抑えるには二人でさっさと討伐するのがベストじゃない」

 最もらしい内容は自分だけで天敵を討伐したいからだ。カシスは討伐評定に死ぬほどこだわっていて、その為なら世界平和とか他人の命とかどうでもいいと思ってる、僕に分かる。

 ふと、カシスの表情が意地の悪い笑みに変わった。

「そっか、そんなに自分の安全が大事なんだ、やっぱあんたはオカマレインね」

 安っぽい挑発だ。


 しかし、こういう挑発を無視出来る程僕の精神は擦れてない。

「カシスが援護なら協力してやってもいい」

「……ぃいわ」

 不機嫌さのみが滲んだ噛み殺した声だった。評定と僕に譲る不快さを天秤にかけた音だ。

「それで手打ちよ」

「よし。じゃあ本体を探そう」

 それで僕達はようやくレジカウンターの下から這い出た。旧市街には溢れるほど居たゾンビも店内には入り込んでいない。

 だったらもっと快適な対話スペースがあっただろう、と今更思い至った。でもそれは仕方ないことだ。僕の頭は大した出来をしてないし、カシスだってそう。僕らは文字通り『魔法少女症候群』を患ってるだけの感染者にすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。

 



 広大なホームセンターを歩く。二つの抑えた足音が静寂に規則的に打ち鳴らされる。

 崩落した壁に近い棚を踏みつけながら二階、三階と階を上がっていく。

「ちょっと、どこ目指してんのよ」

「屋上だよ。そこから本体を見つける」

「ふーん」

 カシスが気のない声で返事をした。まるで興味が無さそうだった。

「返事して損した」

「それは良かったわ」

 大した嬉しくも無さそうでそれが寧ろムカつく。本当に嫌なやつだ。初対面から今に至るまでカシスの良いところなんて見つかった試しがない。

 僕より評定が低いことくらいだな、そうじゃなかったらと考えるとゾッとする。

 非常階段を登って屋上に出た。

 空を埋め尽くす灰色雲とコンクリートジャングル。その景色に唯一差し込んだ一筋の光は『天敵』が降ってきた軌跡だ。胸まである柵から下を覗き込むとアリみたいに蠢くゾンビが見えた。土色の集合体がうじゃうじゃと気色悪く動いている。

「気持ち悪……」

 カシスも隣で同じ様に下を見て、鴉の死骸でも見てるみたいに微妙な顔をしている。


「あれが本体か」

 視線の先。遠くに居るせいで蟻くらいに見える『天敵』が宙に浮いている。実際には五メートル程の大きさで、背中から生えた翼を手足と一緒に鎖でぐるぐる巻きにした首無し人間ってのが正確な容態だ。火炙りされる時の状態に近い。

 攻撃手段は声。『天敵』の言葉はそれに従って世界を歪める力がある。今、地上を散歩してるゾンビだって『蘇』という奴の一言によって生み出された現象だ。

 専門家曰く、アレは反射によってのみ行動しているらしい。だから認識されて詠唱が完了するまでの瞬間に殺すのが魔法少女における戦闘のセオリーとなってる。僕達はそれに失敗したワケだ。

 …さっさと済ませよう。


「『変貌』」

 詠唱に従って世界が眩む。全身の皮膚が裏返るような不快感と体の内側から溢れ出てくる力の奔流に襲われて体が引き裂かれた様に錯覚する。しかし、それらの感覚は一瞬だ。瞬きの間に僕の体は弟二次性徴只中の少女の身体に変化した。黒髪は伸び、胸は膨らみ、内臓の構成だって変わっているらしい。僕の体を弄くり回した生物学者がそう言ってた。どういうワケか服装まで制服から変わってるが、これに関しては未だに解明されていない。


 全身の感覚が鋭敏になっているのを自覚する。カシスがこちらへ振り向いたのがわかった。

「あんたの衣装ってなんでそんなヘンタイみたいなの」

「それを言ったらカシスだってそうだろ。むしろ僕の衣装の方が露出は少ない」

 というか男のままの姿だったら何も違和感は無かった筈だ。

 着物の上を脱いだ状態で見える素肌を指先から首まで包帯でぐるぐる巻きにした姿。大怪我した侍って言葉が似合ってる。カシスは胸の形が丸わかりなのを揶揄してるらしい。

 それでも、露出した肌が顔だけとか魔法少女にしては異常なほど目に優しい衣装だ。大半の魔法少女は僕の比じゃない格好をしているし、それはカシスだって変わらない。

「『変貌』」

 カシスが呟くと同時、彼女の体から眩い光が放たれ魔法少女へと変身した。

 チャイナドレス的なスリットが入った衣装で胸も手足もあからさまに露出されている。どの口でヘンタイとか言ってんだヘンタイ。って僕が男じゃなかったらそう言ってた。


「で?私はどうすればいいのよ」

「僕の前で先導してゾンビを倒してって。それで本体まで突っ切る、奴がカシスに攻撃したタイミングで僕が本体を殺す」

「ふーん、あっそ」

 そう言ってカシスは手すりに手を掛けた。僕を見てから、下を覗き一度呼吸をする。

「じゃあ遅れてもしらないから──」

「ちょっ!」


 飛び降りた。

 少しして着地の衝撃音が聞こえる。僕も慌てて追って飛び降りる。ゾワッとする浮遊感と共に気持ちの良い風圧が全身を打ち付ける。視線の先ではカシスの魔法によってゾンビ共の大量殺戮が行われている。

 カシスが好む氷を模した魔法によってアスファルトや放置自動車がゾンビと纏めて氷漬けにされていく。

「『氷華』!『氷剣』!『絶対零度』!」

 えらく楽しそうな詠唱だった。カエルを殺す子供みたいな残酷さを感じる。これじゃあどっちが悪者だか分からないし、少なくとも過剰防衛には違いなかった。

 というか絶対零度って……。詠唱は基本的に個人の好みだ。趣味と言ってもいい。要するにカシスは結構、なんていうか、厨二チックだ。それを言ったら僕にも返ってくるから言わないけど。


「カシス!目的忘れてない?!」

「……忘れてないわよ!さっさとついてきなさい!バカレイン!」

 カシスがさっさと走り出して僕もそれを追う。人が出すには不可能な速さで冷凍都市の風景が流れていく。六車線もある幅の広い車道は祭りでも中々無いくらいの密度でゾンビが埋め尽くしていて、それがカシスの魔法によってボーリングのピンみたいにコミカルに吹き飛ばされていく。

 この調子だと本体に辿り着くまで魔力がもつかどうかって所だろう。まぁ元々、応援を呼ぶべきって事態だった。このくらいの困難は然るべきだ。全力疾走しながら空を見上げるとレーンみたいに立ち並んだ都市建築群の先に『天敵』が見える。あと少し近づいたら奴の反射本能の範囲に入る筈だ。

「『氷隕石』来るわよ!」


 カシスが詠唱した魔法によって生まれたバカでかい氷が数百体のゾンビを押し潰した。カシスがそれに飛び乗ると同時に『天敵』がこちらを認識した。

 それが分かった。

 奴の声が頭に響く。頭蓋骨を開けられて直接声を注がれてるみたいに気色が悪い感覚。


『龍』


 『天敵』の詠唱だ。黒い塊がコンクリートを割って噴き上がった。三十メートルくらいの高さまで伸びたソレがヘビのように唸り、それからカシス目掛けて喰らいつく。


 遅れて、それがゾンビだと気づいた。


 ゾンビがミンチにされて細長く引き伸ばされてる。散りばめられた腕や生首や髪の毛の破片が鋭敏になった視覚で捉えられる。

 僕も遅れて氷に飛び乗り、それから『天敵』のさらに上空へと跳躍した。眼下ではカシスが黒いゾンビ龍に対して氷の壁を作って防いでいる。

 上方向に向けて生み出した推力がすべて位置エネルギーに変換され、頂点へと達した肉体が落下を開始した。

 あと数秒で決着をつけられる。


「『凍龍』!」

 カシスが残った魔力を使い尽くして魔法を放った。氷の噴水がカシスの手から射出され『天敵』の身体で砕けていく。ほとんど八つ当たりに近い。あんな魔力で『天敵』が倒せるわけがないのに精神的苦痛と見栄の発散の為に魔法を使ってる。

 もちろん『天敵』は気にした素振りすらなく、上空から降って来る僕に敵意を向けた。

 

 ──来る


『王』


 奴の詠唱と同時に巨人が出現した。天敵を庇う盾みたいに僕との間に遮って現れる。

 黒い肌がボロボロに崩れていて、しかし剥き出しになった隆々の筋がコイツのパワーを表している。腕だけで僕を振り回せるくらいにはバカでかい。

 ──だが関係ない。


「『大剣』」


 詠唱して魔剣を出す。目の前の巨人が扱って丁度様になるくらいの極端な大きさだ。僕が変身してたって持ち上げるので精一杯だろう。空中でもなきゃ使いづらくて仕方がない。

 自由落下によって増していく加速に、沿わせる方向性で魔剣に力を加えた。バスケのダンクの要領だ。切っ先に至っては相当な速さになっていて空気を裂く鋭い音が耳に響く。

 巨人が手を前に差し出して防御姿勢を取った。或いは僕を握りつぶそうとしてるか。


 切っ先と巨人の手が触れる。

 手応えは殆どなかった。勢いは減速することなく、むしろ加速して巨人の手を切り裂いた。そのまま頭から太腿の半ばまでを後ろの『天敵』ごと真っ二つに斬り落とした。血は噴き出なかった。ゾンビも天敵も世界に溶けていくかのように消えていく。

 『天敵』が死ねば歪んだ世界も元に戻る。当たり前の話だ。

 曇天が晴れ渡り光の海が旧市街に降り注ぐ。その景色が下から上へと流れていった。大剣はもう消えたから、墜落するのは僕だけだ。

 これで又、評価が上がる。


 最悪だ。


 魔法少女としての評価なんて僕が欠陥品であることの証明にしかならない。

 カシスにはバカにされるし部隊長には期待される。どっちも同じくらいウンザリだ、僕をひたすらに傷つけてくる。



 それでも僕は戦い続けなければいけないし、世界にはその価値がある。


 大人はみんなそう言ってた。

 だからきっとそうなんだろう。

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