──26── 制服という疾患
「きみたちは知ってるだろうけど。僕、未成年の、制服の年頃の女の子が好きなんだよね」
「……知ってる」
わかっていたこととはいえ、甕岡の口から直接聞くと、ひどくショックだ。俺はぐっとくちびるを噛み締めた。
甕岡が、なんでもないことみたいに続ける。
「制服を着てなきゃ絶対にダメ、ってことはないけど……高校在籍の事実は外せないかな。十六だろうが十七だろうが社会人はダメ、そそらない」
「そそる、って──」
わざとらしい直接的な物言いに、頭がくらくらしそうになる。うまく答えられない俺に、甕岡がうっすら笑った。
「わかってるだろう? 僕はきみには、きちんと本当のことを教えたつもりだけど」
「ほんとうの、こと……?」
そうさ、と甕岡がうなずく。そして、ゆりの肩に手を置いて、ゆっくりと撫でさすった。歌うような声がする。
「女の子はきれい。女の子はすてき。女の子はやわらかくていい匂いがして、白くてすべすべであったかくて、けがれのない、儚い、かわいい生き物。生まれながらにけがれを持ち合わせた男とは違う。生まれついての美しい、素敵で、尊い生き物だ。そうだろう?」
「それ、は──」
うっとりとつぶやく甕岡に、俺はたじろぐしかできなかった。こく、と喉が鳴る。それは違うと言いたいのに、うまくくちびるが動かない。
甕岡が、少しだけ顔を歪めて、笑った。
「でもね。彼女たちは僕を惑わせる。どうしようもない欲望を抱かせる」
「欲望って……」
これ以上聞きたくない。そう思ったのに、口が勝手に動いていた。甕岡が、かすかに目元を細くして、笑う。
「女の子というきれいな、天上の存在を、地面まで引きずり下ろして、組み伏せて。突っ込んで腰を振って、僕の手で精液を塗りつけて、どろどろにけがしたい。そんな、薄汚い欲望だよ」
「っ……」
目の前にぶちまけられたのは、あまりにも直截な、そして露悪的な言葉だった。俺はただひくりと喉を鳴らして、たったいま晒された、本当は見たくなかったものに耐える。
けれど甕岡は、絶句する俺にさらに畳み掛けてきた。
「敬斗くん。きみはこう思ったことはない? このきれいな生き物を、自分の手で台無しにしたい。清らかで真っ白な身体に、初めてのけがれを残したい、って」
「そ、そんなの……一度だって、ねえよ」
「そう」
怖気づいた俺に、甕岡が静かに笑う。
「それでこそ敬斗くんだね」
その笑みはさっきまでのものと、少しだけ色が違って見えた。甕岡の視線がかすかに、下の方に落ちていく。やけに静かな声がした。
「きみは──僕みたいになっちゃいけない」
「甕岡さん……?」
伏せられた、ひどく暗い瞳に、ついひるんでしまう。俺のたじろぎを感じたのだろう、甕岡は視線を持ち上げて、うっすら目を細めて微笑んだ。薄暗い眼差しが、静かに俺を捉えている。
「敬斗くん。きみは本当にいい子だね。僕の思った通り、すごく素直に育ってくれた。嬉しいよ」
「え……」
どこか底冷えのするような瞳、だけどその奥になにか、甕岡の本当の感情が滲んでいるような気がした。その正体を確かめたくて目を凝らすと、ぐっ、と肩に手が乗せられる。
「一ノ瀬」
「相手にするな、ただの妄言だ」
強引な仕草で、一ノ瀬の背後に押しやられた。俺を半分背に隠して、一ノ瀬は厳しい目で甕岡を睨む。
「そうやって、あんたはアンダーの子たちをたぶらかしてきたんだな」
「人聞きが悪いなあ、〝天使〟ちゃんまで」
「あんたにちゃん付けされる覚えはない」
にべもない断言に、甕岡がくすっと笑った。ちら、と甕岡の視線が、一ノ瀬の身体を、下から上まで走っていく。
「まさか男の子だとは思わなかったな。よかったね、きみ、男の子で」
「……なにが、なんて聞きたくないけど。あんたが俺を探してた理由と、関係あるの」
甕岡が肩をすくめた。口元にかすかな苦笑。
「〝此倉街の天使〟を探してたのは、ドキュメンタリーの題材として興味があったから、ってのもあるけど。それ以上に、伝聞でしかわからない〝天使〟に惹かれたからなんだよね。どっちなのかな、と思って」
「……〝そういう〟子か、どうかって?」
一ノ瀬の声に、甕岡がうなずく。うっすらと細まった目が、笑みの形のまま一ノ瀬を見つめる。
「きみみたいに綺麗な子が、もし〝そういう〟のじゃない、きれいなままの、ただの女の子だったら。僕はなにをしていたかな。……本当、よかったね?」
そう言った甕岡の、この場にはまったくちぐはぐの、人の良さそうな、誠実そうな笑み。一ノ瀬が、下衆が、と吐き捨てる。
けれど、俺は一ノ瀬に追随する気にはなれなかった。なにかがおかしい、と思う。
甕岡の目は、いつもと同じような誠実を浮かべながらも、どこかひどく薄暗かった。俺に『僕みたいになるな』と言った。ゆりの発言からして、甕岡はまだ彼女を抱いていない。しなだれかかったゆりを、甕岡は抱き返していない。
(もしかして──)
「甕岡さん」
呼びかけに、甕岡が視線を向ける。交わった眼差しを見つめ返すと、彼はまぶしいみたいに目を細めた。なんだい、とやさしい声がする。
俺は、ぐっと息を詰めると、言った。
「あんた、本当は好きで未成年に手を出してるわけじゃないだろ」
「……」
甕岡は答えない。一ノ瀬が、驚いたように俺を呼ぶ。
「敬斗? どういう──」
「俺は小さい頃から甕岡さんを知ってる。よっぽどのことがないと──あんたは、そんな顔をしない」
そんな暗い目をして、押し殺した、普通ぶった声を出して。いつもみたいに笑って見せて。そんなのは、ちっとも、俺のカメ兄らしくない。
俺の断言に、甕岡はぱちぱち、と目をまばたかせると、ふっ、と小さく笑った。
「敬斗くんは、すごいね」
「甕岡さん……」
「まあ、ご指摘のとおりだよ。好きでやってるわけじゃない。僕のこれは、ほとんど病気だ」
腕を広げて、肩をすくめて、甕岡は苦笑する。
「ずっとやめようと思ってた。でもやめられない。いつだってそうだ──気が付いたら、勝手に口が動いてる。そうしたら、彼女たちはみんな僕についてくるんだ」
少し歪んだ顔で、それでも笑う甕岡に、なにを返せばいいかわからない。言葉を失った俺に、甕岡は微笑んだまま続けた。
「血で汚れたシーツの上で、いつも我に返る。僕はなにをしてるんだろうって」
一応、やめようとはしたんだよ、と静かな声。
「だからまだ、美優ちゃんにも、小野塚さんにも、最後まで手を出してはいないだろ?」
淡々とした声に、ひくっ、と喉を鳴らす音がする。ゆりだった。さっきからずっと呆然と甕岡を見上げていた瞳が、ゆっくりとまばたきを繰り返す。
「──みゆぽもに、なにしたの」
「まだ、そんなには」
「っ……なにしたの!」
「そんな怖い顔しないでくれよ。ただちょっと、手とか口を〝使わせて〟もらっただけ」
「──ッ!」
さあっ、とゆりが顔色を変えた。青ざめてこわばった表情が、そんな、と震える声を絞り出す。
「どうして」
「……かわいかったから? あの子はほら、〝そういう〟んじゃなくて、まだきれいだったし。つい」
ゆりが表情を強張らせた。甕岡の胸元を掴んでいた手が、ずる、と落ちていく。ちがう、と首を振る彼女の、顎辺りまでの黒髪が、ぱさりと揺れた。
「ちがう。みゆぽもは──違うのに」
「……?」
甕岡が首を傾げる。その、心底不思議そうな瞳を見て、ゆりはふら、と一歩後ろに下がった。
「……やめてよ……」
「小野塚さん? どうしたの」
甕岡の呼びかけに、ゆりが激しく首を振る。甕岡の視線を受け止めて、ゆりは違う、と叫んだ。
「その目をやめて! そんな目で、表情で、みゆぽものことを喋らないで!」
甕岡が、淡々とした表情でゆりを見下ろす。ゆりは顔を歪めて、憎むみたいな目をして、甕岡に怒鳴った。
「みゆぽもはそういうんじゃない! 普通の、生きた、私と同じ人間なの! 勝手に夢を押し付けないで‼」
「どうして? 彼女はとてもきれいだよ。純粋で、素直で、僕の言う事ならなんでも信じてくれて、天使みたいで」
「ちがう! みゆぽもは──」
ふら、と一歩下がったゆりは、絶望的な顔でつぶやく。
「どうして……?」
こんなはずじゃなかった、と震える声。
「あなたは、そんな人じゃなかったのに」
甕岡が、すうっ、と静かな顔をした。淡々とした、抑えた声で言う。
「きみに、僕のなにがわかるのかな」
「だって。だって──あなたは、たったひとり私を理解してくれて、助けてくれる、特別な」
「それこそ、きみの勝手な夢じゃないかな」
「な……っ」
「誰も彼も同じような夢を押し付ける男たちの中で、たったひとり本当の自分をわかってくれる、王子様でも探してた?」
「それは──」
ゆりがひくりとたじろいだ。苦い表情、逃げるようにさまよう視線に、ああ、と思う。
(この子も、俺と同じなのか)
俺や甕岡と一緒だ。ゆりもまた、夢と幻想のフィルターを通してしか、甕岡を見ていなかった。俺たちになにもわかっていないと叫んだ彼女だって、男のことをなにもわかってない。
実感と、冷たい悲しみみたいなものが、ひたひたと足の裏から上がってくる。どうしてこんな風になるんだろうと思って、せめて何か言おうと思った、そのとき。
「──ゆりち……?」
か細い、震えた声がした。
全員がはっ、とドアの方を振り返る。そこには、予想通りの声の主──美優が立っていた。
「美優……! どうして、ここに」
なんとかするから家にいろって、言ったのに。そう続ける俺に、美優がこわばった声で言った。
「スマホ返してもらったあと、ラインの履歴見て……ケイティーの後、こっそりつけてきたの」
そういえば、美優にスマホを返す前、甕岡に送ったメッセージを消していなかった。俺の失態だ。
美優が、ふら、と一歩前に出た。
「ゆりちに、会いに来たの。言いたいこと、あって」
「みゆぽも……」
ねえ、と静かな声。泣き笑いみたいな表情が、ゆりに呼びかける。
「帰りたくないなら、帰らなくてもいいよ。ゆりちが元気で、笑ってさえいれば、うち……二度とゆりちに会えなくても、いい。我慢する」
そう言った美優の笑みはけれど、ひどくこわばって、今にも崩れそうだった。ミルクティーみたいな色の瞳に涙を溜めて、美優はゆりに笑いかける。
「此倉街で生きてくって言うなら、応援するよ。ゆりちのママとも、一緒に戦う。だから……っ」
ひぐっ、と喉を鳴らす音。ぎこちなかった笑みがとうとう崩れて、美優はぐずっ、としゃくりあげた。引きつった、とぎれとぎれの声が、ごめん、と告げる。
「ごめんね、ゆりち。なんにも、わかってあげられなくて。こんなことになるまで、知らなくて」
呆然と目を見開くゆり。ちがうの、と小さな声を上げる彼女に、美優はゆるゆると首を振った。くしゃくしゃの顔を上げて、涙で濡れた笑顔を向ける。
「ごめんなさい。なんでもする。大好き。幸せになって」
「っ……」
ふら、とゆりの上体が揺れた。こぼれそうに見開かれたゆりの瞳、その目尻から、つられるみたいに涙がこぼれる。たった一粒のそれは白い頬を伝って、ぱたっ、と絨毯の上に落ちた。
それきり、美優のしゃくりあげる声だけがその場に響く。俺は小さく息を吸うと、静かにゆりに呼びかけた。
「小野塚」
はっ、とゆりが顔を上げる。一筋の涙の跡で濡れた顔、その目をまっすぐに見返して、言った。
「もう一回聞く。おまえ、本当に孤独だった? 埋められない傷があった? 今の環境が悪いって、逃げ出さなきゃいけないって、本当に、そう思うか?」
「わ──私、は……」
呆然としたゆりの瞳が、美優を見て、そして、ゆるゆると甕岡を振り返る。甕岡の穏やかな表情が、なにも変わらない眼差しが、とても穏やかにゆりを見下ろしていた。その目元がふわりと和らいで、誠実そうな微笑みがゆりを見つめる。この場にはあまりにもふさわしくない、どこか底のない、まるできれいなだけの嘘みたいな。
「どうしたのかな。小野塚さん」
「っ──」
瞳孔をいっぱいに開いて、ゆりが小さく首を振った。くちびるが震えて、はっ、と詰まったような息を吐いて、ゆりの表情が、みるみる歪んでいく。そして。
ばっ、と勢いよく、ゆりが振り返った。顎までの黒髪がぱっと空に翻って、ゆりは必死な、振り絞ったような声で。
「みゆぽも、私、あなたと──」
そう言ってゆりが駆け出そうとした、瞬間。
ぱしっ、と音を立てて、ゆりの手首が掴まれた。えっ、と間の抜けた声を上げ、ゆりが振り返る。その顔のすぐ近くでなにかが青鈍くきらめいて、甕岡が、いともたやすくゆりを抱き締める。はっ、と俺と一ノ瀬が目を見開いて、
ゆりの細い首筋に、光るもの──小ぶりのナイフが突きつけられていた。
「──さて、これはどうしたものかな」
淡々とした甕岡の声に、全員が凍りつく。ひっ、とゆりが小さな悲鳴を上げた。
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