恋する気持ちは陰摩羅鬼

弓長さよ李

 兄の住むマンションのドアは、オレンジで優しい感じがする。兄はそうではないのに。


 兄は、身勝手な人だった。薄情で、僕に無関心で、そのくせ自分で都合で平気で呼びつける。


 今回もそうだった。


 夜の1時に電話がかかってきたと思ったら「大変なことが起きた。すぐ来い」と言ってすぐ切られた。兄は東京に住んでいて、僕は千葉だ。


 一応僕にだって仕事はあるのに、配慮というものがまるでない。介護士というのは、寝不足フラフラで出来るような仕事じゃないんだけども。


 でも、同時に嬉しくもあった。

 すごくすごく、嬉しかった。


 兄さんが、僕を頼ってくれたんだって。


 気がつけば、上機嫌に車を出していた。我ながら都合のいい男だと思う。でも。


 でも、しょうがないじゃん。


 兄さんのこと、好きなんだもん。


 世界で1番、大好きなんだもん。


 子どもの頃からそれは変わらない。だから、ぼくは兄に逆らう事が出来ない。バカだと思うけど、こればっかりはどうにもならない。

 

「あの、御鶴みつるだけど」

 

 インターフォンを押して名乗る。


「おせーよ」


 低い声がして、少し後にドアが開いた。おせーよって。こっちは東京まで、高速乗り継いで2時間かかるんだけど。

 

「ごめんごめん。で?何があったわけ」


 それで結局謝ってる僕も大概だ。だから兄がつけあがるんだろう。

 

「とりあえず上がれ」

「おっけ。てか、変わったね」

「そうか?」


 変わったよ。


 2年ぶりに見る兄は相変わらず僕より背が高くて、鼻筋の通った美しい顔をしている。


 でも、ピアスが無くなったし、肩まで垂らしていた金髪は、今では黒のベリーショート。服だって、襟付きの地味なシャツなんか着ちゃってる。  

 

 いかにも、社会人って感じだった。


 なんか、やだなぁ。


 昔の兄はバンドマンみたいな、関わったらろくなことにならなそうな所がカッコよかったのに。


 大人になったのかな。


 それとも、香里かのじょさんの趣味?


「お前は……いや、いいわ。社交辞令で聞いても意味ないな。興味ないし」


 理屈っぽい話し方は昔通りだ。少し嬉しい。

 

「千葉で介護の仕事してる。結構大変でさ、利用者さんワガママだし。でもお礼言われた時とか、やりがいがあるよ」


「興味ねーってば」


 そう言って、渋い顔でデコピンされる。結構痛いんだよなぁこれ。

 でも、うん、ここも昔通り。

 

「彼女さん──香里さんとはどんな感じなの?」

「どんなって、わかるだろ。ラブラブですよ」


 うわ。

 

 照れたようにはにかむ兄の顔は、家を出るまでは見たことがなかった。気持ち悪いなぁ。

 

 ていうか、わかるだろって。

 兄さんが僕に興味ないのと同じで、僕は2人の関係に興味ゼロだよ。社交辞令的に聞いただけ。


 案の定喜んでて、ほんとしょーもない。


「そろそろ結婚しようかなって思っててさ」

「へー、いいんじゃない?」

「式、一応こいよ?」

「僕がいなくても変わらなくない?」

「変わんねーけど、香里が家族は全員呼ぼうってさ」


 さいですか。ずいぶん素直になったことで。

 以前は兄は、こんな風に他人の言うことを聞いたりしなかった。すぐに暴力を振るうし、少しでも指図をしたらキレるし、無視ばっかりするし。

 

 小さい頃は、ずっと兄に怯えていた。

 同じくらい、自分の思うままに生きる兄に憧れてもいた。


 今は、怖くもないし、憧れるところもない。

 香里さんと出会ってからの兄は、しょーもない。

 なのにそれでも僕は、兄が好きだし、いうことを聞いてしまう。バカなんだろうな。1番しょーもないよ。

 

「で、何があったのさ。大変なことって、本棚でも倒れた?」

「ん、それがさ……家帰ったら、死体があって」

「死体?」


 聞き間違いだろうか。

 

「まぁ見ろよ」

 

 そう言って手を引かれると、少しドキドキする。兄の手は、大人になった今でも僕よりずっと大きい。昔、首を絞められた時と変わらない、ガサガサしたあったかい手だ。

 

「うぇっ」

 

 リビングに入ると、そこには確かに死体があった。


 高校生くらいだろうか?黒いセーターを着た、細身の男の死体。


 一瞬眠っているとか、気絶しているとか、そういう考えに逃げたくなったけど、無理だった。


 男の顔は、くり抜かれて真ん中が空洞になっていた。穴の中からだろうか?カビ臭い、居心地の悪い匂いがする。

 

「殺したの?」

「冗談言うなよ。帰ったらあったんだよ」

「じゃあ警察呼びなよ」

「やだよ。俺が疑われたらお前責任取れるのか?」

 

 いや、取れないけど。というか僕が責任取るのもおかしいだろ。

 

「じゃあどうすんの。置いとくわけ?」

「アホか。来週には香里と同棲始めることになってんだよ。こんなもん置いとけるか」

 

 へー。そうなんだ。ていうかまだ同棲してなかったんだね。もう3年くらい経ちますが、あなた方が付き合い始めてから。


 いや、それはどうでもいいや。


「じゃあ僕を呼んだ理由って……」

「ん、埋めてくれ」

 

 まじか。

 

「埋めてくれって、死体遺棄じゃない。そんなのバレたら余計疑われるよ?」

「バレないために埋めるんだろうが」

「それは……犯人の理屈じゃん」

「やってねぇよ」

「そこは信じてるけどさ……」

 

 口ではそう言ったけど、別に信じてはいない。

 兄なら男子高校生くらい、やるときはるだろう。というか、家にいきなりあったとかいう話を信じられるくらいのバカ、そうそういないよ。

 

「で、埋めてくれんの?」


 はいはい、結局YesかNoかしか興味ないですよね、兄さんは。


「わかったよ兄さんに殺人のがかかっても嫌だしね」

「だろ?」


 だろ、じゃないだろ。どういう感情なんだそれ。ほんとこの人、僕がいうこと聞いて当たり前だと思ってやがる。

 

「じゃぁそっち持って。車に運び込も」

「やだよ。お前介護の仕事やってんならそんくらい運べるだろ?」

「へ?」

「なんのためにわざわざ呼んだと思ってんだよ。半身不随のジジイとか風呂入れたりするんだろ?介護士って。じゃなきゃ呼ばねーよ」

「いや、確かに人を運ぶことはあるけど死体は……」


 亡くなった方を移動させたことはあるけど、車に運び込んだことはない。


「あと、別についてかなくてもいいよな?俺今日もう外出したくないし」


 まじか。


 そうだ。この人はこういう人だ。

 呆れた。心底呆れた。

 兄に対してもそうだが、何より苦笑いで「はいはい」と応じてしまう、自分に対して何よりも。


──僕は、兄さんが好きだ。大好きだ。兄弟としてではなくて、男のひととして。

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