第7話 熨斗目その1
くすんだ水色の
帯締めは卯の花色で帯留めはその昔古物市で買った琥珀のブローチ。
着物のいいところは洋服だと絶対選べない奇抜な色を選べてしまうところだ。
柄と柄を掛け合わせても不思議とごちゃごちゃしないところも大きな魅力である。
普段ならしり込みしてしまう選択に手を伸ばせるから、着物には無限の可能性が詰まっているのだ。
学生時代はバイト代を必死に貯めて選びに選んだ一着を買いに走っていたが、今は徒歩1分の距離に山ほどのお宝が置いてあって、いつでも好きなものを着ればいいとあっさり言ってのける神様のような店主にも巡り合えた。
捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものである。
彼に拾って貰えなかったら、本当に姉夫婦に泣きつくしかなかった。
年の離れた妹が社会人になるまでは、と6年付き合った彼との結婚を春まで延期させてくれた姉は、夫の海外赴任への同行も最初は渋っていたのだ。
就職したての妹を日本に一人置いてはいけないと零した姉の背中を押すために、県外の会社を選んで、女子寮に入ることも決めた。
両親が亡くなってから、自分のために費やしてくれた4年間をこれ以上引き伸ばすわけにはいかなかった。
人の好い義兄は音々のことも家族同然に大切にしてくれており、何より姉を心から愛してくれている。
両親の葬儀や事故の処理は姉妹だけで対応しきれるわけもなく、親身になって寄り添って力を尽くしてくれた義兄がいたから乗り越えられた4年間だった。
みんなが一番幸せになれる形を選んで、これが正解だと胸を張っていられたのはほんの数か月だけだったけれど、結果として音々は新婚夫婦のお荷物になることもなく、こうして屋根のある場所で寝起きできている。
最初に彼が音々を案内してくれた部屋は、知晃の母親が使っていた和室で、昔ながらの鏡台や小物がそのまま残っていた。
置いてあるものは好きに使っていい、と言われたが、やっぱり遠慮が勝って部屋の片隅に持ち込んだキャリーケースを広げた以外は手付かずのままにしてある。
西園寺によれば母親が亡くなったのは8年ほど前のことだそうなので、そのあともずっとこのまま部屋が保存されているということは、彼にとってもかなり思い入れのある部屋ということだ。
そこに一時的な居候が手を加えるのはやっぱり申し訳なかった。
毎朝の着物選びと着付けを終えて、朝食準備のために部屋を出る。
知晃は朝起きてくる時間もまばらで、酷いときは音々がお昼ご飯を摂りに母屋に戻った頃に二階の自室から降りてくることもあった。
なんとも自由気ままな猫のような生活を送っている。
偽装結婚を装う間の生活費はすべて知晃が負担して、お店に出ている間の店番代は給与として別途音々に支払われる。
破格すぎる好待遇に最初は尻込みしたものの、偽装夫婦とは名ばかりで、彼から手を出されることもなく、スキンシップといえばたまに額にキスが落ちる程度だ。
音々が小梅屋で店員を初めて間もなくやって来た何回目かのお見合い相手に、本当に夫婦なのかと怪しまれたことがきっかけで、もうちょっと夫婦らしい接し方をしよう、と知晃から進言されて、何をされるのかと固まったら、額へのキスだったのだ。
最初は唖然として、次に真っ赤になって、三度目からはされるがまま。
音々の顔色を伺いながら、気まぐれに知晃がキスをするようになって、それを何度かお見合い相手の前で繰り返す頃には偽装妻の立場にも慣れていた。
要は彼女たちが戦意を喪失してしまうような嫁を演じればいいわけである。
演技力にはさっぱり自身が無かったが、最初から対抗心のない音々の態度はいい具合に相手の毒気を抜いていった。
今では同じ女性が二度来ることはほとんどない。
夫婦としてのスキンシップは額へのキスどまりで、今どきの高校生よりも健全な同居生活を送っている。
そのたまのスキンシップにすら心がグラグラ揺さぶられるのだから、恋愛未経験女子には、異性との同居はかなりハードルが高い。
本当に勢いと崖っぷちで飛び込んだ新生活だった。
用意した朝ご飯がお昼ご飯になる可能性もままあるが、今日もいつものように二人分の朝ご飯を作ろうと廊下に出れば、お味噌汁のいい匂いが漂ってきた。
「え・・・・・・だ、旦那様?起きてらっしゃるんですか!?」
慌てて小走りで台所へと向かう。
よく使いこまれたガスコンロの前で、味見をしている知晃がこちらを振り返った。
「おお、起きたのか。おはよう」
「お、おはようございます!す、すみません・・・こんな早起きされるとは・・・何かありました?」
「いや、たまにはお前と一緒に朝飯食おうと思ってさ」
「はあ・・・あ、私、代わりますよ!」
「ん?いいよ。もう出来るから。座って待ってな」
「え、でも・・・申し訳・・・」
「あのさぁ、嫁」
「はい」
「俺は確かにお前の雇用主兼家主でもあるんだけど、大前提として夫だからな」
「あ・・・はい・・・そうですね」
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