大陸暦1526年――毒薬連続殺人事件2


「そして薬物が検出されたのは五人目の被害者だけだ――以上だ」


 そう締めると、ソファの上であぐらをかいて聞いていたラウネが、ゆらゆらと左右に揺れた。


「んーいいねぇ。胸がきゅーんとなるねぇ」


 ……分かりにくいが、というか言葉の選択を明らかに間違っているが、こいつにとって『きゅん』とは胸がときめくとかではない。心躍るという意味だ。踊らすな。不謹慎め。

 それでもラウネが興味を持ってくれたことに私は安堵していた。

 というのもこいつは何事にも興味がなければ協力してくれないからだ。

 士官学校時代にラウネの推理で事件が何個か解決したあと、その噂が守備隊内で広まったのか、ほかの区画隊が助言を求めに来たことがあった。だが、ラウネはその半数を断った。事件の内容がつまらないという理由で。

 つまらないというのは、ようするにラウネにとっては普通すぎるという意味だ。


 そう。こいつは普通が嫌いなのだ。

 事件も、そして人間も、普通から外れた――異常なものに惹かれる。


 だからたとえ人の命がかかっていようと、どれだけの人が犠牲になろうと、それが普通の範囲内のものであれば興味を持たない。琴線に触れなければ見向きもしない。

 そのラウネが今回の事件に興味を持ったということは、なにかしら普通ではない要素を感じ取ったからであろう。

 ラウネがこちらに手を差し出してきた。捜査資料を渡せという意思表示だ。

 結局、自分で見るのか、と思いながらも資料を手渡す。

 ラウネはそれを受け取ると手早くめくり始めた。傍から見たら流し見しているようにしか見えないが、こいつはこれでもちゃんと読んでいる。凄い動体視力だと毎度のことながら感心する。それと同時に私が説明するより絶対、こいつが自分で読んだほうが早かったよなとも思った。


「へぇ。検死解剖してないんだー」


 手を止めないままラウネが言った。

 本来、人体解剖は隣国、ゼンテウス帝国以外はどの国でも法律で禁止されている。それは帝国以外の国々で信仰されている宗教であり、星王国せいおうこくの国教でもある星教せいきょうの死生観に基づくものだ。

 星教せいきょうでは人間は肉体に魂が宿った姿であり、人の死は肉体だけの死だと説いている。

 そして肉体が死んでも魂はめぐり、そして新たな命――肉体に宿りて生まれ変わるという死生観があるのだ。

 しかし、それは誰にも自然に訪れるものではない。

 肉体とは神が作り出した魂の器であり、人が死んでも器が存在する限り魂はそこから離れることができない。だから魂を器から切り離すためには、肉体そのものをなくしてしまう必要がある。

 そのために行なわれるのが、星還葬しょうかんそうと呼ばれる儀式だ。

 そして、それを執り行うのが星教せいきょう星還士しょうかんしと呼ばれる火魔道士になる。

 星還士しょうかんしは、星還葬しょうかんそうで聖なる火魔法――星還士しょうかんしだけが扱うことが許された特別な魔法――で遺体を火葬する。そうすることで骨まで燃やし尽くされた肉体から解放された魂は、いずれ新たな命として生まれ変わることができるのだ。

 しかし、これもまた、ただ星還葬しょうかんそうを行なえばいいというわけではない。星還葬しょうかんそうはその人が死亡した当日、遅くても翌日に行なうのが適切だとされている。それは死した肉体に長く魂をとどめておくと、魂が死にけがされてしまい最後には朽ちてしまうからだ。

 つまりは星還葬しょうかんそうが遅れれば遅れるほどに人の魂はけがれ、最悪、来世が閉ざされてしまうということになる。

 それは本当の意味での人の死だ。

 そのことから星教せいきょうでは意図的に星還葬しょうかんそうを遅らせる行為は全て冒涜としている。

 遺体の隠匿や遺棄はもちろんのこと、それには解剖も含まれている。

 しかし、それでも一つだけ例外が認められている。

 他殺や不審死の場合だ。

 その場合は守備隊からの依頼により、星教会せいきょうかいの然るべき場所で然るべき人間、星教せいきょう死検士しけんしが検死解剖を行うことができる。

 だが、それも許可がおりればの話だ。


「依頼したが通らなかったらしい」


 そう答えると、ラウネは呆れるように言った。


「どうせあれでしょー? 死因は見るに明らかでーこれ以上ー神からいただいた肉体を傷つけるのは認められないって理由でしょー?」

「ああ」


 捜査資料に理由は記されていなかったが、リビア近衛副長はそう言っていた。

 星教せいきょうの言い分は間違っていない。被害者が絞殺されたことは形跡からしても明らかなのだ。それなのにこれ以上、恐怖の中で死していっただろう彼女たちの肉体を――魂を傷つけるのは赤の他人である私でも痛ましく思ってしまう。

 しかし、事件解決のために解剖でもなんでもして、なにか手がかりが欲しいと考える守備隊の気持ちも、分からないでもない。


「相変わらず頭が硬いねー星教せいきょうはー。無辜むこな民が犠牲になってるっていうのにねぇ」


 ラウネが資料から視線だけを上げて意地悪げに微笑んだ。

 私が星教せいきょうの信者だと知っての言動だ。いや、そもそも星教せいきょうが国教であるこの国で、信者ではない人間はいないのだが。もちろん、目の前の人間も含めて。

 ただ、そこに違いがあるとすれば、私は神を信じ、ラウネは神を信じていないことだ。


「なのにー薬事官の連中ーよく薬物だって分かったねぇ」

「五人目の被害者の衣類に付着していた吐瀉物に混じっていたそうだ」


 ラウネはペラペラと資料をめくる。


「あー書いてあったあったー。じゃあー彼女はー仮死状態だったんだねぇ。それで遺棄されたあとに少し吐いちゃってーそのまま死んじゃったー」

「なぜ、遺棄されたあとだと分かる」

「だってーどの被害者も衣類が綺麗だったじゃんー」


 意味が分からず眉を寄せると、ラウネが小馬鹿にするように口の端を吊り上げた。


「ほーんとキミは頭がよろしくないなぁ」


 そして真正面から侮辱してくる。まあ、これぐらいで腹を立てていたらこいつとは付き合えないし、それに頭がよくない自覚もある。だから反論しようがない。


「いいかいー? 被害者は何日も拘束されていたんだよー? それなのに誰もが体や衣類に目立った汚れがないのは変だと思わないー?」

「屋内に監禁されていたのならありえるのではないか?」

「それでもー手足を拘束されて監禁されているんだよー? どんな監禁状況にしろー服のシワぐらいはつくでしょー」


 言われてみれば確かにとは思う。普通に過ごしていても、いつの間にかシワというものは衣類に付いているものだ。……が、だからといってどうだというのだ。

 そう思ったことが顔に出ていたのかラウネは益々、口許を歪めた。


「どうして服が綺麗だったかぁ? それは監禁時に脱がされていたからだよー」

「脱がされていた? なんのために」


 暴行されたのならまだ分かるが被害者には死因以外は一切、その形跡がないのだ。つまり被害者は誰も、殴られても犯されてもいない。それなのにわざわざ服を脱がす意味が分からない。


「自尊心を傷つけて反発心を削ぐためだよー」ラウネが言った。「いいかいー? 人が日頃から当然のように身に付けている衣類というものはねー実は人間にとって大事な守りの一つなんだー。人は衣類を身に付けることによりー無意識下で動物との違いを自己認識しー人間としての尊厳を守っているー。人間を人間たらしめるもっとも簡単な要素が衣類なんだよー。

 それをさーいきなり剥ぎ取られたら人はどう思うかなー? 自分を守るものがなくなって心許なく感じるよねぇ。自分を尊重しない扱いに屈辱を感じるよねぇ。まぁ? 中にはぁ? 逆にそういうのを喜んじゃう性癖の人もいるけどーそれは今は置いておいてー年頃の女の子だと恥ずかしいなー嫌だなー怖いなーなにされるんだろうなーて不安に思うんじゃないかなぁ? それがたとえ売春婦だとしてもねー。売春婦も自分で脱いだりー行為の最中に脱がされるのならば慣れているだろうけどー強制的に脱がされたりー意識を失わされて脱がされる経験は流石にないだろうからねー。あと衣類を剥ぐ目的としてはー逃亡防止っていうのも多いかなぁ」

「なるほど。つまり犯人は被害者を脅すか、もしくは気を失わせるかして衣類を剥ぎ、殺すまで取って置いたということか」

「そういうことー。もしかしたらアイロンもかけてあげてたかもねぇ。まぁ? 流石に運ぶときに少しシワは付いちゃったみたいだけどー」


 殺すつもりの人間の衣類にアイロンをかけるだなんて、どんな神経をしているんだ。理解に苦しむ。


「いや、だとしても服を着せて遺棄する途中ではなく、遺棄後に吐いたとお前が断定したのはなぜなんだ?」

「薬を使う犯人ならー吐瀉物から薬物を検出できることぐらいは知ってると思うからー」

「ああ」


 証拠隠滅がされていないからか。それなら遺棄後というのも納得ができる。


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