最後の願い

@yokonoyama

第1話

 冬。

 兄に嘘をついた。病室へ向かう途中の廊下で。

 ガンじゃないのか、と聞かれて、違うよ、そんなわけないじゃないって。

 だけど、本当はガンだった。それも、深刻な状態の。

 わたし、寒くて震えていたんじゃないんだよ。

 嘘ついて、ごめんね、お兄ちゃん。


 夏。

 外はとても暑いんだよ、と、わたしは毎日、兄に言った。

 冷房の効いた病室は、そこだけ、別世界みたい。

 兄、どこにも行けなくて、あんまり退屈だからって、こっそりタバコを吸っていた。

 窓開けて、あおいで煙を出したよね。

 このままが、続くといいね、お兄ちゃん。


 秋の終わりが近づいて、容態が急に悪化した。

 ほとんど食べられなくなって、みるみる身体が痩せていった。

 兄は、うつろな目でわたしを見つめると、別人のような声でささやいた。

 俺は、治らないんだな。

 ごめんね、ごめんね、お兄ちゃん。


 両親を早くに失って、ずっとふたりで生きてきた。周囲に頼れる人はなく、わたしの味方は兄だけだった。

 このまま兄を失えば、わたしはひとりになってしまう。そんなことは、耐えられない。

 

 うちに帰って、ゆっくりしたい。

 兄の願いを叶えるために、一日、外出許可を得た。

 自分の部屋にもどると兄は、満足そうに眠りについた。

 わたしは海外旅行ができそうな、大きなトランクを用意して、その中に、兄を休ませた。

 胎児のように丸くなり、頬に触れるとあたたかい。


 さあ、行こう。


 一日かけてトランクを、押し運んできたこの森は、奥へ、奥へ、と進むうち、木の根で動けなくなってきた。

 もう、帰り道もわからない。

 この辺でいいよね、お兄ちゃん。

 わたしも、とても疲れたよ。


 兄だけが、いつも一緒にいてくれた。

 だから、今度はわたしがずっと、そばにいるよ、お兄ちゃん。


                    (了)

 

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