4:来訪を待てし者たちは
————カンターレ自治区・庭園内での出来事から場所は飛んで、少し時間は遡る。
学園都市の中枢、アウリオン運営生徒機構・通称【
その昔に名付けられたという、かつての旧き名前は忘れ去られて。
幾度も改修や修繕を重ねた現在は、その役割に基づいて便宜上、『
イーリスに所属する学生たちが今日も社畜よろしく、一分一秒も無駄にすまいと慌ただしく働く姿が散見されるその場所に。
突如、建物が揺れていると錯覚されるほどの大声が響き渡った。
「ああああぁぁぁぁあああぁ————っっ!!!! あの人は一体いつになったらここに来るんですかぁぁぁぁ!?!?!?」
「————主席、私も全く同じ気持ちではありますが、少し——というかかなり、いえ極めて声が大きいです。静かにしてください」
声の発生源は、『中央行政塔』の最上階に位置する——イーリス統括室と呼ばれる一室。
イーリスに属する生徒の中でも、主席統括官を除けばごく限られた幹部役員しか入室を許されない、その部屋で。
当のイーリス主席統括官——色織セラが、桜色の髪を振り乱し、頭を抱えて絶叫していたのだった。
「静かになんかしてられませんよミツキちゃん!? 今日はすっごく大事な日なんですよっ!? お仕事が天高く山積みなせいで時間が限られてる私たちにとって、この遅刻はダメージが大きすぎますよっ!?」
「主席、貴女がそれを言いますか……。先日の会議で仮にも大遅刻して、皆さんから白い眼を向けられていたのは誰でしたか?」
「…………はい、その節は、誠に、申し訳ありませんでしたぁぁ」
早口でまくしたてつつ空を仰いでいたセラは、横から向けられる絶対零度の視線——ミツキによる、溜息交じりの至極真っ当なご指摘に、ぐうの音も出ずにうなだれる。
そうして統括室のデスクに顔を伏せるセラを冷ややかに流し見つつ、ミツキが大きく息を吐いた。
「とはいえ……一体どうなっているのですか? 主席——貴女が外から呼び寄せたという方に、まさか主席ご自身も連絡がつかなくなるなんて」
——そう、事態に焦燥を感じ始めていたのは、ミツキもまた同様だった。
本心を言えば、流石にセラのようにぎゃあぎゃあ喚きたてるまではいかないものの……っ。
————ミシミシ…………パキッ。
「…………ミ、ミツキちゃ~ん。あ、あの、えっと……ペンが、折れてますよ~」
「……………………こほん。少々取り乱しました」
ど真ん中でくの字に折れ曲がったせいで、与えられた役目を道半ばで終えることとなった、悲しきペンの断末魔を聞いて。
ミツキ自身も気づいていなかった、彼女の焦燥感の発露を、気まずそうにセラが指摘した。
「まあ……でも、そうですよね。私なんかより——あの人のことを知らないミツキちゃんの方が、今の状況に不安を覚えるはずですし……」
「————主席……」
——数日前。
緊急会議と称してイーリスの面々を集め、セラが唐突に告げたとある提案は——やはりというべきか、あまりの突飛さ・計画の甘さから、強い反発を受けた。
突発的な改革に伴う、新たなルール整備の必要性。
学園都市で発言力を持つ各学園や企業、様々な業界へと及ぶであろう影響。
そして何よりも——その提案そのものが、現在の
————セラが会議に持ち出した提案の内容、それは。
「私が個人的に繋がりをもっている第三者……
「……仮称・学園都市運営上問題等調停室、【
それまで、学園都市アウリオンの各学園から引き抜かれた優秀な生徒によって運営がなされてきた、【
そこに学園都市と全くの無関係な存在——つまり学園の影響を受けない、完全なる第三者たる
調停を行ううえで、アウリオンの政治的な勢力争いに巻き込まれない中立性を担保することになる。
しかし同時に、誰にとっても見知らぬ存在に対して学園都市への介入を許すという、無視できない大きなリスクを意味する。
ましてや、その人物の素性を詳しく知っているのは、主席統括官のセラ——ただ一人。
他のアウリオンの学生たちにとっては、全くの赤の他人に突如として強大な権力が与えられるという……あまりにも唐突、不自然な話でしかなかった。
「残念ながら現状、私たちだけの力では……それぞれの学園の関係を取り持ち、公平に調停することは難しい状態ですから」
「確かに、抱えている問題が多くなり過ぎた今、調停という問題に必要な長い時間を割くのは厳しい状況でしょう。加えて最近はこの組織の中立性自体を疑う声も上がってきていますから、なおのこと調停業務は困難です」
先述の通り、イーリス所属の役員はもともと、アウリオンに属す学園の出身である。
それゆえ組織内では多くの生徒が役割を全うしているとはいえど、出身学園の息がかかっている者がいたとして、何ら不思議ではない。
ここ最近も、そういった噂は度々報告で聞いている。
そういう意味では確かに、中立性と効率の観点から見た今回の提案は、ある程度合理的だといえるだろう。
だがそれを差し引いたとしても——あまりに疑問が残る点が多すぎる。
「そのため、我々や学園の権力からは独立した組織を設立し、調停業務を委託する——と、それは理解できます。ですがやはり主席がお知り合いとはいえ、我々室長にとってさえ他人同然の方に権限を与え、そのような大きな問題をお任せするのは、やはり……」
ある行動を起こすとき、必ずそれには何かしらの利点と、いくらかのリスクの両方が伴うものだ。
それらを天秤にかけて、できるだけ釣り合うように話し合いを重ね、すり合わせ、修正していく——それこそが少なくとも、決定における失敗を減らすための方法だろう。
「…………ええ、ミツキちゃんが心配していることは、もっともなことだと思います」
「しかし主席——貴女はこの提案を無理やり通しました。私たちの不安や危惧を理解しておられながら、それでも」
だが今回の提案は、そんな数多くのリスクや懸念点を抱えながら、ほぼそのままの形で議決を通過している。
普段の会議から考えても、絶対にありえないだろう結果。
「はい——確かに私は、みんなの懸念を知っておきながらも、今回の件を通してくれるようにお願いしました。その懸念をまだ払うことはできないと——そう告げたうえで」
だが、そんなありえない結果を現実にしたのは——そう、紛れもなく。
「でも、大丈夫です! 今回の提案で、悪い方向には——バッドエンドなんかには、絶対になりません!」
「————」
一抹の不安もない、揺るぎない確信に満ちた瞳で。
「絶対」という、決して軽くない言葉を用いてまで断言する、自信に満ちた夢想家の姿。
————今まで、どんなに危険な状況や問題に対してもそうだった。
彼女が「正しい」と告げ、真っ直ぐな瞳で見据えて進んでいくその道を、信じて支えながら、共に歩んでいけば。
様々な困難や回り道が、行く手を阻むことこそあれど——最後には何故か必ず、良い方向へ……彼女曰く「
「なぜなら、私が認めるのは、物語の誰もが笑顔でいられる結末、ハッピーエンドだけ……それ以外は認めません! この私がいる限り、他の結末なんかには絶対にさせませんから!!」
————暴論。
ごくごく普通に考えれば、全くもってその通りだ。
現実の問題を俯瞰して述べているミツキたちの疑念に対して、彼女は徹底して理想論で答えているのだ——根本から議論の軸がずれている。
学園都市の全ての生徒の上に立つ者としては、本来ならばその素質を疑われるような『夢想家』——それが彼女、色織セラという少女だった。
「だから、お願いです。なんの根拠もなくて、確証させられるようなものは何一つありませんが……私のことを、私の夢を……どうか信じてください、ミツキちゃん」
「————————ふ」
だが、長く彼女と時間を共にしてきた人間ならば、分かってしまう。
————それは、決してただの「夢想」では、終わらないのだと。
「あっ、もしかしてミツキちゃん、今ちょっと笑いました?」
「………………気のせいです」
ごくわずかに目じりを緩ませたのを、ニマニマしながら目ざとく見つけてくるセラの台詞に。
ミツキはすぐ、意識的に無表情を作り出しつつも——内心で思う。
(主席————貴女という人は、いつもそうでした。普通はただの夢想に過ぎない暴論を、どうしてか最後の最後には、本当に実現してしまう)
セラは今までどんな問題にも、一見ただの理想論にしか見えなくとも——本当にその方法でもって、事態を実際に解決してきた。
(本当に、不思議な方です……貴女は)
その実績と、理想にひたむきで真っ直ぐな彼女の在り方を、ちゃんと知っているからこそ。
多少見直しや修正を加えることこそあるが——イーリス幹部の誰もが、一見めちゃくちゃなセラの提案——否、『お願い』へと理解を示し、賛同してきたのである。
「それで話は戻りますが、主席がお呼びしたその方と連絡が取れなくなったのは、一体いつからなのか、教えていただけますか」
胸中によぎる様々な思いは一旦脇において、ミツキは頭を切り替え、話の方向を修正——建設的に現状の把握に努めることにする。
対するセラも真面目な態度に戻ると、腕を組んで考え込むような素振りを見せた。
「それがまさに、あの人の到着予定時刻の直前からなんですよね~……もうかなり経ってるんですけど、なにがあったんでしょうか……」
「それまで向こうとの連絡はとれていた——ということですか?」
「はい。ミツキちゃんも連絡の履歴、見てみます?」
そう言ってセラが差し出したスマホの画面には、メッセージアプリが立ちあげられていた。
いくつか並ぶメッセージの送信先のひとつが開かれており、そこでどんなやり取りがあったのかが、既に画面上に並んでいた。
『お疲れ様です~。そちらの状況はどうですか~?(*^-^*)』
『特に今のところ問題はないよ。というか、思ったよりも学園都市までのアクセスって良いんだね~。たった今駅に着いたんだけど、想定より早い時間に着けるかも』
『それはなによりです! なにかあったらまた連絡してくださいね(*'ω'*)』
『うん、分かった。じゃあ、近づいたらまたその時に』
『お気を付けて~(^^)/』
「…………主席、あの……なんですかこれは」
「え? ただの連絡履歴ですよ?」
「にしては随分と口調といいますか、雰囲気が……いや、もう結構です。はぁ……」
「…………?」
仮にも仕事相手との業務連絡ということになるのですから、せめて形式くらいは体裁を保って下さいという内心と頭痛を抑えて、引き続き履歴の続きを見ていく。
『えっと……ごめん。道があってるか分からなくて、確認したいんだけど』
『あらら、もしかして迷っちゃいました?(-.-)』
『そうかも……。今、大きな建物の前にいるんだけど』
『大きい建物、だけだと場所を絞るのがちょっと難しいですね~……。なにか特徴とか、他に見えるものはありますか?』
『う~ん、大きな鐘みたいなのがついてる白い建物とか、近くにカフェが見えるかな』
『なるほどなるほど……もっと詳しい特徴とかはどうでしょう~?』
『そうだね……そのカフェの前に人g』
『……あれ、どうしました?』
『い、イトマさん? 大丈夫ですか~??』
「…………このやり取りが最後、ですか」
「はい、見た通りなんです……。最後のメッセージが途中で送信されたみたいなんですけど、それ以降は音沙汰がないっていうのが……やっぱり心配なんですよね」
打っている最中に送信されたと思しきメッセージを最後に、応答どころか既読のサインすらもつかなくなった履歴。
その後に続いているのは、安否を心配する一心でセラが何度も送ったであろう大量のメッセージと、一か八か連絡を試みての発信の形跡のみ。
だが履歴を見る限り、既に音沙汰がなくなってから2時間以上が経過してなお、一切の反応はない。
加えて、元々予定していた『
「はぁぁぁぁ~……時間がないっていうのもありますけど、ここまで遅いと流石に、イライラとかより心配が勝ってきちゃいます……」
「主席が仰っていた限りでは、その方は真面目な性格だとのことでしたが」
「そうですね~……自分から約束を破ることはありえないと思います。あの人はそういう人ですから——あ、私と同じですね!!」
「その論理で行く場合、たとえ約束は守ったとしても、時間にはルーズということになりますね」
「……あは、ははは~……」
一瞬曇らせた表情を吹き飛ばすかのように、お茶目な仕草ででおどけてみせたセラを、しかしミツキは冷ややかなジト目と舌峰鋭く受け流す。
乾いた笑いで頬を引きつらせる
「ですがそうなりますと……やはりなにかトラブルに巻き込まれたと見るのが、可能性として高くなってくるでしょうか」
「ま、マズいですよそれは……! あの人は今の私たちにとって重要人物ってことになりますし、それに私たちと違って——」
極めて冷静に、考えうる中で最悪の——しかし、現状の情報からして最もありうるであろう状況を推理するミツキ。
それと対照的に、セラが不安を強く滲ませた語気で発した言葉は——だが。
突如として統括室の扉が開き、勢いよく飛びこんできた者によって、中断させられることとなった。
「せ、セラ統括官! ミツキ先輩!! お、お伝えしたいことが——!!」
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