第5話 扇その2

「やっぱり白だったか」


店から母屋へ続く渡り廊下の引き戸がきちんと閉められて、足音が遠ざかっていくのを待ってから知晃は目を伏せて呟いた。


予想通りの結果だが、それでも西園寺の言葉ではっきり聞かされると一気に安堵感が増えた。


彼が掌中の珠として溺愛している細君を紹介しても良いと判断したということは、田所音々の素性に問題が見つからなかったということだ。


この結果は予想通りでもあった。


「白も白、真っ白や。骨折れたでぇ。わざわざ向こうの現地法人まで飛んで義兄の仕事っぷりまで確かめさせたんやからな。あの子、一個も嘘吐いてへんかったで」


「・・・まあ、そうだろうと思った」


そんなことが出来る器用な人間だったら知晃のところに泣きついて来てはいないはずだ。


「高校三年生の秋に両親が事故死してから、10歳上の姉と二人暮らし。大学卒業後就職予定にしとった人材派遣会社が就職直前に飛んだんもほんまやし、妹の大学卒業を待って姉が結婚したんもほんま、義兄の海外赴任先がタイゆーんもほんま。女子寮に入る予定にしとったから家も手放してもて、頼れる唯一の身内は海外。ここまで一個も嘘はなし。行き場を失くした灰かぶりちゃんがお母さんの肩身の振袖持って来たんがここでほんま良かったなぁ」


あんな素直な子ぉ、他所行かせたらあっさり騙されて転落人生待ったなしやで、と西園寺が苦笑いする。


まったくその通りだ。


彼女が小さなキャリーケースを引いて小梅屋にやって来た時は、大量に着物を買い込むつもりなのかと思っていた。


母親が趣味で集めたアンティーク着物の店を始めたのは、10年ほどまえのこと。


折角なら興味がある人に着てもらいたいと、利益度外視の価格帯で並べた商品は、どれも母親の好みが如実に反映されていて、小さな店はいつだって豊かな極彩色に彩られていた。


地方都市ではそこそこ名の知れた伊坂呉服の先代の庶子だった母親は、生母を亡くした後伊坂の苗字を与えられたうえで正妻の目の届かぬ場所を選んで育てられ、知晃の父親と離婚した後もそのままこの町に根付いた。


親子二人で一生暮らす分には困らない財産を与えられて、静かで穏やかな生活を送ることさえできればそれで十分だったのだ。


身辺が煩くなったのは、母親が亡くなって、叔父が伊坂呉服を継いだ後のこと。


一度も顧みてこなかった甥っ子の現状を知り不憫に思った彼が、伊坂呉服への就職と、取引先企業の令嬢との婚姻を提案してきた時には丁重に結構ですとお断りを入れた。


伊坂呉服に憧れなんてあるわけもなく、今更関わりたい親族なんて一人もいない。


伊坂の名前を持つ人間がこんな片田舎の若隠居でいていいわけがないとしつこく食い下がって来た本当の理由は、最近台頭してきた大手呉服店のせいで苦しくなった経営状態を結婚というかたちで補填しようとしたため。


幸せを願われているなんてこれっぽちも思っていなかったが、安っぽすぎる理由に辟易した。


それならばと表向き快くお見合いに応じて、伊坂の息子らしく振舞ってみれば相手は一方的にのぼせ上ってとんとん拍子に話は進み、結婚話が本格始動してきたところで、実は自分は名ばかりの伊坂の人間で、経営に口を出す権利もなく片田舎に引っ込んでいる、と正直に告げれば当然相手は激怒して去っていく。


それを二度ほど続けたところで、向こうが折れるかと思ったが、早速次のお見合い話が届けられて、さすがに頭が痛くなった。


そんな時に、ここ数年の間に何度か店にやって来た常連とも言える音々が途方に暮れた表情で小梅屋に現れたのだ。


家と仕事を一度に失った彼女は、母親の肩身の振袖を買い取って貰えないだろうかと相談してきた。


次の就職先が決まらず今はネットカフェで寝泊まりしており、貯金も底をついてきたので止む無く肩身の品の換金を考えたという。


妙齢の女性がセキュリティーの甘いネットカフェで寝泊まりだなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。


同じネットカフェで寝起きを続けていれば隙を見て襲われる可能性だって十分に考えられる。


家を無くして一時避難の場所にネットカフェを選んだということは、彼女はベータなのだろうが、これがオメガだったら間違いなくトラブルに巻き込まれているところだ。


いくら厳しい窮状だとはいえ、さすがにそんな大切な思い出の品は買い取れないと断って、肩を落とした彼女に、それなら一時しのぎの居場所として我が家はどうかと、気づけば荒唐無稽な提案を口にしていた。


叔父がしつこくお見合い話を持ってくるのは知晃に女の影が無い事を知っているから。


それなら、女の影を作ってやればいい。


隠しようが無いくらいはっきりとした影を。


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