第3話 ネオンと星

──10── 二夜目の聞き込み

 そうして、夜がふたたびやってきた。


 あの後、美優とふたりで少しだけ作業をした。ゆりがいない部活はまったく捗らず、美優を励ましながらVRの調整をしているだけで夕方になった。


 俺は部室からそのまま此倉街に向かった。カラオケ店に荷物を置いて、昨日のようにギャルの服装に着替える。そして一ノ瀬に導かれ、俺は二度目となる電飾の街に繰り出したのだった。



「──ホワイトブリーチの若い男? うーん……」

 赤いネイルの指先を細い顎に押し当てて、お姉さんが遠くを見る目をした。ゆるくアップにした金髪に、身体のラインがはっきりわかる赤いドレス。きらきらしたスパンコールが目にまぶしい。


 俺たちは今、例の男について聞き込みをしていた。占い店ではもう聞けることはなかったので、今日は路上で道行く人を捕まえている。最初に俺がやったことと同じだ。


 だが、一ノ瀬──〝此倉街の天使〟がいるのといないのとでは段違いだった。一ノ瀬が顔を出すだけで、老若男女かかわらず、誰もが喜んで話を始める。俺ひとりでは考えられないことだった。


 今もそうだ。お客さんを見送りに出たキャバクラのお姉さんに、一ノ瀬は迷うことなく声をかけた。お姉さんは嬉しそうに一ノ瀬に挨拶をして、とてもスムーズに聞き込みが始まった。


「ホワイトブリーチでしょ。待ってね、今思い出してるから。んー、どっかで見た気がすんのよね……」


 お姉さんはきれいな眉間にかすかにシワを寄せて、うんうん考え込んでいる。そんな仕草さえ、なんだか艶めかしく感じられた。香水のいい匂いと、やわらかそうなボディライン。それらも相まって、なんとも言えない魅力がある。

 俺がぽーっと見とれていると、お姉さんはあっ、と小さく言った。カラコンの瞳が一ノ瀬を見る。


「いたいた。最近ときどき見かけるの」

「ど、どこでですか!」

 思わず口を挟む。お姉さんの細い指が、すっと道の向こうを指差した。

「ゲートのほう。アンダーの子を使う店ばっか選んで、バックヤードのあたりをウロウロしてた」

「……っ」


 さっと一ノ瀬と視線を交わす。目撃情報とも一致する。おそらく、そいつがゆりと話していた白い男だ。


「その人、買う側と売る側、どっちに見えた?」

 一ノ瀬が淡々と問いかける。お姉さんは迷うことなく、売る方、と即答した。

「たぶんスカウト。でも、かなりコソコソしてたし、アンダーばっか狙うってことは、キャバとかコンカフェじゃないね。風呂も違うと思う」

「店舗型はアンダー使いづらいからね……じゃあデリ系かな」


 長いまつげと可憐な瞳を伏せて、一ノ瀬が小さくつぶやく。細い顎に指先を押し当てて、さら、と肩のあたりで黒髪が揺れた。相変わらず、見た目だけなら完璧な清楚系アイドル、あるいは良家のお嬢さんだ。


 俺は話についていけないので、ただバカみたいにはあ、と頷くしかできなかった。一方の一ノ瀬は、真剣な顔でお姉さんと話し込んでいる。完璧に美しい、端正な横顔。


(……ほんと、良く化けるよなあ)

 三才からピアノとバレエを習っています、お茶とお華も人並み以上に嗜んでいます、みたいな外見だ。俺だってあの〝組み伏せ事件〟がなければ、こいつが男だなんて信じられない。


「〝天使〟ちゃんみたいなレンタル彼女って線も、なくはないだろうけど。あんなにコソコソするんだもん、たぶんデリだろうね。あーやだな、摘発入るとうちも巻き添えでゴタゴタするから、めんどくさいのよね」

「……もしかして、いま枕の子いる?」

「たぶんねー。ほらあの、例の。親に売り上げ持ち逃げされたって子」

「……そう」


 一ノ瀬がかすかに眉を寄せた。ちら、と視線がこちらを見る。ごめんちょっと話逸れる、と小さな謝罪があった。とりあえず頷いておく。


 一ノ瀬はきゅっと目元を引き締めると、ポケットからスマホを取り出した。見たことのないメッセージアプリを立ち上げて、友達一覧をスワイプしている。

 そのとき、お姉さんが小さくため息をついた。


「あのさあ。あんま手出ししないほうがいいよ」

「……」

「キリないって。あんたがいくら渡したって、右から左に吸い上げられるだけじゃん」

「……それでも、時間稼ぎにはなるでしょ」

「その間に面倒見るって? また?」


 一ノ瀬がくちびるを噛む。黙りこんだ彼に、お姉さんはふーっ、と息を吐いて肩をすくめた。


「ねえ。こんなこと続けてたら、あんただってレンタル彼女じゃ済まなくなるよ」

「私は……大丈夫。どうせ売るものもないし」

「そのレベルの顔面でなに言ってんのよ」


 ふ、と苦笑する一ノ瀬。メッセージを送り終わったらしい。彼はスマホをポケットにしまうと、眉を下げて少しだけ笑った。


「心配ありがとう。でも平気」

「だけど──」


 お姉さんが言い募ったそのとき、あっ、とドアの方から声が聞こえた。振り返る。黒服の男の人が、店内から出てきたところだった。


「なんだぁ、〝天使〟ちゃんじゃん。また女のコ紹介してくれんの?」

 ちらっ、と男の人が俺を見た。値踏みするような視線に、思わずたじろぐ。一ノ瀬が、俺を庇うようにすっと前に出た。

「いえ、今日はちょっと人探しに」

 気が付けば、一ノ瀬はすっかり表情を切り替えていた。お姉さんと話していたときの親身な感じは引っ込んで、どこか他人行儀な、それでいて礼儀正しい印象になる。気が付けば口調も丁寧なものに変わっていた。


「へー、そうなんだ。紹介した女のコが逃げちゃったとか?」

「いえ、探してるのは男の人ですよ。ね、ケイティー」

「え、あ……」


 とん、と脇腹を肘で叩かれて我に返る。しまった、完全に外野の気分だった。慌ててあの、と口を開く。

 未成年を使ってる店の周りをうろつく、白い髪の男を探している。そう伝えると、男の人はあー、と言って目をぱちぱちさせた。


「そういやいたなあ。まあモグリだろうな。それにしちゃ見た目のクセが強かったけど」

「クセが?」

 俺の問いかけに、お兄さんはうん、と頷いた。

「目がね。すっごい真っ赤なカラコン。ちょっと中性的な雰囲気でさあ。ああいうなよっとしたサブカル系、女子高生ウケ良いんだろうね。ホワイトブリーチなんて珍しくもないけど、あそこまで赤いカラコンは珍しいから覚えてたんだよな」

「白い髪に、赤い目……」


 噛みしめるようにつぶやく。これだけ見た目の特徴がわかれば、あとは足で探し出すこともできそうだ。

 ちら、と一ノ瀬を見た。小さな頷きが返ってくる。収穫としては十分だろう。


「そう、わかった。ありがとう」

「もう行っちゃうんだ。残念だなあ」

 男の人が笑う。一ノ瀬は苦笑して、俺を指差した。

「ほら、新人この子の案内もしなきゃいけないし」

「え? あ、えっと……うん、はい」

 急に話を振られてびっくりする。お姉さんがくすくす笑った。

「わ、かわいー。初々しいなあ。頑張って、いっぱい稼いでね」

「は、はあ……って、うわ」


 やわらかい笑みを浮かべたまま、お姉さんがすりっと身を寄せてくる。二の腕に大きな胸がぎゅっと押し当てられて、ついどぎまぎしてしまった。


「な、なんですか」

 どうしてもしどろもどろになる。男のサガだ。そんな俺を知りもせず、ぽってりしたくちびるが耳元に近付いて、ささやくような声がひそひそ吹き込まれた。


「……なにかあったら、〝天使〟に助けてもらってね。でも、頼り過ぎちゃだめだよ」

「あ──」


 笑み混じりの表情と裏腹の、ひどく真剣な声だった。思わず目を見開いた俺から、赤いドレスが身を離す。にこり、とあでやかな微笑み。ぱちぱち、とまばたきしてしまう。


「なにぽーっとしてるの。ほら、行くよケイティー。二人とも、ありがとうございました」


 にこやかに礼を言い、一ノ瀬が俺の腕を引っ張る。どうやら俺たち以外には、今のやりとりは聞こえていなかったようだ。お姉さんと男の人は、いいのいいの、と笑っている。


「じゃあ、またねー二人とも」

「次も紹介よろしくねー」


 お姉さんと男の人が、ひらひら手を振った。一ノ瀬も振り返す。なんとなく俺もその真似をして、俺たちはきらめくキャバクラの前を離れていった。

 背後から、お姉さんの呼びかけが聞こえてくる。


「──ねえ! 無理しちゃ嫌だよ!」

「……」


 一ノ瀬が、目を伏せて苦笑した。肩越しに軽く振り返って、ひら、と一度だけ彼女へ手を振る。それっきり、彼はあっさり前へと向き直った。


 足早な一ノ瀬の横を歩きながら、俺はちらちら背後を気にする。黒服が店に入っても、俺たちがどんどん遠ざかっても、お姉さんはずっと店の前に立っていた。

 お姉さんの瞳が祈るように一ノ瀬をじっと見つめて、でも、歩き続ける一ノ瀬は、一度も振り返らなかった。




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