第13話 地下五階層
肌に貼り付くような湿気は嫌なものだ。少し蒸し暑さを感じながらゼルとセリアは地下五階層に辿り着いていた。
地下五階層も地下四階層と同様に沼地が広がっていた。魔猿が登っていた背の高い木に、浅い沼地。違いがあるとすれば茂みが多いことだった。それがこの地下五階層では厄介なことになる。
後ろをチラッと見る。少し後方を歩く女騎士はこの蒸し暑さの中でも涼しい顔をしている。団長ともなると凄いんだな、そう思う少年も汗一つ掻いていない。
「ここの魔物は一種類だけなんですよね?」
「うむ、双頭蛇だな。頭が二つある蛇で、全長は五メートル程だったかな。駆け出しには厄介な相手だ。故に、地下五階層が一つの土塊等級の壁になっている。ここをクリアできなければ、先へは進めない」
なるほど、ゼルもスキルを習得して、探索者組合の受付でギルドカードを更新してもらった際には地下五階層までの許可だった。組合はスキルを習得した土塊探索者には無条件で地下五階層までの探索の許可を与える。逆に言えば、地下五階層をクリアできなければ、地下六階層以降は潜れない。ここを一つの区切りとしているのには理由があるに違いない。
「とはいえ、君なら楽勝だろう。地下四階層で問われた単純な力以外の能力、状況判断や索敵能力。君はそれらをクリアしている。私は一切手を出さないから遠慮なくやりたまえ」
そう言うとさらに二歩ほど後方に下がった。少年も女騎士の力を頼るつもりもなかったので、そのまま先に進んだ。
遠くの方で微かに茂みが揺れている。双頭蛇が動いているのかな、遠くの方まで見ることが出来るゼルでも茂みの中までは見えなかった。
それでも他の五感が仕事をしてくれる。耳は地を這う音を拾い、鼻は魔物が放つ野性味を感じた。
「向こうに一匹いますね。向こうはこっちに気づいてないみたいです。行きましょう」
「まったく、君にかかればここの魔物の厄介さも意味がないな。君が読んだスキル書が魔物系でないことを祈るだかりだ………」
言葉が尻すぼみに小さくなった。やはり気にしているようだ。道中、緊張感を全く感じなく、気軽な探索のやり取りで勘違いしていたが、セリアはスキル書が入れ替わったことを気に病んでいるのだ。しかし、終始沈痛な面持ちでいられるとそれはそれで空気が重くなり、居心地が悪くなる。少年は普段の女騎士の雰囲気の方が好きだった。
茂みの揺れが近付いてくる。深緑の草木の間には微かに黄色い小さな花も見え隠れしている。セリアの言う魔物の厄介さはゼルも承知している。地下四階層の応用、と言ったところだ。
魔猿や泡田ガニは魔物としての単体の力は非常に弱い。地下三階層をクリアした探索者なら難なく斃せたるレベルだ。厄介なのは連携であったり、擬態による不意打ちであったりする。
それでもダメージ覚悟で魔猿がいる木まで近付いて、木を大きく揺らし、魔猿を落として斃すこともできる。上方の憂いがなくなれば、カニなどは相手にならない。群れたとしても高が知れている。
正攻法でなくとも、自分の実力と状況を鑑みて、攻略することはいくらでもできる。それを教えてくれるのが、地下四階層であり、地下五階層だ。
相手もこっちに気づいているな、茂みの揺れは目の前まで近づいていた。ピタッと揺れが収まると、二つの頭を持った蛇が鋭い牙を剥きながら、飛び出してきた。
こっちが気づいていることに気づいていないのかな?余りにも単純に真っ直ぐ飛びかかってくる双頭蛇に疑問が湧いた。とはいえ、他に策を弄してくるとも思えない。少年はその双頭を片手ずつで掴んだ。
シャーっと大きな口を開けながら苦しんでいる様子の双頭蛇は自慢の長い身体をゼルの身体に巻き付けた。少年は巻かれながらも両手はしっかりと双頭蛇の首を掴んでいる。
ギリギリと双頭蛇が少年を締め付けるが、泡田ガニの時と同様に苦しんでいる様子はない。双頭蛇に倣って、ゼルも双頭の首を握る両手に力を入れた。
我慢比べみたいだな、少年の暢気さは相変わらずだった。ほんの少し力を強くする。すると、双頭蛇の身体の力は弛み、首はぐったりと力なく垂れている。骨が折れたのだろう、魔物は絶命していた。
「相変わらず野性的な斃し方だな。用心の為に双頭蛇の牙にある神経毒に効く花を摘んでいたのだが、無駄だったな」
戦闘を終えたと見て、セリアが近づいていた。手には一束ほどの黄色い花が握られていた。茂みに生えていたものだ。双頭蛇の牙には神経毒がある。噛まれれば死にはしないが、身体の自由が奪われる麻痺の効果がある。それを中和してくれるのが、先程の黄色い花で、これも先駆者の知恵だ。
「ありがとうございます。結果的に要らなかったとしても、助かります」
顔に泥の付いた少年は女騎士に満面の笑みで返した。
「ん?君の顔に付いているそれは双頭蛇の神経毒か?首を掴んだ時に飛び散ったのだろう。血液内に入らないと効果がないから大丈夫だろうが、念の為拭き取っておこう」
両手が汚れている少年に代わり、セリアは自分のハンカチを取り出し、ゼルの顔に付着している緑色の液体を拭き取ろうと手を伸ばした。
「ヘックションッ!!!」
女騎士の持っていた黄色い花の花粉が少し舞い、ゼルの鼻孔をくすぐった。突然のことに驚いたセリアだったが、手に持っていたハンカチが燃えて、消し炭になっていることに更に驚愕した。
「き、君、いま口から火を………」
「えっ?何ですか?すいません、急にクシャミしちゃって」
いや、とセリアは小さく呟いた切り、動きが止まった。何だろう、急にクシャミしちゃって、失礼だったかな。女性の前で盛大にクシャミをすることはマナー的に良くないが、絶句するほどのことだろうか。無邪気な少年には判らない部分だった。
「残念だが君が読んだスキル書は魔物系と断定せざるを得ないみたいだ。口から火を吐くだけのスキルはあるが、君みたいに多才なスキルは聞いたことがない………本当にすまない」
花粉で涙目の少年を女騎士は悲哀が籠もった瞳で見つけた。黄色い花粉は今なお舞い続けている。
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