銀色設計士の二度目の世界再建

水遣これ

プロローグ

 死んだら無に還る。

 世界はそうあるべきだ。

 もし、世界に神がいるのなら。

 もし、善人が死ねば天国に登るのなら。

 もし、悪人が死ねば地獄に堕ちるのなら。

 この世界の無惨さは僕たちのせいじゃないということになってしまうじゃないか。

 そんなのは欺瞞だ。

 死後の世界について知ったような顔で熱く語る詐欺師ども。

 訳を知る間もなく無惨な姿で死んでゆく無辜の民。

 彼らが正しいはずがないじゃないか。

 僕たちの世界は、僕たちの問題は生者のものだ。

 死者も超常も、僕たちの世界については語ってはくれない。

 救ってはくれない。

 僕たちは僕たちで世界を救わなければならない。

 それこそが、世界に対する正しい態度だ。

 

 それなのに、なんだこれは。

 僕の目の前には杖を持った女の子がいて、周りは一面の白だった。 

 そして、目の前に立っている彼女は、あらゆる人間が空想していた女神ってやつだ。


 冗談じゃない。

 死ぬのは構わない。

 だけど、女神なんてやつに僕の死を云々されるのは気が済まない。


 僕は右手にあった銃を抜いた。 

 女神は無言。

 銃口を女神に。

 女神は杖を少し空に掲げる。

 引き金に指をかける。

 焦点は神。

 撃鉄を上げる。

 一発。

 音だけが白色の世界に轟いた。


 だが、銃弾はこの状況を何も変えなかった

「満足しましたか?」

 どうやら女神の力で銃弾を消し去ったらしい。

 僕と女神の間に銃口から漏れる硝煙の煙が漂う。

「いえ、一つも」 

 まだ一言も交わしていないのに納得するもなにもない。 

「女神を殺そうとした人間は初めてです」

 でしょうね。女神を殺したあと、この世界がどうなるかも分からないのに、突発的に殺す人間もなかなかいないと思う。自分で言っていてアレだけど。

「僕が第一人者ですね」

 僕は肩をすくめてジョークを言った。

 女神は少し呆れた顔をしたように見えた。見えた、というのは女神の表情から感情がいまいち読み取れなかったからだ。

「数秒前には私を殺そうとしていた人間とは思えないほど軽い発言ですね」

「いや、正直なところを言うと、殺せそうにないから気楽に行くことにしたんだよ。どうせ死んでるし気張っていてもしょうがないでしょ」

「そうですか」

 さっきの行動とすでに矛盾しているかもしれないが、僕は怒りに任せて行動するような人間ではない。ただ、死んだと思ったら女神が現れるのは、僕にとって前世の生に対する重篤な冒涜であり、許されるものではなかったからだ。でも、僕は死にそうにないヤツに向かって信義を貫くほど無謀な人間でもないのだ。できないことはやらないに限る。

「さて」

 女神は仕切り直しと言わんばかりに杖をしゃらんと鳴らす。

「お気づきかと思いますが、ここは死後の世界です」

「言われなくてもわかるよ、そんくらい」

 僕は思わず女神のようなやつにタメ口を聞いてしまった。

 まあ、それくらい許してほしい。僕は死んだのにここに呼び出されたのだから。

「最初の言葉は、それなのですね」

「どういう意味?」

「いえ、ここに呼び出される人の多くは、驚くか悲しむか喜ぶかのいずれかだったので」

「僕みたいに悟ったような顔をするやつは意外かい?」

「初めてです」

「そりゃどーも」

 思ったより女神は主観的だったらしい。


「それで、僕はなぜここに呼ばれたんですか? 死んだままにしておいても良かったじゃないですか」

「貴方には使命が与えられたのです」

 女神は、しゃらんと右手に持った杖をならす。

「使命?」

 嫌な予感がする。

「この世界を救ってもらうという使命です」

「はあ?」

 世界を救う?

「具体的には、この世界にいる『魔王』を倒してもらいます」

「魔王?」

 理解が追いついていなくて、オウム返ししかできなくなってる。

「そうです」

「えっと、悪い魔王を倒して世界を救ってほしい、的なこと?」

「かなり簡略化すればそういうことになりますね」

 いまどき子供向けの絵本だってそんなに単純じゃないでしょ、と思うくらい僕に課せられた使命とやらは明々白々だった。

 魔王を倒す? 倒したら世界が救われる?

「それで、なぜ僕にそれをやらせようとするの?」

「それは貴方が勇者に選ばれたからです」

「勇者?」

 僕が?

 僕のどこが?

「はい。貴方は世界を救う勇者として、神に選ばれたのです」

「センスのない神だなあ」

 よりにもよって、可能世界すべてを比較しても下から数えたほうが早いこの僕を選ぶとは。

「判断基準については残念ながら申し上げられません」

「ま、基準が分かったところで、次に活かせるかはわからないしね~」

 次に死んだときに、この話をわざわざ思い浮かべる? 死んだら次に転生できるかもわからないなら他人の明日の朝ごはん並に役に立たない情報だ。

「では、お試しになったらいかがでしょうか?」

 なんてひどいこと言うんだ。

「死んだばかりの人にそういう冗談かましちゃいます?」

 僕は仰々しく肩をすくめた。

「それにしても、死んだ人間に世界を救ってもらおうなんて、驕りがすぎると思いませんかねえ」

「残念ながら、現世の人間には魔王を倒す力がないのです」

「いやあ、それどうなのよ」

 いくらその世界の人間が無力で悪の権化に蹂躙されようと、部外者がしゃしゃり出てきて神から授かった力と前世の知識で無双するって、現地人にとっては面白くないんじゃない?

「その世界の問題は、その世界の者たちの手で解決されるべきでしょう」

「仰ることは理解しますが、魔王が世界に現れてすでに千年の時が経っております。そして、未だ魔王という巨悪は斃されず人々は苦しい生活を余儀なくされているのです」

「千年とは穏やかじゃないね」

 とはいえ、それは神々が干渉すべき問題なのか。

「なら、女神様が地上に降りて人々の助けになればいいじゃないか。神話にはそういうのよくあるでしょ?」

「それは人々が自らの生を救うための御伽噺に過ぎません」

 女神はあっさりと否定した。

「神々の取り決めとして、世界に我々が直接干渉することは禁じられております。もしそれが可能になってしまえば、神と人、その二者の均衡が崩れ、最悪の場合、世界は滅びを迎えるでしょう」

「ふーん。魔王が君臨していて、いまにも世界は滅びそうって話らしいけどね」

「そのため、妥協点として他の世界で可能性を持つ人間をこの世界に喚び、彼ら彼女らにこの世界の助けになってもらうという形式になったのです」

 神々の世界にも、僕たちと同じようにややこしいルールに縛られているらしい。いや、むしろルールこそが神で、それ以外は全てまがい物なのかもしれない。

 僕は死んだはずなのに、死後もそんな哲学的なことを考えているのか、といまの自分を捉え直すとなんだかおかしくなってくる。


「ところで、回答を得られていないのですが」

 そんなどうでもいいことなんか考える暇を与えないとでもいうように、女神様が本題に切り込んできた。生き急いじゃあいけないなあ。

「回答? 馬鹿言っちゃいけない。これは脅しだ」

「決して脅しではございません」

 女神は真顔のまま言い放つが、これは誰がどうみたって脅迫だぞ。

「じゃあ聞くけど、もしここでその勇者の話を断ったらどうなるの?」

「貴方は再び魂の輪廻の流れへと返されます」

 ずいぶんスピリチュアルで胡乱な答えをするじゃないか。

「いやあ、そういう言い回しには親しくなくてね。もっとわかりやすく答えてほしいんだが、要するに死ぬってことだよね?」

「……はい」

「ほら。これは僕にとって取る選択肢が一つしかない」

 勇者として異世界を生きるか、さもなくば死ねときた。

「取り方によっては、おっしゃるとおり脅迫と受け取ることも可能かと存じますが、しかしながら、私たち女神はこの仕事を引き受ける可能性が高いと見込んだ人間しか候補として選択しておりません」

「つまり、僕はこの仕事を受ける可能性が高いと踏んでいるってこと」

「はい」

 ひどい見込み違いだ。

「それに……」

「それに?」

「嫌ならば断ることも可能です」

「それは、だから……」

「なぜ嫌がるのですか? 貴方の魂は一度死んでいるのです。また、人としての生を歩みたくないのであれば、私の申し出を断ればよいのです。勇者としての生を拒否し、自ら絶え間ない輪廻へと還っていた方もたくさんおられます。私から見れば貴方は答えをはぐらかしています」

「言うねえ……」

「実際、貴方の過去を鑑みれば、貴方はもう一度やり直したいと考えて――」

「おおっと、いくら僕と貴方しかいないとはいえ、軽々しく人の過去をペラペラと喋るのはやめてくれない?」

 僕は女神の暴露を遮った。

「いくら死人に口なし、といえど死人の前で言っていいことと悪いこと、あるでしょ?」

「……ご自分で今の言葉を繰り返したらどうです? 文として成立してませんよ」

 そりゃあ、死んでるのに生きてるからなんだけど。

「まあ、たしかに貴方にだってプライバシーというものはあるでしょう。この世界には二人しか居ませんが」

「自分の過去を、他人の口からべらべら喋られるのは、どんな人間だって好かないでしょう」


 まあ、こうなってしまったら仕方がない。

 それに、別に僕はやりたくないとは言ってないんだ。

 ただ――

 そう、ただ、やりきれる自信がなかった。

 だって僕は一度、失敗して世界を滅ぼしてるのだから。


「ま、やりますよ。こういうことに関しては僕はプロなんだ」

 あーあ、言っちゃった。

「承知しました」

 そっちの申し出を受け入れたのに、女神は顔色一つ変えずに了承の返事をした。面白くない人間だ。人間じゃなかった。

「冗談言ったのにスルーされると傷つくんですけど」

 世界を救うのにプロもアマもないとは思うけれど、間違ったことは言ってない。失敗したけど、前世では一応それで食っていたわけだし。

「承諾いただいたということで、転生の準備に入りましょうか」

「思ったより親切だった」

 いきなり異世界に叩き落されるのかと思っていたので、事前説明があるのはありがたい。

「即座に転生したかったでしょうか?」

「いやいや」

 僕は思いっきり首を振る。

「世界を救いたいんだろう? なら、準備はいくらでもしたほうがいい。この空間にいる限り時間が進むってこともないんだよね?」

「はい」

 そう言って、僕と女神は世界救済の壮大なプランについて、死ぬほど長いディスカッションをした。きっとこの世界に季節があったら、春に花をつけた木々は、きっと終わりには葉を枯らして身軽になっていただろう。太陽も月もなく、時間の流れが不明瞭なこの世界では、どれくらい話し込んだかはわからないけれど。


「では、参りましょう」

「こんなに話したのは久しぶりだよ」

「私も貴方にここまで拘束されるとは思いませんでしたが」

「これからもよろしくね、リーナちゃん」

「その名前で自分を認識できるように訓練しておかなければなりませんね……」

 議論の結果、女神も現世に下りることになった。女神がその力で以て世界に直接働きかけることは禁止されているけれど、僕のサポートとして現世に降りるのは許されているらしい。やっぱり一人だと心細いので、なんだかんだ言ったけれど僕と一緒についてきてくれるようお願いした。

 現世での彼女の名前はリーナ。

 当座は僕と彼女だけだ。

 眼前の白い空間が丸く開いて、青々しい木々がその丸の中に浮かんでいる。

「これが異世界……」

 その景色は僕がかつて毎日のように見ていた日常の風景とそっくりだった。

 きっと、自分と大きく異なる世界なんてほとんどなくて、異世界なんて言いつつもどれも似たりよったりなのかもしれない。なんて、適当なことを僕は思った。

「準備はできましたか?」

「これ以上にないってくらいにね」

 僕はその丸の中に足をかける。

 そのとき、とても懐かしい声が、どこかから聞こえた気がした。

 

 ――応援してるからね――


 僕はその声のしたほうを振り返ったけれど、当然そこは地平線すらないくらい真っ白な空間が広がっているだけだ。

 そらそうだ。僕は死んだのだから。世界すら跨いで声が届くなんてあり得ない。

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないよ」

 僕はかぶりを振って、もう一度、目の前の異世界に目を向ける。


「大丈夫、今度こそ、世界を救ってみせるよ」

 

 僕は新天地に足を踏み入れた。

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