【完結】少女にまつわるコンテキスト ~失踪した部活の女子を探しにソープ街に行ったら女装男子とバディを組むことになった~
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第1話 此倉街の天使
──1── 天文部にて
「〝
耳慣れぬ言葉に、俺は思わず作業の手を止める。問いかけに、うん、と短い返事が返ってきた。
「有名な女子高生だって。天使みたいに清楚で可憐な女の子」
そう言って、小野塚ゆりは、こちらを見もせずにそっと髪を耳にかける。純朴な眼差しは、天文部の備品であるパソコンのディスプレイに向けられていた。
大人しい黒い瞳の表面には、先日の天体観測で撮った星空の写真が映り込んでいる。かちかちとマウスを鳴らすゆりに、俺はうーん、と小さく声を上げた。
「此倉街って、いわゆる〝夜の街〟だろ? そんなとこに女子高生って……」
「やだなあ、敬斗くん。此倉街だからって、別にいかがわしい店しかないってわけじゃないし。中を通るだけなら未成年だって合法だよ」
「かもしんねえけど……」
でも危ないだろう。あんな街を、高校生の女の子が、なんて。ぶつぶつ考える俺に、ゆりがくすりと笑う。
「まあ、でも。〝此倉街の天使〟なんて呼ばれるくらいだから、夜の子なんだろうけど」
「……やっぱ危ねえじゃん」
「真っ先に心配が出るあたり、敬斗くんらしいね」
笑い声まじりに言われて、俺はくちびるを尖らせた。
当たり前だ。此倉街は有名な夜の街。俺たちみたいな高校生には縁がないため具体的には知らないが、ウワサだけなら子供の頃からいくらでも耳にする。
なんでも、電飾きらめく派手で巨大なゲートをくぐった先には、コンカフェやキャバクラ、スナックがびっしり並んでいて、奥に行くほどソープなどのいかがわしい店になっていくらしい。そして街の奥にある噴水広場を境界に、ラブホのひしめく上り坂がはじまる。通称ラブホ坂と呼ばれるそこは、歴戦のデリヘル嬢たちの稼ぎ場だという。
「制服は学校がわからない程度に変えてるらしいけど。見た感じ、お嬢様学校の生徒なんじゃないかってウワサ」
「ふうん」
ゆりが話すのを聞きながら、俺は止まっていた棚整理の手を再開した。天文部の棚には分厚い図鑑に加えて、惑星の模型だの望遠鏡のパーツだのも詰まっている。女の子に任せるにはちょっとためらう重量のものばかりだった。
「よっ……と」
過去の星図ログが詰まったボックスを引っ張り出して、中をぱらぱら確認する。目当てのデータはない。ボックスを戻そうと、腰を入れて持ち上げる。
「それにしても、小野塚がそんなの知ってるなんて珍しいな」
ちら、と見やった先、ゆりはまだパソコンを見つめていた。顎辺りまでの黒髪を、指先で軽くいじっている。髪の長さも制服の着こなしも、彼女はいつも校則の範囲内だ。目立った特色はなにもない。
だが、こう見えてゆりはモテる。正確に言えば、隠れファンが多いのだ。ゆり本人は自覚がないだろう。容姿や言動だけならゆりは地味で目立たない普通の女の子だし、彼女自身も己をそう評価している。
けれどゆりはよく見ると肌や髪がきれいだし、心根が優しく、素直で真面目だ。人の嫌がることも進んで引き受ける。だから『他の奴にはわからなくても、俺にだけは彼女の良さがわかる』というタイプのファンが定期的に出没するのだ。
と、ゆりがこちらを振り向いた。純朴そうな目が細まって、口元が苦笑を浮かべる。
「まあ私も、みゆぽもから聞いただけだから」
「あー……情報源はあいつか」
なら納得だ。なんとなく。
そう思った瞬間、がらっ、と部室のドアが開いた。
「えーなに? うちがどしたの?」
現れたのは、ハイトーンに脱色した、ゆるく巻かれた長い髪。これでもかと盛られたまつげの下で、カラコンの瞳が丸くなっている。学校指定のリボンを勝手にネクタイに改造して、下着が見えそうなミニスカートから、健康的な太腿が覗いている。長い脚を包むのは今どき珍しい、古式ゆかしいルーズソックスだ。
あまりにもわかりやすいギャル──自称〝みゆぽも〟の辻美優は、小首をかしげてドアを閉めた。胸元に抱えた大量の本を支える指先には、長く伸ばしたネイルが色とりどりに光っている。
危なっかしい手付きから、俺はさっと本を奪い取った。美優はありがと、と笑うと、椅子を引っ張ってゆりの隣に腰を下ろす。
「で。なんの話?」
ミルクティーみたいな色の目が、俺とゆりを交互に見つめた。ゆりがにこりと微笑む。
「〝此倉街の天使〟の話。敬斗くんに教えてたの」
「あー。ケイティーも気になるっしょ」
びし、と俺を差す爪の先に、土星の飾りが光っていた。俺は肩をすくめて、あのさあ、と言う。
「そのケイティーっての、なんとかならねえ?」
「なんで。堂島敬斗、だからケイティー。アイドルみたいでかっこいーよ」
「柄じゃねえよ……」
俺みたいな元陸上部の体育会系に、アイドルじみたあだ名はやめてほしい。しかし美優は聞きもせず身を乗り出した。
「アイドルといえばさあ。〝此倉街の天使〟もアイドルみたいらしーよ。なんかね、今すぐ坂道系グループのセンター立てるレベルだって。すごくね?」
「そんな子が此倉街の裏事情に精通して、お嬢様学校の制服で夜の街を渡り歩いてるんでしょ? 漫画かなにかみたいだよね」
楽しそうに肩を揺らす女子ふたり。けれど俺は彼女たちに同意する気にはなれなかった。
「いや、だから危なくねえ?」
「敬斗くん、そればっかり」
「だって此倉街の、それも夜に女子が歩き回るんだぞ。駄目だろ。どう考えても」
俺は顔をしかめるが、ゆりはただ笑うだけだ。
「実際、結構いるらしいよ」
「夜の此倉街に? 女子高生が?」
「へー、良く知ってんね、ゆりち」
美優が目を丸くする。まあね、と言ったゆりだったが、それ以上無駄話を続ける気はないらしい。くるりとパソコンに向き直り、作業に戻ってしまった。俺たちもなんとなくそれに倣って、手を動かしはじめた。
相崎高校天文部は、三人だけの小さな部だ。星好きのゆりが去年の秋に立ち上げたばかりで、部として認可されるぎりぎりの人数でなんとかかんとかやっている。
最初はなにもかも手探りだったが、最近は活動もこなれてきて、今はVRプラネタリウムの作成なんかをやっている。自分たちが実際に観測した星だけを使ってプラネタリウムを作って、秋の文化祭で出し物にする予定なのだ。
大量の写真や手描きの星図を、美優が順番通りに並べ替える。惑星のネイルパーツをつけた手があれこれ紙をいじって、ゆりに見せていた。
「ね、これっていつだっけー?」
「四月の最終週」
「じゃあこっちは?」
「それは六月の第二週」
パソコンをいじりながらちらと見るだけなのに、ゆりは一瞬で写真の日付を言い当てる。さすがだ。
同じことを思ったらしい、美優がすごいねえ、と笑う。
「ゆりち、星博士じゃん。さすがうちの部のエース」
天文部にエースもなにもないとは思うが、まったくの同意だ。しかしゆりは軽く首を振った。
「私なんか普通だよ。むしろエースは二人のほうでしょ」
「「え? なんで」」
俺と美優の声がそろう。寸分たがわぬ被りっぷりに、ゆりがくすくすと肩を揺らした。
「だって二人とも、もともと星に興味なんてなかったでしょ。それなのにこんなに色々がんばって勉強して、観測会も毎回休まず出て。エースだよ。……いつもありがとね」
ゆりがそっと目元をやわらげる。美優がぱちぱちまばたきをする。
ハイライトの入った長い巻き髪が揺れて、美優は違うよお、と笑った。
「確かにみゆぽも、星のこと、なーんもわかんないけど。ゆりちが嬉しそうにしてるの見てっと、すごい楽しいよ? そんだけ」
なんのてらいもなく言い切るあたりが、実に美優らしい。率直な好意の言葉に、ゆりは嬉しそうに笑った。
ゆりと美優は、見た目の印象が全く違う。地味で純朴な、あまり目立たないゆり。校則違反をものともせずギャルを貫く美優。それでも彼女たちが親友なのは、もともとの心根が素直だからだろう。
なんとなく和むものを感じて、俺は使い終わった星図を戻す作業に戻る。スケッチブックにびっしり描かれた星図を次々に畳んでボックスに戻していると、
「でもま、そゆ意味なら、ケイティーなんか絶対エースだけどねー」
「へ?」
急に話を振られた。振り返る。
美優とゆりはにこにこ笑って俺の手元を見つめていた。つられて見下ろす。ちょうど、星図の描かれたスケッチブックを詰めまくったボックスを、持ち上げようとしたところだった。
「力仕事、ぜーんぶケイティーじゃん?」
「敬斗くん、いくら大丈夫って言っても、荷物とか全部持ってくれるでしょ」
「そりゃ、男は俺だけだし」
「そういうことじゃないんだよなー」
「ねー」
どういうことだかわからない。首をかしげる俺に、ゆりが「入部経緯も含めて、いい人だよね。敬斗くんは」と断言した。美優もうなずく。
(入部経緯って……)
たしか去年の秋、同じクラスの美優に、友達が部を立ち上げようとしているけど部員が足りない、と頼まれたのだ。俺は陸上部だったものの、ちょうど怪我をして進退を考えていたタイミングだった。
「うち、まだ覚えてるよ。ダメ元でクラス全員に声かけてたとき、『困ってんの? ならいいよ』ってあっさり言われたこと」
「いや、だって困ってたんだろ」
「うん、すんごい困ってた」
「じゃあいいじゃん、それで」
困惑する俺に、ゆりがくすくす笑う。
「いくら私たちが困ってたからって、中学から続けてた陸上あっさり辞めてこっち来るとは思わないもん。敬斗くん、別にみゆぽもと特別親しいわけでもなかったし。私に至っては顔も知らなかったでしょ」
「いや、単にたまたま怪我してたから」
またまたー、と少女ふたりの声がそろう。
「そういうとこがエースなんだよ、敬斗くんは」
「そーそー。かっこいーよケイティー」
「……わけがわからん」
けらけらと笑い声。これ以上からかわれるのも恥ずかしいので、俺は肩をすくめるとボックスを棚に戻した。それで空気が切り替わったらしい。ゆりは最後にくすりと笑うと、パソコン作業を再開した。
「夏休みの合宿で、プラネタリウム作成の最終段階まで行きたいな」
ひたすらデータを打ち込みながら、ぽつり、とゆりが言う。だねえ、と美優が相槌を打った。
実際に観測した星だけで作ったVRプラネタリウム。けれど相崎高校の屋上から見た星では少なすぎて、プラネタリウムとしては少々地味だった。そのため、合宿で星の数を稼いで、データの打ち込みまで終わらせておきたい、ということらしい。
夏休みはもう次週に迫っている。合宿を思い浮かべてか、美優がうっとりと目を細めた。
「いっぱい見えっといいねえ、星。みんなでお泊りなんて、すんごい楽しみ」
「ふふ。合宿先は山のほうだから、きっとたくさん見えるよ」
「俺は二人が作るカレーが早く食いたい」
「そういやさあ」
ぱら、と紙をめくる美優の声。
「此倉街じゃあ、星なんかひとつも見えないんだろーね」
「代わりにネオンがびかびか光ってんだろ」
「そりゃそうかもだけどー。星とネオンじゃ違うっしょ」
それもそうだ。星の光とネオンの明かりでは、景色も光量も伴う情緒も、なにもかもが正反対だ。
想像だけで作り上げた、此倉街の風景を思い浮かべる。びかびかのよくわからない電飾に満ちた夜の街。ふと、その中を歩く天使みたいに清楚な美少女が思い浮かんで、俺は美優に問いかけた。
「美優は、どこで知ったんだ? 〝天使〟のウワサ」
「え? んー……」
なんとなく、ためらうような声。なんだ、と顔を上げる。同じようにゆりも顔を上げたところだった。美優が、ハイトーンの髪をくるくる指に巻き付けて言う。
「実は、うちも又聞きなんよね。えーと……」
ちら、とカラコンの視線が動いた。その眼差しを追いかける。俺たちはそっと部室の隅を盗み見て、そろってああ、という顔になった。そのとき。
「──ああ、このカットは使わないから。いいよ、僕に話しかけても」
いちばん最初からずっと部室の隅で立っていた男性──
全員の空気が、ほっとゆるむ。俺は安心して甕岡に笑いかけた。
「なあんだ。噂の出どころ、甕岡さんだったんだな!」
「それだけ聞くと、僕が無差別に吹聴したみたいで心外だなあ」
甕岡が小さく笑う。いかにも三十四歳の大人らしい、落ち着いた爽やかな笑顔だ。美優が目を輝かせる。
「カメぴ、此倉街でも撮ってるもんね。ドキュメンタリー」
そういえばそうだった。以前ちらと聞いただけなのに、美優も覚えていたのは意外だな。俺は甕岡の構えたカメラをそっと盗み見た。
相崎高校のOBである甕岡が、天文部に密着してドキュメンタリー撮影を始めたのが、今年の四月半ば。三ヶ月を経て慣れてきたものの、やっぱりカメラが回っているのは落ち着かない。
ちなみに甕岡は昔、俺の家の近くに住んでいた人だ。俺にとっては、今でも〝近所の優しいお兄ちゃん〟で、ちょっとした憧れでもある。
大人になって家を出た彼は、映像作家になっていた。そんな彼が天文部を取材したいとお願いしてきた時は嬉しくて、頑張って先生を説得したものだ。なんでも、最近職場を辞めたから、ドキュメンタリーを何本か撮って転職のためのポートフォリオにするのだという。撮影所の就活がどんなものかはわからないが、撮影意図を説明したときの甕岡の口ぶりは大人の世界を感じさせて、とてもかっこよかった。
手を止めたゆりが、控えめな笑顔を見せる。
「取材中に聞いたんですか、〝天使〟のウワサ」
「そうだね。最近はもっぱら、昼はここ、夜は此倉街だから」
「じゃ、ホントにいるんだ、〝此倉街の天使〟」
「いるのは確かだよ。僕はまだ、会ったことはないけどね」
へええ、と美優が目をきらめかせる。
「夜の街を渡り歩いて、男を手のひらで転がす清楚系美少女かあ。かあっこいいよねー」
「や、どんなにかっこよくても女の子だぞ? 危ないって」
「敬斗くん、ほんとブレないね」
当たり前だ。あんな街、女の子が近付いたら駄目に決まってる。そう頑なに主張する俺に、甕岡が苦笑した。
「まあ、此倉街の女のコたちにも、それぞれ事情があるからね」
「……事情?」「事情ねぇ」
俺と美優がそろって首をかしげる。
そりゃあ、なにか事情があるのは確かなのだろうが。ちっともピンと来ない。あんなところで自分を売らなくったって、生きていくだけなら他にいくらでも方法はあるだろうに。
「……謎だな」「謎だねー」
顔を見合わせうなずく俺と美優。そのとき、ゆりがぷっ、と吹き出す声が聞こえた。
「事情は事情でしょ。他人があっさり理解や解決できたら、それはもう事情じゃないよ」
「そーゆーもん?」
「そう。ほら、部活部活。みゆぽもは星図整理、敬斗くんは力仕事。私はパソコン作業。やることいっぱいあるでしょ。こんなんじゃ合宿中、花火もカレーも中止で作業しなきゃいけなくなるよ?」
それは嫌だ。たちまち顔を渋くする俺と美優を見て、ゆりがますます笑った。甕岡が、じゃあそろそろ、とカメラを持ち上げる。それを合図にして、俺たちはふたたび部活に戻ったのだった。
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