大陸暦1526年――尋問の終わり


「そうすれば、君たちは今でも繋がっていられたのに」


 記憶から戻ってきたのを見はからったかのように、少女が言った。

 あぁ……僕はどうして、そんな大事なことを忘れていたのだろう。

 どうして、ベッドの下なんかで怯えていたのだろう。

 あいつらが出て行ったときにすぐにでも動いていれば、メアの一部は死ぬことなく取り出すことができたのに……それなのに僕が臆病者なばかりに、彼女の望みを、叶えてあげることができなかった。

 それは、僕の望みでもあったのに。

 彼女と繋がっていることは、死後も共にあることは、僕も望んでいたことなのに。

 馬鹿だ……僕は、本当に大馬鹿ものだ。

 僕の所為で、メアは完全に失われてしまった……。

 止まりかけていた涙がまた流れ出す。

 取り返しのつかない後悔が胸をいっぱいにする。


「僕は……あの日からなにもかも、間違っていたのですね」

「そうだね」


 少女は同意すると、黒手袋の両手を合わせた。パン、と鈍い音がする。


「まぁでもーわたしとしてはーついてたけどねぇ」


 少女の口調が初めのものに戻った。


「キミのような珍しい性質に会えてー。だからさー。お礼に一ついいことを教えてあげよー」

「いい、こと?」

「そうー。おそらくキミが唯一知らないーキミのお姉さんのことー」

「メアのこと」

「その前にーキミは覚えているかなぁ? 十歳のときにーキミのお姉さんが馬車にかれそうになったときのことをー」


 覚えている。あれは中央区に家族で買物に出かけたときのことだ。

 メアが車道にいた猫を助けようとして飛び出したんだ。でも、猫はその前に逃げて、メアだけが馬車にかれそうになった。幸い馬車がギリギリにけてくれたのと、父がメアの手を引っ張ったことで大事には至らなかったんだけど……。


「それが、どうかしたんですか」

「そのときの証言でー馬車の御者がー少女はこちらを見てまったく逃げようとしなかったーていうのが残っているんだけどーそれって本当ー?」


 確かにメアは迫り来る馬車を見つめたまま微動だにしなかった。だから父が焦って手を引っ張ったのだ。


「でも、メアは怖くて動けなかったって」


 そのようにあとで教えてくれた。


「本当に彼女はそう感じていたぁ? お互いが閉じていなければキミたちは感情も筒抜けだったはずだよねぇ?」


 あのときのメアの感情……。

 嘘じゃない。間違いなくメアは恐怖を感じていた。

 だから繋がっていた僕も彼女の恐怖に影響されて、それが自分の恐怖とも合わさって、震えてそれを見ているしかなかった。……でも――。

 それに思い至り、唇が震え出す。


「続けて訊くけどー。お姉さんはさー殺されるときどのように感じていたー?」


 ……あのとき……あのときのメアは――。


「怖がってた……苦しんで、痛がって……でも」

「でもぉ?」


 メアが馬車でかれそうになったときの状況と、最後の状況が重なる。

 その両方で、僕は今までに感じたことのない高ぶりを覚えていた。

 それは僕の気が動転して感情がおかしくなっていたのかと思っていたけれど……そうじゃない。

 あれは、僕の感情じゃない。

 あれは――。


かれそうになったときも、最後のときも、メアは……受け入れていた」


 どうして。どうして――。

 メアは普段からそんな素振りはなかった。

 死にたいだなんて思ったことなんて一度もなかった。

 僕はそれを知っている。

 彼女は僕よりも生きることに前向きだったんだ。


「それはねーキミのお姉さんがだからだよー」

「死を、受容」

「そうー。死にたがり屋とは違うー死にたいわけでもないー死に魅入られているわけでもないー。ただ目前に死が迫ったときだけに目覚める性質ー。ねーそれはキミも知らなかったでしょー?」


 僕は力なく頷く。

 そうか……そういうことか。

 少女が教えてくれたことで、僕はメアの最後を鮮明に思い出していた。

 そして、理解した。

 どうして最後の瞬間、あんなにもメアの感情が高ぶっていたのかを。

 あれは――死を迎えられることへの喜びだ。

 メアは、喜びを感じていたのだ。

 今にして思えば、彼女は昔から死を前向きに捉えている節があった。

 架空の物語にしてもそうだ。メアは誰もが幸せになる物語よりも、誰かが犠牲になる物語を好んでいた。その犠牲になった人物に対しても、僕が可哀想という感情をいだくのとは対象に、メアはその死には意味があるというような感想を述べることが多かった。

 星音しょうおんの話をしたときもそうだ。死という言葉を聞いただけで怖くなっていた自分とは違い、彼女は死というものに対して全く恐れを感じていなかった。むしろ、少し憧れのような感情までをもいだいていたかもしれない。

 あの夜、メアが恐怖と苦痛を味わったことには変わりない。

 でも、最後の瞬間、メアはそれらから解放されていた。

 恐怖と苦痛の中ではなく、死を迎えられることへの喜び――興奮と安らぎの中で彼女は死んでいった。

 それだけでも、その事実だけでも、僕にとっては救いだ。

 それを思い出せただけでも、ここまで来てしまった意味は……あったのかもしれない。


「さてー。尋問終わりますー。お疲れさまでしたー」


 少女が立ち上がる。


「宣誓は……いいのですか」


 こういうときは、述べることが嘘偽りないことを神に宣誓しなければならないはず。


「いいよー。だってキミー大筋は嘘ついてないもんー」


 その言葉に僕は内心、驚いた。

 で僕が嘘をついていることを少女は気づいている。

 やはりこの少女も……悪魔なのかもしれない。

 あの人と同じく……。

 女性騎士が鉄扉を開いて部屋を出る。それに少女が続こうとして、ふとした感じで振り返った。


「そうそうー。キミは斬首か絞首ならどっちを選ぶー?」


 それはもう、僕の刑罰が死刑だと決まっているという意味だった。

 当然だ。六人も罪もない女性を手にかけたのだ。死んでも償いきれないぐらいの罪が僕にはある。だからなんの驚きもない。

 それに、それは僕が最初から選ばなければいけなかった道だ。

 あのとき、通報したあと、僕は命を経つべきだった。

 僕がメアと一緒になるにはそれしかなかったんだ。

 ……だけど、今さらそれに気づいたところで、もう遅い。

 僕は二度と、メアと一緒にはなれない。

 それでも、死にかたを選べるというのならば、決まっている。

 少しでも彼女と一緒に――彼女と同じ苦しみを僕は――。

 答える前に少女は口端を吊り上げると言った。


「聞くまでもないか」


 そして背を向ける。


「配慮してあげよう。まぁ流石に殴られ犯されながらというのは無理だけど」


 そう言い残して、小さな悪魔は僕の前から姿を消した。


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