大陸暦1526年――薬の種類3
私とマルルは金縛りでも解けたかのようにそちらへ向く。ラウネは今書いた文書を私たちに見えないよう自分に向けて持つと、ひとさし指を立てた。
「もんだーい。判明した薬はー普通に流通しているー珍しくもなんともない薬でしたー。なのになぜー薬事官は分からなかったのでしょーかぁ?」
こいつのお遊びに付き合っているほど暇ではないのだが、付き合わないと話は先に進まないし、終いには拗ねてしまう可能性もある。子供か。そうなると面倒なので、だから私は仕方なく答えた。
「成分分析で見逃しがあった」
「ぶっぶー」
「はい!」元気よくマルルが手を上げる。
「はいホルホルー」
「職務怠慢!」
マルルが全力で答える。こうしてラウネの
「惜しいー」
しかも惜しいのか。
「それなら、きちんと調べなかったとか」
「ある意味そうだねー」
「どういう意味だ」私は痺れを切らして言った。
「どういう意味でしょー」ラウネはとぼけるように言う。
「分からないから訊いてるんだろ。もったいぶらずに言え」
「もー少しは頭を使いなよー。そんなんじゃーあんまりよろしくない頭がどんどん退化しちゃうよー」
「考えたとしても、そのよろしくない頭ではどちらにせよ分からん」
そう返すと、ラウネはケラケラと笑った。
「自分の劣っているところを素直に認めるのはーキミの可愛いところだねー」
可愛いと言ってはいるが、ようは馬鹿にされているのだ。
「はいはい。でなんだ」私は軽く受け流す。
「正解はー三つの薬が混じっていたからー」
「あぁ! なるほどです」手のひらを合わせてマルルが感心した。
「三つだと」
「そうー被害者は三種類の薬を飲まされていたんだよー。この全ての成分が混ざった薬が今までになかったからー薬事官の連中は新種の薬と勘違いしたんだねぇ。こんなの成分パズルみたいなものなのにーほーんと頭の硬い連中だねぇ。かっちこちだねぇ。一回割ってしまえば柔らかくなるかなぁ?」
なにか物騒なことを言っているが無視して、先を促す。
「で、どういう薬なんだ」
「痺れ薬とー喉の乾きを促す薬ー。そして興奮剤だよー」
「興奮剤?」
「媚薬だよ媚薬ー」
「媚薬? しかし遺体には――」
強姦どころか性的暴行の形跡もない、と言いかけて私は言葉を止めた。マルルがいたからだ。彼女は私よりも年上ではあるが、それでも見た目は女学生のような彼女の前でその言葉を口にするのはどうにも気が引けた。
「媚薬殺人についてーホルホルー。今回の事件と照らし合わせてーレイレイに説明してあげてー」
だというのにこちらの配慮を知ってか知らずか、いや絶対に気づいてるな、こともあろうにラウネはマルルに話を振った。
はい、とマルルは学校で先生に当てられたかのような歯切れのいい返事をすると、いつも浮かべている明るい表情を引き締めてこちらを見た。
「そもそも媚薬を使用した殺人というのはあまり例がありません。なぜなら媚薬というものは性欲――感度を高めさせるためのものであり、強姦殺人を犯すような犯罪者がわざわざそれを相手に使用することがないからです。彼らの目的は自分の空想――欲求を満たすことであり、相手をよくさせるためではありませんから。
それでも全く前例がないわけではありません。しかし、その場合は初めから殺意があったのではなく過激な性行為の最中に勢い余って相手を殺害してしまったか、もしくはその行為に相手が耐えられず死んでしまったなど、ようするに不慮の事故の場合がほとんどです。ですので媚薬が使用されている時点で今回の事件もそれらに分類されるはずなのですが、そう考えるには不可解な点があります。
一つは五人も殺害していることです。最初から女性を強姦し殺害が目的である連続殺人犯、もしくは強姦だけが目的の強姦魔とは違って、媚薬殺人の犯人は基本的に罪を重ねることはありません。
そしてもう一つは被害女性全員の性器から精液が検出されておらず、またほかにも死因の絞殺以外に暴行された形跡が一つも残っていないことです。精液に関しては被害者の体が拭かれたように綺麗だったことから、犯人がその形跡を消した可能性も捨てきれませんが、強姦目的であったにしてもなかったにしても多くの場合、このような証拠隠滅は行なわれません。この手の犯罪者は精液だけでは個人を特定するのが難しいことを知っているからです。
つまりこれらのことから今回の事件は従来の媚薬殺人にも、連続殺人にも当てはまらないことになります。そうなると犯人が被害者に媚薬を飲ませたのには、性行為を目的としない特別な理由があったと推測できます」
マルルは流暢にそう連ねると「私がご説明できることは以上です」と締めた。
私は内心、驚いていた。
マルルはラウネの補佐になる前は、獄吏官ではなく尋問官であったと聞いている。
尋問官は犯罪者や被疑者から話を聞き出すのが仕事だが、ときには口を閉ざした対象から情報を引き出すために、対象や事件そのものに関しても分析しなければならないことがある。だから元尋問官であったマルルも、その手のことに精通していてもなにもおかしくはない。
それでも、いつも溌溂としている彼女が、女性ならば躊躇しそうな言葉を平然と口にしたのには驚いた。そして、気を遣ったことのほうが失礼だったと反省する。
人を見かけで判断するつもりはないし、しているつもりもなかったが、どうやら自覚なくそうしているところがあったらしい。今後はそういうことがないように肝に銘じておこう。
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